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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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仲間がいるから自分らしくいられる。仲間と共に発信したい社会へのメッセージ。

「自分らしく生きる」その手段として会社を設立した土屋さん。仲間と共に社会に発していきたいメッセージとは?お話を伺いました。

バスケで知った、仲間と共に目標に向かう楽しさ

小学校の頃、地域のミニバスケットボールのチームに入りました。私が育った八王子はバスケットボールが盛んな地域だったので、最初は半強制的に入らされたんです(笑)。でも、その頃習わされていたピアノや水泳、空手と違って、バスケは初めて自分から頑張ろうと思えたんです。

なぜなら、バスケがチームスポーツだったからです。コーチは厳しく、練習はしんどい。ずっと楽しいわけじゃなく、嬉しい瞬間なんて一瞬。だけどそのためなら大変なことでも頑張れると知りました。仲間がいたから続けられた。一人だったらしんどくてやめていましたね。

チームの仲間と一緒に登下校して遊んだり、親同士も近所なので集まったり、そういう地域コミュニティでした。そんな環境で育ったので、仲間と一緒に目標に向かって努力することが好きになりました。試合に勝てたら嬉しいし、上手くチームの連携ができてゴールできると達成感を感じました。

幼い頃は意外とおとなしく、クラスの中で給食を最後まで食べているようなのんびりした子どもだったんです。それがバスケを始めて、すごく厳しいけど、仲間と一緒に負けないよう頑張るぞという環境に身を置いたことで、心身ともに強くなりました。自分自身の成長とか、チームワーク、仲間と一緒に目標に向かうことに積極的になっていきました。

中学生になりバスケ部に入る時、他の習い事をやめてバスケ一本にしました。部活ばかりやっていましたが、勉強も嫌いではありませんでした。とにかく時間があればバスケをしたかったので、授業時間を無駄にするのが嫌で、勉強は授業中に集中して全部覚えるようにしていました。授業を真面目に受けて、わからなかったらすぐに質問に行くので、先生から見ても目立っていたと思います(笑)。

中学、高校とバスケに明け暮れ、高校の時にはすでに早弁の常連者でした。のろのろ給食が食べられなかったのがウソのよう(笑)。高校2年の時にチームのキャプテンになり、東京のリーグでどこまで勝ち上がるかという目標に向かって、毎日吐き気がするくらいの厳しい練習も仲間と一緒に乗り越えてきました。

「女性が働く」という視点で選んだ会計士への道

私が中学2年生の頃、両親が離婚したんですね。母はそれまではずっと細々と雑貨屋をしていましたが、離婚を機に一人娘の私を育てあげる為か、化粧品代理店営業の仕事を始めました。最初は営業目標など苦労もあったかと思うのですが、誠意をもって続けていく中で、仕事仲間もできたり、お客様たちとの交流が広がったりと楽しめるようになってきたようです。

そんな母の姿を見て、仕事は楽しいもので、女性にとっても自分らしさを発揮するチャンス、自分を活かす場なのだと思うようになりました。また、仕事や商売は、人と人とのあたたかいつながり、ご縁づくりなのだと感じるようになりましたね。私の祖母も娯楽や飲食店を営んでいたそうで、その頃のお客様と今でも繋がりがあるようです。女商人の家系なんです。

そんな環境で育ったからか、女性が働くことは当たり前だと思っていましたが、大学進学時には安直に「女性が働くためには資格が必要だ!」と考え、商売にも役立ちそうな「会計士」になろうと、当時最も会計士を輩出していた慶應大学の商学部に進学しました。栄養士になりたいという夢もありましたが、当時から稼げそうな仕事が良いという観点もありました。

会計士の勉強をやめて選んだ人材業界

大学入学後すぐ、会計の専門学校とのダブルスクールを始めました。経営会計研究会というサークルにも入りました。朝7時から夜10時まで勉強をする、華の女子大生を無駄にした(笑)受験生みたいな生活でした。

大学1年生の頃、とても尊敬していたサークルの先輩に「君の使命は何?何をやりたくてここにいるの?」と質問されたんですね。高校を卒業したばかりの私にとっては衝撃的な質問でした。初めて「私のしたいこと?使命ってなんだろう?」ということを考えました。

その後、多くの出会いの中で「私のやりたいことはどうやら会計士ではないかもしれない」ということに気づきました。サークル活動で出会う先輩や社長が語るビジネスの話と、会計士の先生たちの話を聞くうちに、私は企業経営に携わる仕事はしたいけど、数字をチェックしたり分析したりする仕事には向いていないかもしれない、ということに気づいたんです。そこで大学2年の終わり、会計士試験の直前に、思いきって受験をせずに勉強をやめる決断をしました。

勉強にあてていた時間がぽっかりあいたので、就職活動も始まる中で、興味を持ったことは何でもやってみようと思い、何社ものインターンシップに参加したり、アルバイトを始めたりと、スケジュールが週7日うまるほど色々と動いてみました。

就職活動は、とにかく好きなものを扱っているところを受ける!と決め、好きなものであるワイン、人、宇宙という軸で動きました。内定をいくつか頂いた中で、最終的には働いている先輩社員が最も魅力的に映った人材紹介会社に入社を決めました。

