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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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一度しかない人生で、絵画教室を。子どもの自由な表現×お母さんの支援を目指して。

絵画教室・制作・キャリアアドバイザーと多方面で活躍する小金澤さん。幼少期から絵を描くことが好きだった小金澤さんが絵画教室を主宰するまで、またエスキャリアでの勤務をスタートした経緯とは?お話を伺いました。

幼少期から絵を描き続ける

埼玉県で生まれ育ちました。5歳上の姉と仲が良く、賑やかな子どもでした。両親が共働きで、幼い頃は祖母の運営する保育所に通っていました。祖母は、やりたいことをやらせてくれて、褒めて育ててくれました。

物心ついた頃からお絵かきが好きで、祖母が褒めてくれるものだから、私はすごく絵が上手なんだと思っていたんです。絵画コンクールでもずっと賞をもらい、小学4年生になる頃には、将来絵を描くことを仕事にするんだと思っていました。

中学でも絵画コンクールで選ばれ続けました。執念を持って絵を描いてましたね。両親は私のやり方を否定しませんでした。要領が悪く、5教科は頑張ってもギリギリ平均点をとれる程度でしたが、「勉強しなさい」とも言わず、絵を描き続けることを許してくれました。

中学2年、周りに受験の話題が出る頃、美術高校に行きたいと考えて調べました。実技試験があることを知って、両親に予備校に通いたいと頼み込みました。「どうしてもやりたいなら良いよ。自分で言いだしたなら最後までやりとおしなさい」と応援してくれました。予備校に行ったり、美術の先生にデッサンを教えてもらったりして、無事、美術学科のある高校に進学できました。

高校は最高に楽しかったです。午前だけ勉強して、午後は全部制作活動。一日中存分に絵を描くことができるんです。高校では、コースも細かく分かれていました。平面デザイン、建築、プロダクトデザイン、日本画、彫刻、油絵など。その中で一番興味を持ったのが建築デザインでした。

2年生になると、美術大学受験のための勉強を始めました。一番絵を描き込んでいた時期ですね。朝7時半から9時まで、授業が終わった後17時から21時まで、デッサンをし続けました。建築デザインを学ぶことができる大学を探し、進学しました。

美術とデザインの表現の違いを知る

入学試験はデッサンと建築のイメージ図だけでした。でも入学すると、数学・物理の授業があり、ひどい成績をとりました。模型づくりの授業では、手先が不器用で精密に作れず、ぼろぼろで酷評を受けました。

また、高校まではただ好きなものを表現していたら良かったんです。でも大学に入って「デザイン」になると、商業的に、人がより買ってくれる表現も必要になるんです。ただ描くだけと違って、リサーチをしたり機能面を追求した先の表現など今までと違った評価方法に悪戦苦闘、良い成績もとれなくなりました。

大学で学んだことはたくさんありましたが、4年生になり就職を考えた時、建築業界で働いていく自分がうまく想像できませんでした。「思っていた仕事じゃない」と思うんじゃないかと不安でした。また、一度社会に出ると、二度と絵画に触れることはないんだろうなと思いました。悩んだ末大きく方向転換。大学院で絵画を勉強し直すことにしました。

大学院に進学し、油絵を専攻しました。2年間は夢中でしたね。「何か習得しなければ、個展を開いて実績を出さなければ」と思っていました。この頃から漠然と将来は絵画教室をやりたいなと考え始めました。

化粧品の販売からデザインの仕事へ

就職活動では絵画関係を考えましたが、就職先がほとんどありません。建築事務所も受けましたが、ことごとく落ちました。「自分に何ができるんだろう」と考えた結果、コスメに興味があり、メイクアップなどは絵を描くことに通じると考え、外資系化粧品メーカーの販売員として就職しました。

