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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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大切なことを、大切にするために転職。仕事で辛い思いをするママを減らしたい。

エスキャリアにて、リクルーティングアドバイザーとして働いている八木澤さん。一時は働く意味を問い続けて辛い日々を送った彼女が、キャリアカウンセリングを通して見つけた大切にしたいもの、新たな目標とは?お話を伺いました。

頼まれたら断れない性格に

両親と妹の4人家族で、神奈川県で育ちました。

小学3年生になった頃、英語教室に通い始めました。日本語でない言語を使って人と喋れるようになり、世界が広がっていく感覚がすごく楽しかったです。先生が外国人だったので、新しい価値観に触れられたのも刺激的でした。

同じ頃、友だち同士で交換日記をするのが流行りました。私も仲の良い友だちと交換日記をしていたのですが、メンバーの中に、すごく上手に書く子がいたんです。ある日、その子の書き方を真似して書いてみたら、その子は真似されるのがすごく嫌だったみたいで。「このメンバーに入らないで!」と仲間外れにされてしまったんです。とてもショックでした。

担任の先生に励ましてもらうことで、心の整理ができ、学校に通い続けることができました。しかし、この出来事がきっかけで「人に嫌われたくない」「みんなに笑っていてほしい」という気持ちが芽生え、それから人から物事を頼まれたら断れなくなってしまいました。

私の断れない性格を知ってか、学級委員を推薦で決めるときは、いつも私に票が集まりました。結局、ずっと学級委員を引き受けていました。中学生になっても、その性格は変わらず、学級委員に加えて生徒会まで引き受けていました。

新しい価値観を知る喜び

英語が好きだったので、英語の授業が週に10時間以上ある公立高校に進学しました。すごく自由な校風で、帰国子女も多く、いろいろな価値観を持った子がいました。そのおかげで「人っていろいろな考え方をしていて、どんな考えでも受け入れられるんだな」「これだけ価値観の違う人がいれば、合う、合わないはあるよね」と考えられるようになりました。

進路を本格的に考え始めた時、ある大学のオープンキャンパスで国際関係の授業を体験しました。それがすごくおもしろかったので、その大学の国際関係学科に入学しました。

大学では、オープンキャンパスで授業を担当していた教授の授業やゼミに熱中しました。先輩も後輩も、いろいろな考え方を持つ人が多く、刺激的でした。

寄付やバザーで集めた資金を途上国に支援する活動を行う他大学のNGOに所属し、支援先での生活を体験するツアーにも参加しました。1ヶ月間貧しい農村を回り、彼らが1年に1回しか食べられないようなご馳走でもてなしてもらったこともありました。自分がいかに恵まれているか、そしてこんなにも違う世界があることを実体験し、価値観がすごく変わりましたね。

長期休みに入る度に、友だちとバックパックを背負い旅にも出ました。とにかく何でも見て、体験して、食べて!新しいことを体験するのがすごく楽しかったです。

大学3年生の終わりから1年間アメリカに留学しました。語学学校では、日本人同士でも英語で会話していました。貴重な期間だからこそ、英語を身に着けたいし、他の国から来ている人とも友達になりたかったからです。同じ思いの日本人とそれを続けたことで、いろいろな国の友だちができました。

相手を知るために、自分の考えを伝える

1年間の留学を経て帰国し、就職活動を始めました。貧困問題など国際関係に興味があったのですが、まずは自分が生活する日本の経済について学べるところがいいと考えました。そこで就職先を金融機関に絞り、証券会社から内定をもらうことができました。面接をしてくれた人事課長が、私の話をすごくよく聞いてくれて、この人の下で働きたいと強く感じたので入社を決意しました。

新人研修後、国内の法人営業部に配属されました。日本国債や社債が売買される部署で、機関投資家と呼ばれる金融のプロが相手でした。最初は「知識もない新人に、うちの会社を担当させるなんて!」と抵抗を感じるお客様もいましたが、めげずに毎日「今日のマーケットはこうなりそうです」と自分の相場観を伝える電話をかけ、リレーションを築いていきました。

お客様が何を考えているかを教えてもらえないと始まらない仕事だったので、自分はどう考えているのかを相手に伝えることを意識して、何もない日でもメールや電話で情報提供することを心がけました。ミスもたくさんしましたし、厳しく指導されることもありましたが、すごく楽しかったです。

会社が合併するタイミングで、海外の法人営業部に異動しました。好きな英語を使った業務でしたが、国が違うことで同じ商品であっても投資の考え方も違い、新たな学びとなりました。その後、部内異動で再び国内の法人営業となりました。仕事が面白く、つい熱中してしまい、帰宅が遅くなることが多かったです。

当時同じフロアにいた彼に「結婚するならそんな働き方を続けてほしくない」と言われ、会社の方針もあったので、自ら希望部署を伝えて、結婚するタイミングで異動しました。

金融商品の開発部署に異動し1年が過ぎた頃、妊娠が判明しました。少し早めに帰れるよう配置替えをしてもらったのですが、流産してしまいました。仕事が理由ではないとわかっていましたが、とてもショックでした。もしまた妊娠・出産を経て、職場復帰したとしても、この仕事を続けるのは難しいかなと思い、辞めることを決断しました。

転職後すぐ、妊娠。自分を押し殺して働き続けた日々

辞めたあとは、専業主婦になりました。でも、仕事を辞めてまでやりたいことを見つけることができず、案の定、3ヶ月も経たないうちに手持ち無沙汰になりました。自分は何も生み出していないと感じるようになり、経済的な自由がなくなるのも嫌で、転職活動を本格化しました。

