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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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栄養士としての強みを生かして、身の周りの人たちと助け合いながら生きていきたい。

「食」に興味を持ち、調理師免許や栄養士の資格を取得された鈴木さん。複雑な家庭環境の中で育ちながらも、常にどう生きたいかを自ら考え行動してきた彼女が考えるこれからのキャリアとは。お話を伺いました。

食を通して築いた大切な絆

福島県で二人姉妹の長女として生まれました。妹の面倒をよく見るなど、真面目でしっかりしているねと周りから言われていましたね。

小学校1年生の時、自転車に乗っていて交通事故に遭いました。1ヶ月の入院を要し、脳挫傷とてんかんの後遺症を患い、死んでもおかしくない状況でした。幸い一命を取り留めることができましたが、命の儚さみたいなものを幼いながらに感じました。

公務員の両親は仕事が忙しく、母方の祖父母と二世帯住宅で暮らしていたので、身の回りのお世話は祖母がしてくれました。両親の仲があまりよくなくて、4年生の時に両親が離婚。それから祖母と母の関係も悪化してしまいました。

間もなくして母に新しいパートナーができ、二世帯住宅を出てアパートで一緒に暮らすことになりました。新しいパートナーは職を転々としており、ギャンブル好きで休日は一緒に閉店までゲームセンターに入り浸るような生活をしていました。

でも、共に生活をする中で、「食」と「日常」は大切にしてくれていました。山で山菜を採ったり、川で魚を釣ったり、バーベキューやお菓子作りなども一緒にしました。スーパーの特売セールの日は買い物に行くのが日課で、宝探しみたいで楽しかったです。

血の繋がりはなかったけれど、実父よりも本気で私を叱ったり褒めたりしてくれて、深い愛情を注いでもらっているとも感じました。狭いアパート暮らしで、決して贅沢はできなかったけれど、とても楽しかったですね。

このことがきっかけで、私も食に興味を持つようになりました。高校受験の際、調理師免許が取れる食物文化科のある高校に進学するか、大学進学を見据え普通科に行くか、迷いました。

生活のために、やりがいもなくただ一生懸命に働いていた母から、「これからの時代は手に職だよ、やりたいと思うことをやりなさい」と言われて。そんな母の言葉に背中を押され、また交通事故の経験から、やりたいと思うことがあればやろう!という思いもありました。私立なので学費の高さだけが気がかりでしたが、特待生の枠で入学できることになり、進学を決めました。

保育園への就職を目指し、上京

高校進学後はコンビニでアルバイトを始めました。朝5時から働いた後、自転車で片道50分かけて通学。特殊なカリキュラムで、7限までみっちりある日もあり、調理実習が多く、その度にレシピをまとめたり、レポート出したりと忙しい日々でした。

母には新しいパートナーがいて、一緒に暮らしていました。しかし喧嘩が絶えず、身の危険を感じる出来事も多々あり、母も精神的に不安定になっていました。追い打ちをかけるように東日本大震災が発生。生活そのものが落ち着かなく、ヒヤヒヤすることが多かったです。

母に対しては嫌だな、と思うこともありましたが、諦めの方が大きかったですね。働きながら子育てもして、毎日とても大変そうな姿をみていたので、申し訳なく思う気持ちもあり、早く自立したいとも思うようになりました。

周囲に大学進学する人はほとんどおらず、そのまま就職するか、地元の短大にいくかという感じでした。大学進学にも少し未練があったので、高校から専門分野に絞ってしまったことを失敗したかな、と思うこともありました。

しかし、食物関連の授業はとても楽しく、特に栄養学に特に興味を持ちました。パンやお菓子作りも好きで、パティシエに憧れもありました。お菓子作りは趣味でいいのでは、と先生からのアドバイスで、得意だった栄養学を極めようと地元の短大への進学し栄養士を目指すことを決めました。成績もよく、特待生として進学できることになりました。

短大では栄養学を専攻し、勉強に励みました。子どもが好きで、幼少期の食事の大切さを感じていたので、卒業後は栄養士として保育園に就職したいと思っていました。しかし、地元には保育園が少なく就職が難しいため、上京を決意。都内に住む友人宅を拠点に、都内の保育園への就職活動を始めました。

栄養士として仕事の幅をもっと広げたい

ご縁をいただき、友人宅の沿線の認証保育園に就職を決めました。栄養士として毎日の給食づくりをメインに、献立を考えるなどの事務業務も担当しました。小規模の保育園で、歳の離れたパートの女性と二人での給食づくりをする日々が始まりました。