入社すると百貨店に配属されました。お客様のお化粧をして喜んでもらえるのは嬉しかったです。でも数字を追いかける日々がつらく、本当に向いていないと思いました。毎晩のように泣いていたかもしれません。「大学院まで行ったのにやめちゃったんだ」と思われるのが嫌で、耐えていましたね。どうしても絵画の世界にいたくて、お給料を全部つぎこんで、仕事以外の時間で制作をしたり、個展を開いたりしていました。美術から離れたくなくて必死でしたね。

この会社にいたら販促関係の部署にいけるかもしれないと思っていたんです。そうしたらデザインの仕事ができると考えていました。でも先輩と話していると、販売職で入社して販促の部署に行くのはかなりの狭き門だと感じ、半年後には退職を考え始めました。

冬になり、転職活動を始めた頃、友人の紹介でデザイン関係の仕事をさせてもらえる会社に出会いました。

化粧品の企画製造・デザインをしている会社で、商品企画・販促の仕事をすることになりました。10名以下のベンチャーでノウハウも経験もない中、必要に迫られて、輸入の手続きや薬事の申請を全部自分で調べながらやりました。大変でしたが、夢中で働きました。最初は好きなことをさせてもらえて楽しかったですが、新しいことを必死に覚え、生活のために働いているうちに、いつのまにか絵画教室への想いも消えてしまっていました。

3年後、年収アップやもう少し大きな規模での仕事をしたいと思うようになり、転職を考え始めた頃、販売系スタッフの派遣会社に巡り会いました。

お客様のご要望で販促ツールを充実させたいということで、イベントで使うノベルティなどを制作する部署の新規立ち上げをしました。依頼された仕事は何でも受けました。良い雰囲気の会社で居心地も良く、精神的にも安定していましたね。

入社して3年ほど経つ頃、会社がデザイン会社を買収したんです。受注規模も案件も段違いに大きくなり、自分がやってきたことが認められた気がして嬉しかったですね。

ちょうどその頃、結婚・妊娠をしたんです。産休・育休を取得し仕事も一気にペースダウンしました。

キャリアカウンセリングで漠然とした未来を明確に

第一子出産後、育休中に産後ケア教室に通いました。体のケアだけでなく、自分の人生・キャリアについて「本当は何をやりたいんだろう」って考える時間があったんです。その時「あれ?」と思いました。会社は居心地が良いし、福利厚生も充実している。でも10年後もやりたいか、と考えると、違う気がしました。

本当は絵画教室をやりたかったと、学生時代たくさん悩んだ将来の夢を思い出しました。でも漠然としていて、どうしたら良いかわかりませんでした。産後1年ほど、もやもやしていましたね。一人で悩むのも限界だと思い、誰かに相談しようと思いました。

転職エージェントと、知人、そしてエスキャリアの岡本に相談しました。3人みんな言うことが違いました。「やりたいと思ったら今すぐやれ」という意見があったり、「いつまでにどうする、を作ったらどうですか」と考え方の提案をしてくれたり。多少混乱しましたが、一人では思いつかないことを言ってもらえて、これが絶対正しいと思わず、考えを広げてみようと思いました。

その中で、岡本が一番心地良い助言をしてくれました。「大胆なところと、現実を見る力、両方が同じくらいあって、その間を行ったり来たりして悩んでいる」と私の状況を解説してくれて、「少しずつやっていけば良いですよ、あなたならきっとできるから」と言ってくれて。救われたというか、自分のペースでやっていけば良いんだと思えました。

やることタスクも出してくれたんです。家族と話し合う、とか。「3ヶ月後に振り返ってみたら、できているから」と。3ヶ月後、本当にできていたんです。「着実にやればできるんだ!」って自分に自信も持てたし、心地よかったです。

岡本と話していて、私の本当の悩みは絵画教室の進め方だけでなく、「休日にやって子どもは大丈夫かな?」とか「家のローンは?」とか、子育て・パートナーシップなど家族に関するもやもやだったと気付きがありました。岡本はそこにフォーカスして、家族との話し合いの仕方なども助言してくれて、現実にある引っかかりを解消してくれました。

