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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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ただここにいる幸せを求めて。コーチとして自分の人生を生きることに寄り添っていく。

会社員として働きながら、母となった女性向けのコーチングも行っている藤居さん。答えを外側にばかり探して生きていたという藤居さんが、自分らしい人生を生きられるようになったきっかけとは。お話を伺いました。

母が望む子どもでいた子ども時代

宮城県で生まれました。小学校2年生のときに父が会社を辞めて独立し、両親で会社を始めました。両親はいつも忙しく週末はよく家族で出かけましたが、家の中は気持ちの余裕がなくピリピリしているときが多かったです。怒ったときの母は怖く、私は必死でしたね。自分の感情を抑え、母が望む言葉を言うようになりました。

小学校では優等生でした。周りは幼く、自分だけ大人のように思っていました。授業も友達と遊ぶことも楽しいと思えず、図書館が居場所でした。

小中学生の頃、新体操と書道を習っており、特に書道は面白かったです。自分の世界に没頭する楽しさがありました。中学1年生で、全国の大会で賞をとって中国に派遣されて、万里の長城を見ました。圧倒的なスケールに触れて、自分の生活との乖離を感じて帰ってきました。それが何かわからなかったけど、ここから抜け出したいという気持ちだけはあって、勉強だけはしっかりしました。良いところに行けば何か変わるだろう、と期待して進学校に入学しました。

進学した女子校では、体操部に入りました。部活をしながら成績もキープし、クラスの友達とも楽しくやっていて、それなりに満足していました。ただ、体操を一生懸命していた頃、食事制限をするようになりました。すごく激しい運動をするのに、食べられない。その後、反動で夜中に過食をするようになり、摂食障害を発症しました。

高校に入学した頃から、家から離れたい、大学では絶対一人暮らしをするぞ、と思っていました。高校時代、唯一興味を持っていた地学を勉強できる大学の中から、神奈川県の大学に進学しました。

タイで感じた、ただここにいる幸せ

大学生活の4年間はとにかく楽しかったです。横浜での一人暮らしは、ほとんど自分の部屋に帰らず、友達の家で飲んで遊んでばかりでした。やりたいことは全部やって、言いたいことも全部言って、自由奔放にすごしていました。一方で、人間関係で上手くいかないことがあるとうつうつと悩むようになり、過食嘔吐の症状も進んでいきました。感情の落差が激しく、毎日がジェットコースターのようでした。

大学1年の終わり頃、国際ワークキャンプで3週間タイに行きました。タイでの活動はマングローブの植林でしたが、日が落ちたら焚き火をし、誰かがギターを持ってきて、みんなで歌いました。心から笑うことができて、そこで初めて「幸せってこういうことを言うんだ」と思えたんです。満たされていて、ただそこにいることが幸せでした。

社会に出て働くことを考えたとき、その体験から、海外と繋がる仕事をしたいと思いました。ただ、何がそんなに楽しかったのか自分でもよくわかっていませんでした。やりたいことも明確には持っておらず、受けた企業に次々と落ちて、就職活動は酷かったですね。いろいろ受けた中で受かったのは、大手食品グループの商社と、新興国でのインフラ整備の企業でした。両方とも海外と繋がる仕事だったので、食品かインフラかで考え、より身近な食品商社に入社を決めました。

仕事での挫折と、夫との出会い

入社後、食肉輸入の部署に、海外営業として配属されました。そこで初めて「英語が話せない」という問題に気づきました。それまでは、学生のノリでどうにかなっていたんですよね。決まり文句を覚えれば、商売は進んでいきます。でも、定型文だけでは人間関係は作れず、日々追い込まれていきました。まずいという危機感があっても認めたくない。初めての挫折で、まったくどうしていいかわかりませんでした。

部として初めて採用した女性営業職だったので、相談できる人もいませんでした。他の女性がしている貿易事務の仕事は100%やって当たり前、更に営業の仕事もする、という環境。女性・男性どちらのグループにも属せず、孤立していると感じました。

仕事自体はやりがいがありました。少し難しい仕事をして、自分が成長している感覚もありました。しかし、1年半ほど経った頃、涙がとまらなくなり、電話に出られなくなりました。残業も月100時間を超えていて、摂食障害の症状もでていて、もう限界だと思い、直属の上司に営業から事務に転向したいと伝えました。

もう無理はやめよう、と思えたのは当時付き合っていた夫の存在がありました。襲ってくる孤独感に耐えきれずに泣いていた時、抱きしめてくれて「大丈夫だよ」と言ってくれました。初めて「私はこの世に存在してもいい」と承認された気がして肩の力が抜けました。

マミートラックを経て、やりたいことを初めて問う

翌年結婚し、さらに1年後に出産しました。時短で復帰すると、自分が以前は軽く見ていた貿易事務の仕事すら、任せてもらえなくなりました。貿易事務は通関の際の折衝業務が多く、夕方早く帰る私は担当を持たせてもらえなかったんです。単純な入力業務などが増え、「なんで私ここにいなきゃいけないんだろう」と思うようになりました。