保育園は女性の職場だし、きついと聞いていたのでドキドキしていましたが、一緒に働く人に恵まれ、楽しかったですね。働く環境は良かったのですが、20代のうちにもう少し広いフィールドで働きたいという気持ちがだんだん強くなっていきました。

保育園に勤務しながら、高校生のときにネットで見つけて気になっていたマクロビ系の料理教室にも通い、資格を取得。今までで一番勉強していた時期でしたね。この教室に通い始めたことがきっかけで、コラムやレシピを執筆する仕事をいただくようになりました。保育園に就職して2年が過ぎ、もっといろんな仕事がしてみたいと思い、後先のことを考えず退職を決めました。

住んでいた賃貸マンションの更新時期も迫っており、心機一転、引越ししたいと思っていたところ、料理関連のイベントでシェアハウスのオーナーをされている方と出会い、彼女から紹介していただいたシェアハウスへの引っ越しを決めました。

家庭料理を大切にしたいという想いを仕事に

料理教室からいただく仕事だけでは生活が苦しく、この先どうしたらよいか途方に暮れていた時、私の経歴を聞いた彼女が「家庭料理をコンセプトにしたカフェの立ち上げメンバーを探しているけど、どう?」と仕事も紹介してくれました。

幼少期の経験や、マクロビなどの様々な料理の価値観に触れ、栄養バランスがすぐれていて、無理なく心地よく食べられるのは家庭料理だと思い至り、カフェのコンセプトにも共感し、ここで働きたい!と喜んで就職させていただきました。

カフェの立ち上げメンバーとして、メニューやそのコンセプトを考えたり、実際に調理を担当したり、発注などの事務業務をしたり、仕事は多岐にわたりました。毎日忙しい日々でしたが、とてもやりがいがあり、家庭料理を大事にしたいという同じ想いをもつ人たちとの仕事はとても心地よかったですね。

さらに、エスキャリアライフエージェンシーのエスキッチンというサービスで、作り置きや子どもへの食育を行う食育サポーターもしていた彼女から「食育サポーターに興味はある?」と声をかけていただきました。

カフェで働き始めて半年ほど経ち、仕事にも慣れてきた頃でしたし、前職での経験で食育にも興味がありました。また、働く母を見て育ち、忙しいお母さんのサポートができたら、という想いもあったので、迷わずエスキッチンのサポーターとしても登録させていただきました。

同じ頃、通勤しやすい場所のシェアハウスに引っ越しました。様々な経歴や価値観をもつ人たちが集まるシェアハウスでの生活はとても刺激的でした。家族のようにお互いを思い合える存在がいる安心感もありました。血縁なんて、関係ないんだなとつくづく感じましたね。

地域の人たちと強みを生かして助け合いながら、暮らしたい

現在も、カフェに勤務しながら、エスキッチンのサポーターをしています。週3日はカフェで調理などの仕事を、その他の日はリモートワークでメニュー作成をしたり、エスキッチンの食育サポーターをしたりしています。柔軟な働き方が認められているので、とてもありがたいですね。

最近、管理栄養士の資格取得に向けての勉強も始めました。管理栄養士の資格がないとできない特定保健指導など、今後の業務の幅を考え、いつかやりたいと思ったときにできるように今のうちに資格をとっておくべきだと思い始めたんです。

子どもと一緒にお料理をしたり、作り置きのメニューを考え作ったりというエスキッチンの仕事も、とても楽しいです。ありがたいことに指名もいただけるようになり、忙しいお母さんに代わってご家族にバランスの取れた食事を提供できることにとてもやりがいを感じています。

シェアハウスのつながりで出会った私の周りの人たちには「仕事に専念したい」「仕事以外のことはできる限りアウトソースしたい」という人がとても多いです。いずれ結婚し、家庭をもつこともあると思うので、将来的にはそういう人たちに向けて作り置きや食育のサービスができたらいいなと思っています。

今近くにいる人と一緒に、今後訪れるであろう様々なライフスタイルの変化の中で、お互いの強みを生かしてサポートしあいながら生きていきたいです。地域密着で、小さな経済圏の中で生活をしていくのが理想ですね。仕事や家庭、何事も形にとらわれずに柔軟に生きていけたらいいなと思います。


鈴木 瑠奈 さん
20代前半 / 栄養士/調理師

大学卒業後、保育園にて栄養士として就職。献立作成や給食調理に携わる。2年半で退職、家庭料理をコンセプトにしたカフェに転職、の立ち上げから運営に携わる。現在は、エスキッチンの食育サポーターとしても活動している。

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