天職の人材の仕事からフリーランス、そして起業へ

入社後の配属先は営業でした。上司やお客様からの期待がモチベーションになり、その人たちの期待に応えるために頑張りました。仕事は本当に楽しく、企業の社長や人事の責任者の方々に人材のご提案をしていく営業の仕事はやりがいがありましたね。

その後、社内公募制度を利用し、人事の採用担当に異動しました。営業で人事の方とお会いするうちに、自社の採用に興味が移っていったんです。異動してすぐに、400人程度の学生の前で会社のプレゼンをする機会がありました。緊張しましたが、一生懸命練習したら上手くいって、そこから、人前で話すことに抵抗がなくなってきました。

人事に異動して1年半後、リーマンショックがありました。新卒採用数を減らしたため、私たち採用担当の仕事も当然なくなり、リーマンショックの前に大勢採用した新卒入社者は、全員新規開拓の仕事に配属され、私はチームリーダーとして教育にまわりました。リーマンショックの影響で、当然サービスは売れなくなり、自分自身の力では会社にもお客様にも貢献できていないと無力感を感じるようになりました。

自分のできること、やりたいこと、人や社会から求められることを、改めて模索したいと思うようになりました。大好きな仕事でしたし、次の仕事が決まっていたわけではないのですが、自分に正直に、思い切って退職を決めました。

辞めた後は、できることから始めました。就活関連のイベントやパネルディスカッションを企画するなど、1年くらいはふらふらと、ほぼボランティアで活動していました。フリーランスというよりは不良専業主婦ですね(笑)。ビジネススクールやセミナーにもたくさん行き、様々な出会いの中で、私は自分らしくありたい、正直に生きたい、そしてもっと自分を試したい、という想いが強くなりました。

当初は、お金にはならないけど、やりたくて人のためになることをしていましたが、さすがにお金も尽きてきたので、大学のキャリアカウンセラーをしたり、企業研修の講師の仕事をいただいたりと、少しずつ稼ぐことを始めました。キャリアカウンセラーの資格もこの頃に取得しました。

フリーランス時代、ベトナムのホテルやレストランでマナー研修をした際に、ベトナム人のマネージャーに、「日本人が喜ぶおもてなしは、グローバルで喜ぶ基準だから、いろいろ教えてほしい」と言われたんです。そうか、日本はアジアの中でそう見られているんだと。日本人としてグローバルでもリーダーシップをとっていかなければ、という感覚も芽生えました。

一人で楽しくやりたい仕事をやり続けるのも、私にとっては一つの自分らしさを実現する生き方でしたが、社会でもっと影響力を発揮してメッセージを出していかないと、という想いから、2011年に株式会社エスキャリアを設立しました。2年ほどは変わらず一人でやっていましたが、3年目から徐々に仲間が増えて、今に至ります。

自分らしく生きることを、仲間と共に

エスキャリアでは、今は特に、ライフイベント期の女性のキャリア支援に力を入れています。しかし、もともとは「女性支援」の会社ではありません。「自分らしさを実現する手段」なんです。

私自身、自分らしさなんて、一人で気付いてこられたわけではありません。仲間が一人、また一人と増えていく中で、恥ずかしながら、「私にしかできない」と思い込んでいた仕事を、仲間がよりスピーディに、より楽しげに、より高いクオリティを出してくれたりする。じゃあ私が一番得意で、仲間や社会から求められる役割ってなんだろう?と、日々模索しながらの結果が今です。今の役割も、自分らしさを実現するための手段なんです。

最近の一番の関心事は、エスキャリアというエネルギー体、組織を育てて大きくしていくことです。仲間と共に成長し続けていくことは、私の原点であり、エスキャリアの本質です。自分一人だと何もできない。だからこそ、見ていてくれる仲間がいて、頼ったり頼られたりすることが幸せです。

今は、志を共にする仲間たちがいてくれるからこそ、代表という立場の私自身がまず「自分らしさ」に妥協してはダメだと背筋を正されます。売上や利益も企業の継続にとってとても大切なものに変わりありませんが、あくまで誠実な人と人との繋がりや御恩返しによってついてくると信じています。

私は、健康で、美味しくご飯も食べられるし、大好きな家族や仲間にも恵まれて、安全な環境で生きている。それだけで本当に丸儲けと感じています。だからこそ「自分らしく生きる」というシンプルでパワフルな道へ共に生きてくれる仲間と、次の時代によりよい社会や文化を残していきたい。そんな、人間として生き物として当たり前で、大切な本質的な仕事を、一生続けていきたいと思っています。


土屋 美乃 さん
30代前半 / 株式会社エスキャリア 代表取締役CEO

東京八王子生まれ。大学卒業後、大手人材紹介会社に入社。人材紹介部門の法人営業、その後同社人事部で新卒採用を担当。 2009年に独立し、企業内や大学でのキャリアカウンセリングを行う。 2011年に株式会社エスキャリアを設立、『es(=本来の自分、欲求)career』=『自分らしいキャリア』を実現することをミッションに、キャリア支援を行っている。

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