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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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過去は変えられる。遠回りして辿り着いたキャリア支援のかたち。

遠回りしながらも、やりたい仕事に行き着いた星野さん。人間関係やキャリア選択で苦しんだ経験とキャリア支援の現場から見出した、今後のチャレンジとは。お話を伺いました。

自分の感情を抑え込んでいた子ども時代

教育熱心な両親のもと育ちました。3兄妹の真ん中で、小さい頃から面倒見が良いと言われることが多かったです。

小学生の頃、人付き合いが苦手でした。上手くコミュニケーションをとれず、人を傷つけ、自分を傷つけ、本音を言えず、常に孤独を感じていました。勉強と睡眠が、孤独を紛らわせる手段でした。6年生の時、いじめに関する本を読み、初めて心理カウンセラーという職業を知りました。私のような寂しさを抱える子を救う仕事なのかもしれないと思い、興味を持ちました。

地元の中学に進学した時、自分を変えたいと思いました。しかし、知り合いに囲まれた環境で自分を変えるのは難しく、高校は小中学校の同級生がいない場所に行こうと決意しました。兄の通う隣県の進学校を目指して勉強しました。様々な自分の感情や興味関心を抑え込んで、未来だけを希望に、中学生活をやり過ごしました。

念願の高校に奇跡的に合格しました。入学後は友達もでき、楽しい高校生活を過ごしました。高校2年生で進路を考える時、心理学を学んでも仕事にするイメージが持てず、なんとなく商学部や経済学部を受験しようと思っていました。そんな時、先生から国立大学の保健学科看護学専攻の受験を提案されたんです。看護師になるなんて考えたこともありませんでしたが、心理学を学び実践で活かせるかもしれないと考え、受験しました。

「主体的に動く」ことができず、大学中退

大学入学後、海外インターンシップ事業を運営するNPOサークルに入りました。先輩たちは意識が高く活動的で、憧れました。大学外の活動にも参加し、多様な人と交流するようになり、今まで知らなかった世界を知ることができて、とても刺激的で楽しい毎日でした。

しかし、1年の終わりから徐々に大学に行けなくなりました。心理学を学べる機会も少なく、看護師になる未来もイメージできない。大学外の友達からは国立大学というだけで「すごいね」と言われ、そう言われるだけの努力をしてこなかった自分に嫌気がさし、友達を騙しているような罪悪感を抱いてしまう。

サークルには顔を出していたある日、先輩から「いるだけだと得られないものが動くと得られるよ」と言われたんです。憧れていた先輩のように、課題意識を持って主体的に活動することを求められました。その言葉に戸惑いましたね。先輩たちの役に立ちたくて活動し、その中で様々な考え方を知って、自分の世界が広がっていく。それが楽しかった。でも、それではダメだと言われた気がしました。

日に日に、もやもやが大きくなりました。ずっと自分を抑え込んできたからか、自分が何をしたいのか思い当たらない。そんな状況で、どうしたら主体的に動くことができるのか、わからなかったんです。関わり方に迷い、好きだったサークルにも行けなくなりました。

時々外には出るものの、大学に行けなくなり、半年ほど引きこもりました。2年の夏、どうしようもなくなり、両親に中退したいと話したんです。当初反対していた両親から一度だけチャンスをもらい、休学して大学再受験をすることになりました。

再受験が決まった後は前向きでした。私立大学の商学部に合格し、2年の終わりに中退しました。レールから外れ、両親や友達が心配するような選択しかできないなら、せめて「選んだ中退という道を正解だったと言える4年間にしよう」と心に決めました。

繋がりを見つけて意味を見出す

最初の大学のサークル活動を通して、教育と国際協力に興味を持ったので、アルバイトで教育に、大学で国際協力に触れることにしました。私立大学の最初の2年は、塾講師のアルバイトに力を入れました。

3年の時、国際ビジネスコースのゼミを選びました。学生が授業を企画運営し、3年の夏には海外研修を行う、少し変わったゼミでした。

ゼミでは仲間と授業を企画するおもしろさを知りました。夏にはブラジルの保育園でボランティアをして、パワフルであたたかく、こんなふうになりたいと憧れる女性に出会いました。言葉の通じないブラジルで孤独を感じた時、小学生の頃からあったその気持ちと上手くつきあう方法を見つけました。

得たものはたくさんありますが、一番心が動いたのは、卒業論文を書いていた時かもしれません。物事に繋がりを見つけて、「そういうことだったんだ」と意味や価値を見出せた瞬間がありました。その時、気づいたんです。小学生からの孤独とブラジルでの体験に繋がりを見出すことも、大学を中退したからこそ今があると意味を見出すことも、全て自分の解釈で、意味を見出すことで過去の経験を良いものにできる、幸せに近づけるんだと。それから、経験を繋げて意味を見出すことを意識し始めました。

二度目の挫折を経て、原点に立ち返る

就職活動では「人生における大きな選択のサポートをする」仕事を探し、人材・教育会社を中心に調べました。大学中退と、2つの大学で学んだ経験から「もっと早くから、将来について考える機会や、情報の探し方・選び方を知る機会があれば良いのに」と思っていたんです。同じ頃「社会課題を事業によって解決する」という考え方に出会い、共感できる会社も探していました。結局、社会課題という視点から、ご縁のあった保育園運営会社への入社を決めました。

仕事は保育園70園の経理でした。入社3ヶ月目には会社を辞めたいと思うようになりました。まる1日外に出ないことも多く、朝から終電まで座って仕事をする。ミスをしたら頭ごなしに怒られる。週の半分は昼食を抜き、毎日太陽の光を浴びない、そんな人間らしくない生活でした。

