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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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「個」の支援を続けながら社会に貢献できる活動を目指していく

キャリアカウンセラー、大学の非常勤講師として、主に大学生の支援をしている濱野さん。長年キャリア支援の仕事に携わり、40代での新たな挑戦から得た濱野さんの大切にしていることとは。お話を伺いました。

幼少期から発信・表現が好きだった

福島県で、二人姉妹の姉として生まれました。両親は共働きで、幼い頃からご近所の家によく預けられていました。その家族からは末っ子のように可愛がってもらいましたが、幼いなりに気を遣っていて、天真爛漫を演じながら冷めたところもありました。

母は小学校の先生で、教え子を家に連れてくることもあり、よく年下の子の面倒を見ていました。父の影響か正義感が強く、よく男の子を懲らしめていましたね。

4年生から合唱部に入り、みんなでコンクールを目指して頑張りました。また、自分の考えたことを書いたり発信したりするのが好きで、近所のニュースを書いた新聞を作って家に貼ったり、友達とラジオ番組を作ったり、漫画を連載してクラスにまわしたりしました。将来の夢は漫画家、小説家でした。

小学校で合唱をやり尽くし、違うことがしたいと、中学では剣道部に入りました。人から「やってくれるよね」と任されることも多く、生徒会の副会長もやりました。勉強は、教科によって差が激しく、数学が苦手でしたね。

地元の高校に進学し、吹奏楽部に入りました。ホルンを吹いてみたかったんです。しかし中学からやっている人が優先的に入り、パーカッションの担当になりました。先輩が卒業したらホルンができると思っていましたが、2年生になってもそのままで、結局吹奏楽部は1年でやめました。

2年生から勉強を始めました。間違いなく文系で、家から近いほうが良い、経済的に国公立に行きたいと考え、志望校を絞りました。少ない選択肢の中から、一番興味のある心理学の学べる教育学部を受験しました。

第一志望の大学に入学できましたが、1年生はぐだぐだしているうちに過ぎてしまいました。何かやりたくて、2年生から学友会と、私設の劇団で演劇を始めました。友達がやってみたいと言うので一緒に行くと、私のほうがハマったんです。それから大学生活は演劇に力を入れていました。心理学を学びたい気持ちはありましたが、勉強は全然しませんでした。

就職活動も4年生の8月半ば頃、周りが内定をもらっている頃に始めました。最初は友達が受ける会社についていったものの、違うなと思い、フェードアウト。雑誌や本など紙媒体が好きだったので出版社や教育会社にエントリーしました。

結局、通信教育を行っている教育会社に入社しました。添削のアルバイトで、紙に書いてある情報が増えながら、行ったり来たりすることが、アナログだけどファンタジックで夢があると感じたんです。教員の仕事にも未練がありましたが、大学時代に勉強しなかったので選択できませんでした。

インタビューを通して個々人のドラマに感動

仙台で、中学生を対象にした通信教育の先生方100人ほどの教育・研修・稼働管理の仕事に配属されました。最初は仕事が全然できなくて。答えのない問題にアプローチするのが難しかったんです。つらかったですね。辞めたいと思いながらも、なんとか頑張っていました。

先輩たちが厳しく育ててくださり、2年目からは仕事が楽しくなりました。先生方が数百人ほどだったので頑張れば覚えられましたし、「濱野さんが言うなら…」と言ってくださって、信頼関係を築くことができました。規模が小さいので企画もフレキシブルにできました。楽しかったですね。

入社10年目で、東京に転勤になりました。また通信教育の先生方のマネジメントの仕事でしたが、規模が以前と比べてかなり大きくなりました。1対1で上手くやっていくタイプだったので、組織が大きくなり、先生方一人ひとりのことがわからず、その状況に合わせることがなかなかできませんでした。つい個に目が向き、全体をマネジメントするのが苦手で、「このままじゃダメだ」といつも思っていました。

転勤して2年目、先生方のインタビューをとり、表彰式でサプライズ贈呈するプロジェクトのリーダーを任されました。15年や20年続けている先生方を、200人ほど取材しました。同じ仕事をしているのに個々のドラマがすごくて、「こんな想いを持ってやっているんだ」と感動しましたね。

その後、先生方の機関誌をつくる仕事をして2年ほど経った頃、個人情報保護法により、先生方のお仕事の情報に合わせていろいろな制作物を用意することになり、忙しくなりました。しばらくハードな働き方をして、体を壊してしまい、36歳の頃、休職をすることになりました。

個を大事にするためキャリアカウンセラーに

休職している間にだんだん、心も疲れてきました。会社に戻らないといけないと焦りもありましたが、ある時、病院の先生に「本心ですか?」と聞かれました。自分の心に聞いてみると、「もうあの働き方は嫌だ、個を大事にしたいけど全体を考えなきゃいけないし、ちょっと違うかも」と思うようになりました。

しかし、辞めるとしてもその後どうしたら良いかわかりませんでした。そこで1年ほど前に辞めた同期に相談してみると、キャリアカウンセラーを紹介してくれました。

キャリアカウンセラーと話をする中で、初めて自分のことを考えました。「何もできることがない」と話すと、「あなたは人の話を聴けるじゃない、それも一つの強みでしょう。キャリアカウンセラーは話を聴く仕事だし、もしかしたら仲間になれるかもしれませんよ」と言ってくださったんです。

