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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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バレエから芽生えたプロ意識。プロとして納得できるクオリティを追求し続ける。

秘書を経て、人事領域全般でキャリアコンサルタント・講師として活躍されている鈴木さん。求められることに何でも一生懸命に取り組み、プロとして向上し続ける鈴木さんの背景にあるものとは。お話を伺いました。

バレエ中心の生活と進路選択

神奈川県で生まれ育ちました。母方の祖父が日本画家、母が書家で、影響を受けたのか、自分の世界を持っている少し変わった子どもでした。

3歳の頃に観たミュージカルで、踊っていたバレエダンサーに惹かれ、近くのバレエスタジオに見学に行き、その日から通い始めました。夢はバレリーナと言うほど、バレエを好きになりました。

小学生からは習い事で忙しく、週2日はバレエ、その他の日に英会話や弦楽器、習字を習っていました。どれも楽しかったですね。でも中学年で週4日、高学年では週6日と、徐々にバレエの割合が増え、高学年になる頃には他の習い事は全てやめました。

「バレエをやっているから遊べない」のは嫌で、学校が終わったら友達と遊び、その後習い事に行き、夕食は20時以降という生活でした。スケジュールをキツキツに入れるのが好きで、充実していましたね。学校ではリーダーや学級委員をすることもあり、活発に自分らしく過ごせていました。

中高一貫校に進学する予定でしたが、受験日とバレエの舞台が重なり、バレエを選びました。入学した地元の中学では、男子もいるし、不良もいて、目立っちゃいけないと思いました。浮くことが怖くて、バレエをやっていることも隠すようになりました。友達もいたし、クラスのまとめ役をすることもありましたが、人に合わせていて、楽しくなかったですね。

プロのバレエダンサーになることしか考えていなかったので、高校にも期待せず、通いやすい高校に入学しました。高校2年生になる頃には、周りとの温度差を感じ始めました。進路は大学か就職か、大学に行くなら文系か理系か。わからないのに決めなきゃいけない。「良い会社に入るため」と言われても、私は大学に行かないのに、と。母から、海外は大人になってからでも大学に行けると聞いていたので、「日本ってつまんないな」と思いました。

父は大学進学を勧めましたが、母は「あなたの人生だから自分で決めていいよ」と言ってくれました。プロのバレエダンサーになることに迷いはなく、海外に行くことを決めました。

バレエから目を背けて大学に進学

ヨーロッパのバレエ学校に留学しました。カルチャーショックを受けましたね。バレエはヨーロッパの文化なんだと改めて感じましたし、自分のことを「井の中の蛙ってこういうことを言うんだな」と思いました。骨格など身体的なパーツの違いも感じました。カリキュラムを終えたらヨーロッパのバレエ団のオーディションを受けて生活していく予定でしたが、「これは大変だぞ」と思いました。でも、真ん中で踊れなくても、それでご飯を食べていければいいや、と思っていました。

フランス語もわからず生活は大変でしたが、体を動かす理論も学ぶことができ、楽しく、海外に来て良かったと思いました。

しかし翌年、母の病気の連絡を受けました。一時は意識を失ったと聞き、帰りたいと思いました。母はバレエの道を応援してくれていたので、私が帰ることを望んでいないのはわかっていましたが、私が母と一緒にいたかったんです。「バレエは日本でもできる」と自分に言い聞かせて帰国しました。

帰国後は、母の生活や通院のサポートをしながら、もともとご縁のあったスタジオのお手伝いをしたり、声をかけてもらった舞台に出たりしました。バレエの世界は狭く、先生との繋がりでバレエとの関わりが決まっていく。そこに頼らないとやっていけないのが嫌で海外に行ったので、やっぱり日本ではやりたいようにできないんだと思いました。

また、バレエを教えるより踊ることでご飯を食べていきたかった。でも実際は教えることで稼いで、バレエをする為にお金が出ていく。親の援助がないと続けられず、これじゃいけないとも思いました。

それで徐々にバレエから離れていきました。でも未練はあって、友達の舞台を観に行っても、楽屋には行けるけど客席に行けない。なんで私はあっち側にいないんだろうと思ってしまって。趣味だと割り切ることもできませんでした。

