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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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大切なものを、きちんと大切に。病気を見つめ、弱みを強みに変え、柔軟に進んでいく。

フリーランス、在宅ワーカーとして、多岐にわたる業務に携わる今村さん(仮名)。育った家庭や病気を見つめ、出産を経て、その時々でベストな選択をしている今村さんが、今大切にしたいもの、働き方とは?お話を伺いました。

頑張っては疲れ、悩み続けた人間関係

神戸で生まれ育ちました。幼い頃から、何にでも興味をもつタイプでした。

幼少期は水泳中心の生活でした。小学生の時は、みんなが遊んでいる時間にずっと泳いでいました。でも高学年の頃、「自分は何をやっているんだろう」と、はっと思ったんです。上手に人間関係をつくっていけるタイプではないのに、友達と遊ばず、話にもついていけず。勉強も最初はできていたのに、できなくなっていました。「これではダメだ」と思って中学入学前に水泳をやめました。

中学と高校では勉強も部活も人間関係も頑張ろうとしましたが、最初は頑張れてもすぐに疲れてしまいました。例えば、盛り上げ役になっても周りに頼られ始めると疲れるんです。頑張ってはしんどくなる、を繰り返しました。何にでも関心はあるのに、どれも中途半端でずっと悩んでいましたね。

高校は普通科総合選択制で、実用的な専門科目も学べる高校を選びました。授業は5教科に加え、情報マネジメントの専門科目を選択しました。専門科目の授業自体は楽しめましたが、5教科の授業が他の学校に比べるととても少なく、進路を考えるのが大変でしたね。塾にも行かず、部活も高校3年生の夏までしていたので、引退後は勉強を頑張りました。不安な受験でしたが、意地とプライドで自分が行きたいと思える学部のみを受けました。

家庭への違和感から、自立を目指して

私立大学の総合情報学部に進学しました。通学時間が長い上に、夜遅くまで授業があり、初めて家から離れる時間がたくさんできたんです。アルバイトも始めて、いろいろな人の話を聞いたり自分でお金を稼いだりするようになって、自分の世界が広がりました。それで、自分の根本的な問題は家庭にあると気づいたんです。

両親は、とても家族を大事にする人で、良くも悪くもとても距離が近く、かえって反抗していました。年子の姉は張り合うことも多く、悩んでもうまく話をすることができませんでした。そんな環境で、誰も心から信頼することができず、ずっと自分だけの居場所を探していました。何があっても味方になってくれる人がほしかったんです。早く自分だけの家族がほしい、将来は専業主婦になりたいと思っていました。大学で自分の世界が広がってからは、「家を出て自立しないと人としてダメになる」と思うようになりました。

就職活動では、いろいろな業界を見るなかで、柔軟性に富んだ考え方に惹かれ、無形物を扱う会社を中心に受けました。人材会社にも興味があり、いくつか説明会へ行きましたが、ホスピタリティという面でのやりがいは多く聞けるものの、人を商品として扱うことに関する難しさや厳しさの説明はあまりなく、違和感や不安を感じていました。

そんな中、ある会社の選考過程で「グループ会社の人材紹介業の方が合っているのでは」と紹介いただいた会社へ入社を決めました。お会いした人事や役員の方が魅力的で、きちんと話も聞いてくれて、表面的な綺麗事だけでなく、仕事の難しさや厳しさも教えていただき、「ここならバランス良くやっていける」と感じたからです。

「将来は専業主婦になりたい」と面接で話したのを聞いて、「将来主婦になるのなら、今しかこんな機会はないだろう」と人事の方が東京本社へ配属を決めてくれました。

病気、異動、退職。体調を理由に仕事をできない悔しさ

入社後、キャリアアドバイザーに配属されました。自分でも他人の感情に敏感な面が向いていると思いましたし、キャッチアップも比較的早くできました。また、チームの人はしっかりサポートしてくれ、良い環境でしたが、毎日夜遅くまで働き、身体は消耗していきました。結果が出るようになってからも仕事に追われ、楽しむ余裕はなかったですね。

入社2年弱で、金融業界の法人営業に異動になりました。ちょうど仕事の広がりに限界を感じ、次のステップに悩んでいたので、意欲も高かったです。

しかし、翌月、病気が判明したんです。たまたま胃腸炎にかかり、内科を受診したところ「急いで婦人科の診察を受けた方がいい」と言われ、精密検査をすると、大きな腫瘍が見つかり、すぐに手術が決まりました。手術となると最低3ヶ月は休まなければならず、異動直後で仕事もこれから!という時でしたが、どうしようもなく、休職し、実家に戻りました。あっという間の出来事で選択肢はなく、でも今できることをするしかないと悲観的にはなりませんでした。

手術から数ヶ月後、まだ通院の必要があったため、大阪支社でキャリアアドバイザーとして復職しました。復帰に不安はなかったものの、大阪と東京では仕事面でも環境面でも大きなギャップがあり、無理をしてしまいました。自分の仕事もしながら、後輩の教育や法人営業のサポートなど、いろいろやっているうちに、再度体調が悪くなってしまいました。

新しい知識も技術も得られず、自分を食い潰すような働き方で、自分がどうしていきたいか、わからなくなりました。同時に体調面でも限界を感じたので、働き方と身体との付き合い方を見直そうと、復帰後4ヶ月ほどで退職を決めました。

業務時間の短縮を目的に、一般事務・バックオフィスの仕事を探し、知人に紹介されたメーカーのマーケティング部に転職しました。営業の人の話をベースに次の戦略を考える内勤の仕事で、サポートながらもやりがいがあると思ったんです。