調べてみて、キャリアカウンセラーの仕事に興味を持ちました。心理学も勉強できそうだと思い、まずは資格をとってみようと決めた後、ハローワークで仕事も探しました。専門学校の求人で担当者と意気投合し、資格がまだない段階でも就職相談室のキャリアカウンセラーとして採用してくれました。そしてその半年後に資格をとりました。

就職相談室では、個の支援ができることがとても嬉しかったです。担任の先生と学生の関係を壊さないようにどう関わっていくか、悩みながらも無我夢中で仕事をしました。

半年後、大学のキャリアセンターで働いていた同期が「4月で私が辞めたら、必ず募集が出るから受けてみたら?」と教えてくれました。専門学校を半年で辞め、その後は大学のキャリアセンターで働き始めました。若い人の支援がしたくて、その後は、関東甲信地方のいろいろな大学にて、キャリアカウンセラーとして活動しています。

また、キャリアカウンセラーとして大学で働き始めて5年ほど経った時、声をかけていただき、大学でキャリア関連科目や心理学専門科目の非常勤講師も始めました。

大学院と震災で、社会貢献を強く考えるように

40歳の頃、大学時代にさぼって学べず「未完」だと感じていた心理学を学び直そうと、大学院に進学しました。学問と徹底的に向き合って心ゆくまでやる苦しさと楽しさを味わいました。

2年に進級する直前、東日本大震災が起きました。福島県の実家は原発事故のため帰れなくなり、両親が東京に避難してきました。父は病気で体が動かず、面倒を見ることになりました。

研究が本格化して、親の面倒を見ながら修士論文を書かなければならず、大変でした。しかし、修士論文だけやっていたらだらだらと怠けていたかもしれないし、修士論文がなければ親や震災のことを考えて気分が落ち込んでいたかもしれません。限られた時間とパワーで、濃密な時間の使い方ができ、仲間や先生方にも支えられ、両方を乗り越えることができました。

また、大学院の先生方が、こぞって被災地支援に向かっていました。心理学を実際に活用して被災者の支援に打ち込む恩師の姿を見て、学問の力で世の中を良くしていることに勇気づけられました。私も、「自分が関わることで微力だけども社会に貢献したい」「一人ひとりがよく生きることを応援したい」と強く思うようになりました。

幼少期に好きだったことへ立ち戻っていく

大学院を修了して半年ほど経った頃から、体の調子がおかしくなってきました。震災・修士論文・親の面倒を見るなど、いろいろと積み重なって疲労がたまっていたのかもしれません。体が痛くて思うように動けず、人の力を借りなければ何もできない状況がとてもつらかったです。

そのうち、焦っても仕方がない、ゆっくりでもやれることをやろうと考えるようになりました。とにかく仕事に穴をあけたくなかったので、杖をついたり、駅員さんや学生に援助をお願いしたりしながら、何とか乗り切りました。病気のおかげで、苦手だった「人に頼る」ことをできるようになりました。また、体の声に耳を傾けるようにもなりました。

また、48歳の夏、たまたま大学院のご縁で合唱をする機会がありました。それで、30歳から人目を気にしてやりたいこと、特に表現することを抑えてきたんじゃないかと思い至りました。もうすぐ50歳。健康に生きられるのはあと30年くらいと思うと、意外と短く、子どものころから好きだった、歌うことや演じることをやりたいと気づきました。

やるからには大っぴらにやって、自分も周りの人も観客も楽しくなれたら!と思い、そこから大きな舞台に出るようになりました。指揮者や演出家の方から学ぶことも多いです。私自身がファシリテーターや講師として活動しているので、講師としてのスタンスを再確認できたり、支援者としての哲学のようなものを学ばせていただき、講師の仕事にも繋がっていると思います。最近はラジオにも出始めたり、幼少期に好きだった表現することに戻ってきている気がします。

個の支援をしながら、良いことを起こすきっかけに

現在、関東甲信地方の複数の大学にて、キャリアカウンセラーとして活動しています。また、非常勤講師としてキャリア関連科目や心理学専門科目を、その他、大学1年生向けのセミナーや就職支援講座の講師なども担当しています。仕事は時期によって増えたり減ったりしていますね。

大学以外では、エスキャリアにて模擬面接官をしたり、ハローワークその他にてセミナーをしたり、大学院の修了生で作った団体や仲間と設けた場などでワークショップを開催したりしています。女性のライフスタイル関連のサイトで、キャリアについて考える落語を紹介するコラムを書いたこともありました。

教育会社にいた頃から変わらず、やはり個々の支援が好きです。効率は悪いかもしれませんが、大学の講義でも、一人ひとりを見て、アンケートをとったり、できるだけ覚えたりしています。やんちゃな学生が腹を割って話すと最後には「わかった」と言ってくれるなど、変化を見られると嬉しいです。自分が良いと思うことをやって、受け取ってくれたり、いつか思い出してくれると良いなと思っています。

今後は、個を大切に見ていくことは変わらずベースにしながら、例えばキャリア教育と音楽など、異分野同士を繋ぐコーディネーターのようなこともしていきたいと思っています。学生に限らず、社会人や障害がある方などいろいろな方と一緒に何かをするのも良いですね。良いことが起きる端緒を作る人になりたいと考えています。


濱野 裕貴子 さん
40代後半 / キャリアカウンセラー/大学非常勤講師

大学卒業後、教育会社に入社。通信教育の先生方のマネジメントを中心に、インタビューや機関誌の作成なども担う。14年間勤めた後、退職。キャリアカウンセラーとして独立し、以後、大学のキャリアセンターのカウンセラーや、非常勤講師として、学生のキャリア支援に携わる。42歳で大学院修士課程を修了。

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