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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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与えられた役割に精一杯取り組む。可能性を信じ悪戦苦闘しながら独立するまでの道のり。

キャリア研修講師として、組織と個人の支援に携わる中藤さん。自己主張が苦手で消極的だった中藤さんが、積極的に道を切り開き、独立するまでに至った経緯とは?お話を伺いました。

消極的で従順だった子ども時代

4人兄弟の長女として、新潟県で生まれました。

父は威厳があり、母はしっかりした人でした。両親が言うことに従っていれば間違いないと思っていました。そのせいか、自己主張が苦手で、消極的な子でしたね。相手から声をかけてもらわないとなかなか仲良くなれませんでした。

双子だったせいか、目立ちたくないという気持ちと、一人の人間として見てほしいという気持ちが行き来していました。小学校の先生も心配してくれ、少しでも積極性が育つようにと、生徒会の副会長をやってみるように勧められました。人前で話すこともある立場でしたが、そういう役目を与えられると、案外ちゃんと務めることができたんですよね。

中学でも高校でもクラスにはなかなか馴染めませんでした。でも、部活の友だちとはすごく仲が良かったです。部活が居場所でしたね。

大学は東京に行こうと決めていました。厳しい両親から離れて自立し、とにかく自由になりたいと思っていたんです。母が祖母の介護をしている姿を見て、福祉系の大学に興味を持ちましたが、介護の仕事は大変だから、と反対されました。母が熱心にいろいろと調べてくれ、東京の大学の社会学部に、指定校推薦で決まりました。

両親からの自立

親元から離れて、これからは自分でサークルもアルバイトも決めていこうと思いました。ただサークル選びは迷いもあり、父親から薦めてもらった英語サークルに加入しました。

英語でのスピーチやディスカッションをしたり、英語合宿に行ったりと、熱心なサークルでした。海外が好きで、英語の勉強はたくさんしていた割に、英語には苦手意識がありました。しかし思い切って大学のプログラムで短期留学に行ったり、中学からの夢だったモンゴルツアーに単独で参加したりしました。

大学3年生になると、ボランティア活動も始めました。少年院で非行少年の支援をするボランティアです。グループワークを通して少年とコミュニケーションを取り、心を癒すという役割でした。通っていた中学校でいわゆる不良少年がいたので、非行少年の更生について、なんとなく関心があったんですよね。ボランティアのなかには社会人や別の大学の学生もいてすごく刺激がある環境でした。

そして本格的に社会福祉の仕事に興味を持ちました。福祉に関わる機会があると思い、公務員試験を受けましたが落ちてしまいました。両親から地元に戻ってこいと言われましたが、自立できないと思い絶対に嫌だったんです。とにかくどこかに就職しなければと、民間企業にターゲットを切り替えました。社団法人や教育出版など、いろいろ受けてみましたが、結局希望していたところに内定はもらえませんでした。自分は必要とされない人間なんだと、すごくショックでしたね。

どん底に落ちて、人生を振り返ってみた結果、少年院でのボランティア活動やゼミで学んだ社会学を通して生涯教育にも関心を持ち、自分は「人の成長」に携わりたいんだと気づきました。

就職活動を失敗した経験から、就活支援にも興味がありました。そんなときに偶然「就活支援事業を立ち上げるために、新卒を募集する」という求人を見つけました。その会社は「ゆりかごから墓場まで」と生涯教育事業を掲げている会社でした。すぐに連絡を取り、面接で想いを伝えたところ採用してもらえることに。「自分の軸を持ち、熱意をもって挑めば認めてもらえるんだ!」と、すごく嬉しかったですね。

営業で人の役に立つ喜びを知る

大学4年生の秋から、内定をもらった会社でアルバイトとして働きました。半年間働いて、ドキドキで迎えた入社日。私たちに告げられたのは「新事業はたたむことになった」という言葉でした。翌日から新入社員の仕事がなくなり、教材の販売代理店に出向になりました。社会ってこんなもんなんだ、と思いましたね。

出向した会社は、完全歩合制の営業会社でした。社内の雰囲気はよく、月何百万も売り上げるような親世代の営業マンの方々が、自分の子どものようにかわいがってくれました。私は学生に対する教材の電話営業を担当しました。おとなしく聞いてくれる学生も多く、はじめは人を騙しているような気になることもありました。

でも、だんだんと営業がおもしろいと感じるようになってきたんです。同郷出身の上司が、物の見方や考え方を教えてくれたり、さまざまな経営者との会合に連れていってくれたり。ライフデザインという考え方を教えてくれたのもその上司でした。そのおかげでお客様へのセールスの視点が代わり、契約も取れるようになったんです。結局、電話営業は半年くらいで終わりましたが、同期はほとんど辞めてしまっていました。

残った私は、新規事業の英会話スクールに配属されることになりました。配属先では外国人講師の採用や、労務管理に携わりました。上司も外国人で英語を活用する多国籍の職場は刺激のある環境でした。履歴書などを見る機会が多く、様々な国の人の転職歴をみてキャリアへの興味が高まりました。また、営業に来ていた求人情報媒体の会社の女性がバリバリと働く姿をみて、とても刺激も受けました。ルーチンワークの多い業務内容だったので、もっとやりがいのある仕事をしたいと思うようになり、転職を決意しました。

何をやりたいか改めて考えてみたときに学生時代の就職活動のことを思い出し、「人の働く支援がしたい」と、人材派遣事業と求人情報サービスを運営するベンチャー企業に転職しました。人間的に成長することを社長が重視していて、そこに一番惹かれましたね。