自分には何の力もないし、子どもがいるから転職なんてできない。子どもを育てながら働くというのはこういうことなんだと言い聞かせていました。

復帰1年後、2度目の産育休に入りました。2度目は里帰りしなかったので、初めてママ友ができました。1度目は実家に頼っていたので、地域の繋がりがなかったんです。

保育園繋がりで仲良くなったママ友が、コーチをしていました。誘われてコーチングを受けた時、「かずみちゃんはどうしたいの?」と問われたんです。それまで、母の望みを汲み取って生きてきたので、自分のやりたいことなんて、ほとんど考えたことがありませんでした。そこで初めて、「自分の働き方を自分で考えてみよう」と思いました。

ネット検索をして、NPO法人が主催する母となった女性向けの社会貢献活動を知り、そこでボランティアを始めました。そこで出会う人は、楽しく前向きに、子育てをしながら働いている人がたくさんいるんです。仕事も時間も裁量を与えられて、自分がやりたいことを当たり前のように優先して、豊かに過ごしている。こんな人たちが世の中にいるんだ!と、本当に衝撃でした。憧れましたが、住む世界が違うと思いましたね。

時短で復帰した半年後、フルタイムでの貿易事務の担当業務に戻りました。「16時に帰るより、この組織で役に立つことが大事なんです」と必死に訴えました。意を決して伝えると、話を聞いてもらえて、担当を持つことができました。

人が可能性を掴むコーチングとの出会い

育休中にボランティアに参加して、「もっと挑戦してみたい」と強く思いました。その頃、ワーキングママ向けのビジネススクールの募集を見て、受講もしました。

ボランティア活動では、「母となってはたらく」を語る場づくりをしていました。翌年、進行役(ファシリテーター)をしました。進行役として場に入るとそれまで見えていなかった人の感情や変化がとてもダイナミックに感じ取れるようになりました。2時間のプログラムでこんなに人って変わるんだと。俯いて、「諦めるしかないですよね」と言っていた人が、自分の中にある大事なものに触れて、「わたしもやれるかな、やってみたい」と晴れやかに語っている。「話す&聴く」ということを通して人が自分の可能性を掴む、その瞬間に魅了され、専門的に学ぼうと、コーチングの資格を取得することにしました。

コーチングを学ぶ中で、自分の中のどろっとした負の感情と向き合った時、摂食障害の衝動に襲われました。この先どうなってしまうのか不安になり、ビジネススクールで出会ったエスキャリアの岡本さんのカウンセリングを受けました。

摂食障害のこと、症状の程度、コントロールする方法など教えてもらいました。今まで誰にも相談できずにいたので、摂食障害について話をするのは初めてでしたが、謎が解かれていく衝撃がありました。最後の「かずみさんはもう大丈夫です」という一言に、自分以上に自分のことを信じてくれる人がいると感じ、無性にあたたかくて嬉しくて、泣きながら帰りました(笑)。それからは安心してコーチングを学ぶことができました。

コーチングの資格を取得した後、これからどうしていくか迷った時に、再び「マイ・カウンセラー」で貫名さんのチャットカウンセリングを受けました。自分が何を大事にして、どうしていきたいか、現実的に具体的になっていきました。

最初は転職や独立を考えていましたが、チャットの終盤に「気づいていないことは何か」という話になり、現職への未練に気づきました。「何かここで自分にしかできない仕事をやりたい」と思い、それから、課をまたいだ業務改善の仕事を始めました。

自分の人生を生きたい人へ寄り添っていく

今も、大手食品会社の商社で貿易事務の仕事をしています。貿易事務は大量の書類をさばきつつ、日々起きるトラブルをどう未然に防ぐか、スケジュールをどう管理するか、繊細なところにも配りながら全体最適を図っていく仕事です。主任になって、扱う仕事や視野が広がり、アイデアを出せば通る立場になって、おもしろくなってきました。

そして、朝や夜の時間を使って、ワーキングママ向けに、コーアクティブコーチングのパーソナルセッションもしています。大学時代にタイで感じた「満たされている感覚」はここにあったんだ、とコーチングを学んで気づきました。私もこの感覚を求めていたし、この感覚が他の人にも起きるような関わりをしていけたら良いなと思っています。

痛みがあるから、寄り添える。自分のこれまでへの感謝にも繋がっています。過去の自分のように、家族の中にありながら孤独を感じている人や、頑張っているのに上手くいかずもがいている人、もっと自分の人生を生きたいと願っている人へ、これからも力強く寄り添っていきたいと思います。


藤居 料実 さん
30代前半 / 大手食品会社商社 勤務/コーアクティブコーチ

大学卒業後、大手食品会社の商社に入社。入社3年目に結婚、育児休業からの復帰後、マミートラックを体験。2度目の育休中に産後ケアのNPOに出会い、「母となった女性が本来の力を発揮できる社会をつくる」という理念に共感し会員として活動をスタート。人材育成の手法を専門的に学ぶため、日本におけるコーチングの草分けであるCTIジャパンでプロコーチの国際資格を取得。現在は企業勤めをしながら、働く母たちに向けたコーチングを行っている。

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