子どもが自由に表現できる絵画教室を

その後、週末だけ、絵画教室を始めました。最初はガチガチに緊張しましたし、集客が上手くいかず参加者がゼロの時もありました。

集客で悩んだ時には原点に立ち返りコンセプトを練り直します。目指したのは私の祖母のような先生。子供が自由に発信したり表現したりできる場所を作り、たくさん褒めて表現することに自信を持ってもらえるような教室にしたい!と、運営しながらコンセプトを詰めて発信していきました。

少しずつ上手くいくようになると充実感を味わえました。そうすると、会社と絵画教室、どちらも中途半端だなと思うようになりました。初めはボランティアでしたが、絵画教室で利益を出してやっていきたいと思ったんです。「区切りをつけなきゃ」と思い、複業ができる会社に転職しようと転職活動を始めました。

派遣でもアルバイトでも良いから両立できるところを調べ始めた時、エスキャリアがオープンポジションで複業可能な求人を出していたんです。見てすぐに応募しました。岡本のキャリアカウンセリングを受けた時から、エスキャリアの企業理念に共感して、良い会社だなと思っていたんです。

「自分らしい人生を生きる」というのが、まさに私だなと思いました。少し前までは、定年退職するまで働いて家のローンを返して子どもを育てて、というのが正だと思っていたんです。でも一度しかない人生を考えて生きたら、絵画教室もできた。「世間一般がこうだから」と思って、やりたいことができていない人がいるなら、私が入って支援することによって人生が変わる人が出てくるかもしれない。そう思ってエスキャリアに入りたいと思いました。

絵画教室とお母さん支援を同時に実現したい

現在は、エスキャリアにて、営業資料やパンフレットなどの制作と、キャリアアドバイザーを兼任しています。また、元々勤めていた販売系の派遣会社でも、引き続きアルバイトとしてデザインに関わっています。

デザイン関連の仕事はとても楽しく、エスキャリアを世の中にどういうかたちで知ってもらうかをアウトプットする仕事はやりがいがあります。

制作の他、転職支援のキャリアアドバイザーもやりたいと自分から伝えました。岡本に救われたので、私もキャリアのことで迷っている人の背中を押してあげられる存在になりたいと思ったんです。「未経験だけどできないですか?」と言ったら、代表の土屋から「できるかできないかじゃなく、やるかやらないかだ」って言われて。じゃあやりたいです!って(笑)。

制作はずっとやってきたことですが、キャリアアドバイザーは初めてなので、面談後は疲れますね(笑)。でも、絵画教室でもお母さん世代の話を聞くことがあり、絵画教室の保護者とエスキャリアのカスタマーは同世代なので、悩みなど繋がることがあるんじゃないかと思いながら、日々勉強させてもらっています。

今後は、エスキャリアと絵画教室を近づけていきたいですね。今、絵画教室では子どもにフォーカスしていますが、お母さんの支援にもなるのでは、と思っています。例えば、学童を運営しながら絵画教室をできるような施設があれば、エスキャリアのパートナーさんが子どもを預けられるんじゃないかなとか、共働きやシングルマザー世帯が夜ごはんまで一緒に囲めたら良いなとか。いろいろ考えが膨らみます。明確なゴールはまだ見えてはいないですが、遠い未来には、自分のアトリエを持ちたいと思っています。


小金澤 亜喜 さん
30代前半 / 株式会社エスキャリア 勤務/絵画教室講師

大学院卒業後、外資系化粧品メーカーの販売職、化粧品の企画製造・デザイン、ECサイトの企画・運営・デザインなどを経験。本業の傍ら、趣味でイラスト・挿絵を手がける。第一子出産後は、ママデザイナーとして、子育てをしながらデザイン・イラストの制作にあたっている。2014年より絵画教室を主宰。2017年よりエスキャリアにて、制作、キャリアアドバイザーを兼任しながら、パラレルキャリアを歩んでいる。

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