求人情報媒体の営業では1日にテレアポ100件をするなど大変な面もありましたが、経営者の方とお話しする機会が多く、仕事はすごく楽しかったです。経営者の方から「新卒採用をしたおかげで会社の状況も良くなった」と感謝の言葉をいただけることが本当に嬉しかったです。

その後、営業企画に異動になりました。マーケティングやデータ分析を担当したのですが、営業に比べると苦手な仕事でした。また、毎日深夜近くまで働いて、早朝には会社に行くような生活を送っていたんです。営業は好きだったので、長時間労働も気になりませんでしたが、成果が見えにくい業務での長時間労働は辛く、心身の調子を崩してしまいました。相談相手もおらず、心が疲れきってしまい、止むを得ず2年半で退職しました。

会社員から独立、起業へ

前職で疲れてしまったのと、結婚も考えていたので、仕事のボリュームを減らしたいと思っていました。今までの経験から「人の働く支援」「企業の採用支援」「語学」という軸で転職活動をしました。そして、ご縁があって通訳翻訳者を主体とした人材派遣・人材紹介会社に転職しました。同じ頃に、大学時代からつきあっていた彼とも結婚しました。

30名規模の会社で、女性社長と一緒に自分も経営に携われている感覚がありました。私は人財開発事業部でコンサルタントとして働きました。働く人と組織の両方から感謝される仕事で、とてもやりがいがありました。

自分で仕事を創り出していく感覚が楽しく、順調な毎日でしたが、そんな時にリーマンショックが起こってしまったんです。勤めていた会社にも影響があり、メンバーが辞めざるを得なくなったり派遣スタッフが派遣切りにあったり。どう立ち向かえばいいのかもわからず、つらい日々が続きました。

そんな私を見た上司から「キャリアカウンセラーに話を聞いてもらったら?」とアドバイスをもらったんです。そこで初めてキャリアカウンセラーという資格を知りました。後日、改めて調べてみると、とても興味がわきました。競合他社との差別化として派遣スタッフ向けに「キャリア支援室」を社内に立ち上げたいと思いはじめ、その実現のために資格取得の勉強をはじめました。

今度は絶対にメンバーが辞めなければならない状況に遭うことがないようにと、営業活動にも力を入れ、売り上げの拡大も図りました。でもそんな矢先に、今度は3.11が起こってしまったんです。多くの外国人が帰国してしまい、がんばって受注した仕事も、ほとんどが白紙になってしまいました。

そんな折に、キャリアカウンセラー資格の合格通知が届きました。いよいよキャリア支援室を立ち上げようとしましたが、事業は縮小。それでも営業に力を入れて、一人でこなそうとがんばってみましたが状況は良くならず、次の方向性を模索することにしました。

キャリアカウンセラーの資格を活かして人の「働く」を支援ができる仕事をしたいと考えるようになりました。ちょうど大学の就職支援室の求人が飛び込んできて、応募したら即採用となりました。大学の時に就職活動を通しやりたいと思っていた仕事が長年かかってようやくできると感慨深かったです。

学生に向き合い、これまでの経験と資格を活かせる仕事はやりがいを感じました。さらに大学のキャリア研修講師の資格を取得し、大学で講師の仕事も始めました。

講師として1~2年先の仕事まで見えてきたので、独立することを決めました。独立してしばらくは個人事業主として、大学講師、企業での研修講師やキャリアコンサルティング、採用支援の仕事をしていました。

ある時、カウンセラー仲間から、大学での低学年向けのキャリア形成支援の事業を引き継いでくれないかというお誘いがあったんです。学生と日々接する中で、低学年からのキャリア形成支援が必要だと感じており、また自身の可能性の幅を広げる機会になると思い、その事業を引き継ぐことを決意しました。大学と取引をするためには法人格が必要で、急遽1か月で会社を立ち上げました。

個人と組織の成長につなげていきたい

現在は、会社を立ち上げ、キャリア研修講師・キャリアカウンセラーとして大学や企業向けの仕事をしています。今までと違い、自分で仕事を創り出すことやより専門性を追求することも必要だと感じています。

自分の会社以外でも業務委託として仕事をしていて、エスキャリアでキャリアカウンセラーとしてパートナー登録をしています。役員の城さんと研修のお仕事で知り合い意気投合し、パートナー登録を勧めていただいたのがきっかけでした。エスキャリアは多種多様な女性が自身の専門性を発揮して働ける場を創り出していて、社会貢献度が高い会社だなと思っています。

今後は引き続き、人の働くことと働く場の支援に携わっていきたいですね。親に言われたからとか、やりたいことがないとか、自分で考えて行動できない学生もけっこう多いんです。また変動の多い世の中で、いきなり職場を失ったり、働く意味を見出せなくなってしまう人を多く見てきました。

かつての私も周りに流されたり、状況の変化に立ち向かうのにとても苦労してきました。そんな私でも、試行錯誤しながら道を切り開いてきた結果、今では独立し、自分の会社を持ち、使命感を持って働いています。だからこそ、人は成長するんだという想いで、誰もが主体的に自分のありたい姿に向かって行動できるように支援していきたいと考えています。


中藤 美智子 さん
40代前半 / キャリア研修講師/キャリアカウンセラー

大学卒業後、教育関連会社、採用支援系ベンチャー、人材派遣・紹介会社にて、営業・営業企画・コンサルタントとして勤務。大学のキャリアセンターでの就業支援を経て、キャリア研修講師として独立、起業。エスキャリアにはパートナー(業務委託キャリアカウンセラー)として登録している。

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