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小学生の頃は周りの人から「しっかり者ね」と言われることが多かったです。3人兄弟の一番上で、周りからしっかりすることを期待されたからかもしれません。親の期待を裏切らないよう、勉強もスポーツもよく頑張っていたと思います。
小学5年生までは東京で過ごしました。その後、父の転勤でブラジルのサンパウロに家族で引っ越し、日本人学校に転入しました。父の任期が7~8年と長かったため、行く前から「高校はインターナショナルスクールに行くのよ」と言われており、何の疑問もなく素直にそれを受け入れていました。ブラジルで暮らし始めてすぐ、英会話の家庭教師についてもらい、英語の勉強に励みました。
幸いなことに英語が好きで、外国人と話すことも大好きでした。そのおかげで、インターナショナルスクールにも何とかぎりぎり合格しました。しかし、まだまだ英語力は未熟で、英語のみの学校生活に慣れるまで苦労の連続でした。
自分の意見を求められるアウトプット型の授業の進め方にも戸惑うことが多かったです。日本人の中では比較的活発で、自分の意見をはっきり言うほうでしたが、外国人の中に入ると完全に埋もれてしまい、常に意見を問われる事が苦痛でした。しかし、そのような授業がだんだん楽しいと感じられるようになり、成績もぐんぐん上がり、次第に劣等感もなくなりました。
ブラジルでの生活を通して世界にはいろんな人種、国籍の人がいること、日本の価値観や文化が唯一ではないことを学びました。そして、こういった違いをうむ背景としての人や教育に関心を持つようになりました。
高校2年の秋、弟の高校受験のため、任期が残る父を残し、母と2人の弟と一緒に先に帰国しました。私は帰国子女枠で女子高に編入しました。
編入早々に、インターナショナルスクールと日本の高校の授業のギャップを感じました。日本の高校の授業は、先生が板書をして、生徒がノートをとるだけの詰め込み型です。「そんなに詰め込んで暗記して何の意味があるの?」と、日本の教育に疑問を持ちました。日本の教育を変えられるような、教育に携わる仕事がしたいという気持ちが芽生えました。
高校の授業に疑問を持ったため、インターナショナルスクールに近い方針を持つ、問題解決型・アウトプット型の授業の多い大学に進学しました。
国際交流を行う学生NPOに入り、大学3年生の頃、副委員長になりました。人材育成担当として、団体の魅力を伝えるパンプレットの作成や、サークルへの勧誘、個人面談によるメンバーのフォロー、メンバーと活動のマッチングなどをしました。自分なりのプランを考え実行した結果、メンバーが増えて、みんなが楽しく活動できる組織に生まれ変わったんです。それを目の当たりにした時、とてもやりがいを感じ、人材育成や採用が組織に大きな影響を与えることを実感しました。
ブラジルでの経験とサークル活動から、グローバル・人材・教育を軸に就職活動をしました。ご縁があり内定を頂けた研修会社に就職を決めました。色々な国に拠点があるアメリカの研修会社で、グローバル・教育という点で私に合っていると思いました。
希望どおりに法人営業の部署に配属されました。モノを売る営業ではなく、研修会社の課題解決型の営業がやりたかったんです。朝は早く、夜は遅くまで働きました。大変でしたが、とてもやりがいを感じ、営業は自分に合っていると思いました。
ただ、入社して7年ほど経つと、会社に不満を感じるようになりました。毎年業績が下がり、賞与も出なくなり、尊敬する先輩もみんな辞めてしまったんですね。「このままここにいても、これ以上の成長はできないのかもしれない」と思い、転職を考えました。
転職するなら、全然違う業界で働いてみたいと思いました。結婚は全く考えていなかったので、バリバリ働ける会社もいいなと思いました。業界未経験でもよく、グローバルな環境で働くことも叶えられて、営業の経験が活かせる会社を探しました。研修という無形のものを扱っていて、効果が見えにくかったので、有形ビジネスに挑戦してみたいと思い、機械部品商社に転職を決めました。
しかし、転職してすぐ、私には合っていないなと思いました。
転職先では、マーケティングに近い仕事をしていました。データ分析などPC作業が多く、人と話さずに1日が終わることも多く、とてもしんどかったんです。私が関心を持っているのは「人」で、人材ビジネスに適性があったんだと気づきました。ここでは私の持ち味がいかされていないと感じました。男社会で、長時間労働を良しとする会社の風土も合いませんでした。
辞めようと思ったタイミングで、入社時から希望していた国際事業部への異動が叶ったので、もう少しここで頑張ってみようと思い直しました。
しかし、同時期に結婚したため、出張の多い国際事業部で働き続けられるのか、迷いました。上司に退職の相談をしたところ、「役職のランクを1つ落として定時に帰る働き方に変えてみたらどうか」と提案されました。それなら続けられるかもしれない、と思って1年ほど働きましたが、辞めたい気持ちは変わりませんでした。時間じゃなくて、仕事のやりがいを感じられないのがつらかったんだと、そこでようやく分かったんです。