夏頃、倉庫で重いものを持つ日が続き、腰を壊しました。早退して病院に行くことも許されず、終電で帰る日々。そのうち、家を出てから会社が見えるまでの通勤中、勝手に涙が溢れてとまらなくなりました。週末も、何もやる気がおきませんでした。

1年目で辞めるには転職や金銭面の不安がありましたが、限界でした。引きこもりの時期を思い出し、このままではダメになると思いました。「続けて悪化して働けなくなるよりは良い、転職は自分でなんとかするしかない」と覚悟し、7ヶ月で退職しました。

リハビリをしながら「人生の多くの時間を仕事に使うのだから、夢中になれることをやろう」と決めました。そこで「人生の大きな選択のサポートがしたい」という学生時代の想いに立ち返ったんです。会社を辞めたことでその想いは強くなりました。

その時、大学時代に読んだ雑誌にそういう団体が載っていたなと、ふと思い出しました。10代のキャリア支援を行うNPOでした。すぐに直接問い合わせ、面接ののち、運良く職員として働けることになりました。

キャリア支援の現場にいて見えてきたこと

入社時は職員10人程度のNPOでした。イベント運営、説明会など、とにかく何でもやりました。人をサポートするのが好きで、細かい仕事が得意だったので、バックオフィスを担うようになりました。

ちゃんとご飯が食べられて、太陽の光を浴びられる、人間らしく働ける環境に幸せを感じました。細かいところまで管理されず、自分で考えて動く余地がある仕事の進め方は私に合っていました。大きな失敗をした時、上司が私を責めるのではなく、対策を考え電話をして頭を下げる姿に感動しました。この人に二度と迷惑はかけたくない、この人の支えになりたいと思いました。別の上司は、私の成長に気長に寄り添い、育ててくれました。良い職場・良い上司とはこういうものだと感じました。

自分のしたいこととNPOが目指すものが一致し、とにかく楽しく、夢中で働きました。

2年半ほど経った頃、専門性がほしいと思い始めました。キャリアの理論を学びたくて、またカウンセラーという仕事には小学生の頃から関心があったので、キャリアカウンセラーの資格をとりました。資格の講座に通い、NPOの活動に参加するボランティアの大学生の相談にのるうちに、1対1で話をして課題解決をするキャリアカウンセラーを、いつか仕事にしたいと思うようになりました

徐々にその気持ちが大きくなる一方、職場も大好きで、NPOの中でしたいことができる方法がないか、2年ほど悩み続けました。しかし、自分のしたいことが明確になるにつれ、NPOの目指すものとずれてきたことを、ある時ふと認識しました。

大学生の変化を、5年以上たくさん見てきたんです。自分に自信がないと話す大学生が、活動を通して自分自身を振り返り、想いを語る中で、過去の経験を捉えなおしたり、意味を見出したりして、少し自信を持てるようになる。そんな変化を見て、自分自身のゼミ活動を思い出し、「経験を繋げ意味を見出す」というサポートをしたいと思うようになりました。

私自身も大学生や中高生に語る中で、過去が今にどう繋がっているか、振り返る機会をもらいました。過去のダメな自分も糧にできること、過去は変えられることを改めて感じました。

NPOの中で自分のしたいことはできないと思った時、辞めることに決めました。31歳の時、6年弱勤めた大好きなNPOを退職しました。

自分のしたいことができる転職先が見つからず、フリーランスになることを考え始めた頃、NPOの同僚からエスキャリアを紹介してもらいました。企業紹介が前提ではない、キャリアをデザインする支援ができるエスキャリアのキャリアカウンセリングサービスに惹かれました。30歳で結婚し、この先様々なライフイベントが起こりうる中で、自分で仕事を調整できる働き方をしたいと思ったことも、フリーランスで働くきっかけになりました。

より良い未来の選択をできるように

現在、フリーランスでキャリア支援をしています。エスキャリアでは、キャリアインタビュー、キャリアカウンセリングの他、専門学校の就職相談や企業の採用支援をしています。別の会社でもインタビュー・ライティングと新サービスの立ち上げに携わっています。

「人生の大きな選択のサポートをしたい」という気持ちは学生時代から変わりません。大学中退の決断をした時、初めて自分の気持ちを大事にした選択をしたんです。自分の意志で決断し、その選択に責任を持てば、自ら後悔しないように良い未来を手繰り寄せることができるんだと知りました。

また、ゼミとNPOでの活動を通して「過去は変えられる」ことに気づきました。過去の出来事は変えられないけれど、過去の経験の意味は変えられる。そして、過去を変えること、人生のストーリーを語ることで、今より少しだけ自信を持てたり、自分を好きになれたりする。それが、より良い未来を選択することに繋がると信じています。

今後は、そんな変化を届けられるよう、キャリアカウンセリングやインタビューなど、1対1で話を聞いて、目の前の人の悩みや不安を解消していきたいです。語ること、言葉にすることで、自分でも気づかなかった自分自身の考えに気づいたり、思ってもみなかった経験の繋がりを発見したりします。そんな気づきがうまれる場をつくっていきたいと思っています。


星野 智佳子 さん
30代前半 / キャリアカウンセラー/キャリアインタビュアー

大学卒業後、保育園運営会社に入社。1年弱で退職、キャリア教育NPOに転職。6年弱バックオフィス業務をしながら、中学生から大学生のキャリア支援も経験。多くの学生と出会う中で「自分を少し好きになれる」「常識・思い込みにとらわれず、後悔しない道を選ぶ」お手伝いをしたいと思うように。キャリア支援を本業にするため、また結婚を機に今後のキャリアを考えて独立。現在はフリーランスでキャリア支援に携わる。

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