今までの経験が生かせて、残業が少ない仕事を探したところ、金融市場に特化したメディアでの記者のアシスタント職を見つけました。無事に入社が決まったものの、試用期間が終わる頃に、妊娠が判明。なんとか会社に受け入れてもらい、入社して1年弱で産休に入りました。

1年間の育休を取り復帰しましたが、子どものお迎えのため残業ができず、夕方5時以降の対応は先輩の女性社員に任せなければなりませんでした。それに加え、夫が病気になってしまい、フルタイムで出勤する余裕がなくなってしまったんです。

会社で認められていた在宅制度を最大限使わせてもらい、週に3日は在宅で仕事をしました。ただでさえ入社後すぐ妊娠したことで肩身が狭かったのに、周囲の不満をさらに募らせることになってしまいました。

そんな折に、商品知識があったこともあり取材記事を書くことになりました。アシスタント職では異例のことでした。その後はこれまでの業務に加えて記事も書くことになりました。

私は新設されたアシスタント職と記者職を兼任するアシスタント・レポーターとなりました。これを昇格と理解して不満を持たれる方もいて、働きづらいと感じることが増えました。

復帰して1年半が経った頃、第二子の妊娠が判りました。通常業務を行いながら大幅なサービス変更と引継ぎが重なり、全然時間が足りず、帰宅後も深夜に大きなお腹で仕事をしました。

次第に、本当にこれがやりたかった仕事なのかな、と考える機会が増えました。取材は好きだったのですが、夜中まで仕事をしていることに意味が見いだせなくて。そんな状態の私を見ていた夫は我慢ならなかったようで、働き方について度々大喧嘩しながら、2回目の育休に入りました。

キャリアカウンセリングで気づいた、本当の気持ち

同じ保育園のママに誘われ、育休中にエスキャリアのイベントに参加しました。そこで初めて、相談者に寄り添った「マイ・カウンセラー」というキャリアカウンセリングサービスを知りました。企業からの紹介手数料を前提に実施される無料のキャリア相談とは違い、有料だからこそ、私のことを一番に考えて答えを出せるように導いてもらえるのではと思い、藁をもつかむ思いで相談してみることにしました。

カウンセリングでは、悩みをわーっと話し、整理してもらいました。転職するのが良いのか、現職に留まるのが良いのか、いったん家に持ち帰って考えてみることになりました。転職サイトに登録して転職活動も始めてみましたが、2回目の育休で、かつ、繁忙期と重なったため、早々に職場復帰することにしました。復帰後も休んでいたんだから頑張るのが当たり前だと思っていましたし、断れない私の性格もあり、仕事が忙しくて転職活動どころではなかったです。

復帰当時は保育園が地元で見つからず、5ヶ月ほど子連れ通勤を経験しました。会社近くにある高い認可外保育園に預けて働く意味を改めて考える機会にもなりました。。

それに加え、夫と「残業をしない」約束で復職したのに、私は仕事を断れず、結局体力的にも時間的にもギリギリの状態で仕事を行っていました。

働き方を変えられないまま仕事を続けた結果、夫とまた大きく衝突し、家族として続けられるのかという問題にまで発展してしまいました。そこでもう一度、「マイ・カウンセラー」に相談することにしました。

自分の現状と、やりたいことを可視化してもらった結果、「やっぱり元の家族に戻りたい」という思いが明確になりました。自分の手に乗せられるものは限られているのに、私が手に乗せていたものは、自分が大切にしたいこととは真逆のものでした。大切にしたいことを大切にするために、意味を見いだせない仕事を手放すことを決心しました。

その頃、周りに私と同じように悩んでいるママ友がたくさんいたこともあり、働くママたちに役立つようなことが仕事になればいいなぁと思い、エスキャリアの転職支援サービスに登録しました。ちょうどエスキャリアでリクルーティングアドバイザー職を募集していたので、選考に進むことになりました。

面接では、代表に「エスキャリアは、本質的に自分らしく生きられるようサポートする会社で、社員もそうでなければ意味がない」と言われ、心に響きました。私も素直にエスキャリアに貢献したいと思いました。

私のように辛い思いをする女性を減らしたい

今は、エスキャリアにて、転職支援のリクルーティングアドバイザーをしています。

未経験ですが、法人営業の経験や企業への取材経験があったので、抵抗なく仕事をしています。オフィスで黙々とデータ関連の仕事をするより、外でお客様と接することがとても楽しいです。何より、企業と求職者をつなぐ、両者をWin Winにする仕事にやりがいを感じています。

私は出産・育児というライフイベントを経て、自分らしさを見失い、大切な家族を大切にできない日々を過ごしました。他の人にこんな思いをしてほしくないんです。だからこそ、ライフイベントの変化に柔軟に対応できる人や企業を増やしたいと思うようになりました。将来的には女性のキャリア支援において、何かしらのプロになりたいと考えています。

やっぱり私は人と何かをするのがすごく好きで、その人たちと苦しくても何かを乗り越えるのが楽しいんです。前職では一人で完結する仕事も多かったので。仕事は辛いことがあっても、楽しくできる場所であることが理想だと思うんです。信頼できるメンバーがいて、仕事のことを誇りに思えて。エスキャリアでなら、そんな働き方が実現できると信じています。


八木澤 寛子 さん
30代後半 / 株式会社エスキャリア リクルーティングアドバイザー

大学卒業後、証券会社で国内外の法人営業を担当。結婚を機に金融商品の開発部に異動ののち、退職。3ヶ月間の専業主婦を経験した後に、メディアに再就職し、アシスタント業務や記者業務を担当。働き方や家庭との両立で悩み、相談者としてマイ・カウンセラーを利用後、転職活動を行い、株式会社エスキャリアに入社。二児の母。

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