辞めるなら妊娠して育休をとってからにしようと思いましたが、なかなか妊娠しませんでした。妊娠を優先するか、転職を優先するか、相当悩みました。両方欲しかったんです。
夫に相談したら、何か資格を取ってから辞めたほうがいいんじゃないかと言われました。私が取れそうな資格を探し、見つけたのがキャリアカウンセラーでした。研修会社での経験も活かせるし、ライフイベントに直面して悩んでいる経験も活かせると思ったんです。働きながら資格の勉強をし、資格取得後、辞表を提出しました。
辞表を提出した1週間後に、妊娠が判明しました。ずっと子どもがほしかったので、嬉しかったです。その反面、すでに転職活動を始めていたので戸惑いもありました。
上司は「戻ってきてもいいよ」と言ってくださいました。夫は私の退職に元々反対していましたし、私自身も「辞めてブランクがあいたら転職先が見つからないかもしれない」という不安がありました。とても悩み、寝ても覚めてもそのことばかり考える日々がしばらく続きました。
しかし、辞めると決めた時点で、会社から気持ちが離れていたんですよね。この状態で仕事を再開するのは無理だと思いました。
誰かに相談したくても相談場所がない。紹介会社やハローワークに行っても、求人を紹介されるだけ。もっとその個人の視点に立って、中立的なアドバイスをくれる人がいればいいのに、と心から思いました。
会社には戻らず、転職活動もできないので、専業主婦になりました。ただ、あまりブランクがあくと仕事が見つからない、という危機感と、自分は専業主婦には向いていないという自覚があったため、出産したらなるべく早く再就職したいと思っていました。妊娠中の時間を有効活用し、情報収集をしたり、カウンセリングの勉強会に行ったりしていました。
そんな時、エスキャリアを紹介してもらいました。キャリアカウンセラーの講座のクラスメイトが、エスキャリアの城の元同期だったんです。エスキャリアから在宅でできる事務のお仕事を業務委託でいただき、出産直前まで働きました。頂ける仕事は一生懸命やって、少しでも信頼関係を築きたい、そんな思いで必死でした。
産後3ヶ月経った頃から、キャリアカウンセラーの仕事を探し始めました。求人サイトからもカウンセリング関連の求人に応募しました。しかし、未経験で子連れだったので、アルバイトでもなかなか面接まで進めませんでした。
もう社会復帰は無理かもしれない、と人生のどん底にいるような気分でした。産前に保活して保育園は確保していたので、あの活動も無意味だったのかと悔しい気持ちで一杯でした。
諦めかけていた時、エスキャリアから大手人材会社での模擬面接官の仕事を紹介していただきました。人間不信になっていたので、正直、稼働が確定するまでは疑っていました。採用業務自体は未経験なので不安もありましたが、週に1~2回業務委託での仕事を無事に始めることができました。
産後すぐは体の調子がとてもよかったので、仕事も難なくできると思っていました。しかし、まだ小さい子どもを保育園に預けるという罪悪感、それを親に反対されていたストレス、未経験の仕事をプロフェッショナルとして行わないといけないプレッシャーが重なり、仕事を始めてすぐに体調を崩してしまいました。
漢方が効いたことと断乳したことで、体調が回復し安定して仕事ができるようになりました。その後、専門学校での就職支援の仕事やエスキャリアの女性向け有料キャリアカウンセリングサービスの立ち上げにも携わり、順調に仕事の幅を広げていきました。
現在は、キャリアカウンセリングサービス「マイ・カウンセラー」の企画運営とカウンセリング、両方に携わっています。また、転職市場の動向や企業のニーズも知りたいと思い、人材紹介のリクルーティングアドバイザーもさせてもらっています。
仕事はとても楽しいです。時短社員や未経験の方の転職を実現できたり、制約のある方でもお仕事を紹介できることにとてもやりがいを感じています。
私にはやはり人材ビジネスが一番合っているんだと、前職で実感したので、私ができること、したいことはエスキャリアにしかないという思いで仕事をしています。回り道をしたからこそ、余計に想いが深まったと思います。
キャリアカウンセラーの仕事は1対1で、人に向き合う仕事です。誰一人同じ人はおらず、一人ひとりに人生のストーリーがあり、強みや持ち味があります。その多様性の素晴らしさを実感できる尊い仕事だと日々感じています。
今後は、「マイ・カウンセラー」を多くの女性に届けたいです。私のようにライフイベントやキャリアに悩む人たちが、もっと気軽にカウンセリングを受けられる、カウンセリングが日常的にある世の中になればいいなと思います。また、私がエスキャリアからチャンスをもらったことでキャリアチェンジができたように、キャリアに悩む人たちが前に踏み出すチャンスを提供していきたいと考えています。
教育研修会社、機械部品商社と通算10年の会社員を経験。結婚を機にキャリアカウンセラーの資格を在職中に取得。転職活動中に妊娠し、退職。妊娠中からエスキャリアに参画。現在はフリーランスのキャリアカウンセラーとして対女性、学生、求職者などのキャリア支援を幅広く行っている。一女の母。
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