カルチャーの違いなどに戸惑いつつも、意欲高く仕事に取り組んでいましたが、だんだん仕事量が増え、再び自分を追い込んでしまいました。その頃、結婚を考えており、相手からも、体調を考えて「一回仕事やめなよ」と言われていました。

でも、やってほしいと言われていて、自分もやりたい仕事を、体調を理由にできないと言うのは悔しく、なかなか受け入れられませんでした。いつかは専業主婦になると思っていましたが、きちんと外の世界を知って、自分で生活できるようになって、結果を残してから、専業主婦になりたかったんです。納得して辞められないのはとても嫌でした。仕事でもやっぱり中途半端だなと落ち込みました。

ただ、「次に大きな病気になったら、子どもを産めないかもしれない」とも思っていたので、「一度完全に体を治そう」と、結婚するタイミングで退職しました。

大切なものに気づき、強さを得る

結婚後しばらくは身体を休め、半年後、何かできることがないかなと考えていた時に、妊娠が判明しました。しかし病院からは「あなたの身体では、何があるかわからないから安静にしておきなさい」と言われ、あまり家から出ずに妊娠生活を送りました。自分と家族・子どもとの関係、そして自分自身のことをゆっくり考えることができました。

無事に出産後、少しずつ気持ちに変化が芽生え、会社員や専業主婦という枠にこだわらず、できることをやれば良いんじゃないかと思い始めました。子どもと過ごす中で、健康の重要性や柔軟な対応を学び、長期的に物事をとらえるようになりました。そして、肩の力が抜け、今はやれることをやったらいいかと思うようになりました。まずは何か仕事につながる資格をとろうと思い、会計ソフトの認定インストラクターの資格をとりました。それをもとに、知り合いから頼まれた仕事をし、仕事が仕事を呼んで、少しずつ仕事を増やしていきました。

子どもが1歳の頃に2人目を妊娠しました。病気と子育てを通し、人間として大きく成長することができました。夫や子ども、家族の大切さを感じ、自分や周りを大切にしてこなかったことにも気づき、弱さを認め、強さを得ることができたと思います。

目の前にあるできることを着実にやっていく

上の子どもが幼稚園に行き始めた頃、仕事を増やしていこうと思いました。仕事がしたいというより、自立した自分を忘れないために、家族以外と過ごす時間、自分で稼いだお金がほしかったんです。

何かできることがあるか探していた時、1社目の同期だったエスキャリアの城が声をかけてくれました。ちょうどエスキャリアが拡大しはじめた時期でした。最初、城が「経験になるような仕事をしたほうがいい」と、がっつり仕事をできる案件を紹介してくれました。嬉しかったんですが、不安もあり、なかなか踏み込めませんでした。

仕事を探し始めて1年ほど経った頃、エスキャリアの岡本と改めて話をする機会があり、研修事務や採用代行の仕事を紹介してくれました。この提案により、自分の環境やスキルでも、様々な仕事ができることを教えてもらいました。それからは、その時々で状況を判断して仕事を受け、目の前にあるできることを着実にやっていくことを心がけました。仕事ができること、依頼していただけることに素直に感謝して取り組むうちに、自分は働くことも好きだったんだなと気づきました。

大切なものを、きちんと大切にする

現在は、フリーランスの在宅ワーカーとして、エスキャリアでもその他でも様々な業務に携わっています。企業の採用代行や、研修課題の添削、制作物作成代行、会計ソフト等のインストラクター、決算補助、事務代行など、多岐にわたります。

仕事にこだわりはなく、自分が役に立てることをやりたいと思っています。何にでも興味を持てますし、簡単な仕事でも着実にやっていけば評価してもらって次に繋がると思っています。謙虚さ、素直さを忘れないようにしたいです。

まだ30歳前半、コアがなくても問題ないと思うようになりました。次に繋がる仕事ができたら良いです。これ!というものがない中途半端な自分がコンプレックスでしたが、今は「何にでも興味を持てる」ことが強みになると思っています。明確に立場を示していれば、相性の良い仕事にも出会える可能性が高いです。

今後は、これ!というものを見つけられたら良いですし、タイミングが合えば頑張りたいです。でも、見つからなくても、それはそれで良いかなと。

昔は在宅ワークができると思っていなかったので、専業主婦になりたかったです。でも仕事から学べることも多いので、やれる仕事があるなら、やっていきたいと思うようになりました。その時々の状況に合わせて、多様な働き方を選択していきたいです。そうすることで、子どもに伝えられることもあるかなと考えています。

今、私にとって一番大事なのは、心身を健康に保ちながら、子どもと家庭を大切にすることです。病気や結婚、子育てを通して、自分の地盤を固めることができ、人を信じることができるようになりました。これからも、大切なものをきちんと大切にできる環境を第一に選択していこうと思っています。仕事は、家庭の状況や自分の心身・性格を考えると、当面は在宅ワーク中心になると思いますが、今後も、その時々に合わせて柔軟に変化させていきたいです。


今村 祥子(仮名) さん
30代前半 / オンラインアシスタント/HRスペシャリスト

大学院卒業後、人材紹介会社でキャリアアドバイザー、リクルーティングアドバイザーを経験。病気のために休職、復帰後しばらくして、メーカーのマーケティング部に転職。3年勤めた後、結婚を機に退職し、フリーランスへ。HR業務、事務など、在宅で様々な仕事に携わる。

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