このままで良いのかと悩み、父のアドバイスもあり、大学を受験することにしました。深く考えず、入りやすいところに行こうと、女子短期大学の文学部に入学しました。共学の中高が楽しくなかったので、女子大が良いと思ったんです。短大での生活は新鮮で楽しかったですね。同校の4年制大学には劇芸術を学べるコースがあったので、3年次には大学に編入しました。

母の死、心の回復を経て、人事・教育の道へ

就職活動の時、自分のやりたいことがわかりませんでした。バレエからフェードアウトしたことで、私には何もなかったんです。でもお金を稼ぐ大変さはわかっていたので、「仕事だから何でも一生懸命やります」というプロ意識だけはありました。結局、父から紹介してもらった建築系の企業に入社することになりました。

1年目は総務、2年目から秘書業務を担当しました。仕事はつまらなかったですね。でも「こういうものだろう」と、仕事なので頑張ってやっていました。

プライベートではバレエを再開しました。時間がたち、もうプロとしてやっていく年齢でなくなったこともあり、久々にやってみたら楽しむことができたんです。その後、子どもたちにバレエを教える講師を担当したり、趣味レベルで舞台に立つ機会を得たりすることができました。

仕事はもう辞めようかなと思い始めた頃、知人から、物流企業の社内システムを入れ替える1年契約のプロジェクトを紹介してもらいました。情報システム部の講師を全国に派遣するのですが、決まったシステムの説明をするため未経験可とのことでした。出張もあり、そちらのほうが楽しそうだなと、建築系企業を4年目に退職しました。

全国に出張して社内にシステムの説明をしていきました。場所によっては床を剥いで配線したり、パソコン教室レベルの基礎から説明したりもしました。毎回いろいろ小さなトラブルがありましたが、おもしろかったです。

1年の契約が終わる頃、次の仕事を考え始めました。システムの講師はおもしろかったけれど、この会社だからできたのだと思っていました。中途採用は経験の範囲内でしか選べないから、私にできることは秘書しかないと思い込んでおり、出版社で秘書をすることになりました。

出版社ではやるべきことが多く処理能力は高まりましたが、毎日の変化はあまりなく、常に楽しくないと思いながらも頑張っていました。

入社後しばらくして、母が亡くなりました。それから、母と出かけた場所に行けない、通勤中に急に休みたくなるなど、心のバランスを崩しました。泣いても変に思われない場所を探して、カトリックの教会に行き、ぼーっとすることが続きました。

そのうち神父様が声をかけ話を聞いてくださいました。「普通の生活ができなくなることや泣くこと、しっかりしなくてはと思うこと、全部おかしなことではないから、ありのまま受け入れていいんだよ」と言ってもらえたことで救われました。

その後また仕事を頑張れるようになり、後輩が入社し教えているうちに、人事・教育が向いているのかなと思うようになりました。秘書の仕事におもしろみを感じられなかったので、管理部門に行きたいと思い、転職活動を始めました。

IT企業の管理部門への転職が決まり、7年目に出版社を退職しました。

ご縁と行動力を活かして、フリーランスで活動する

管理部門では新卒・キャリア採用や各種制度導入など、人事業務全般を担当しました。人事の仕事は楽しく、管理部門の仕事を頑張ろう、今後のキャリアはここで作っていこうと、意欲的な気持ちでした。

入社3年目に参加した企業の人事向けのセミナーで、プロのキャリアコンサルタントの女性と出会い、それをきっかけにキャリアカウンセリング制度を会社に導入しました。人事として社内でのカウンセリングは行ってきましたが、その方から「今度国家資格になるから受けてみたら?」と言われ、自分にもできるのかな?と調べ、国家資格になるタイミングでのキャリアコンサルタントの資格取得を決めました。

仕事は楽しかったのですが、ある時職場の人とのトラブルがあり、仕事への意欲も減り、そのうえ生まれて初めて人に対して憎悪の念を抱きました。そこまで思ってしまう私がおかしい、このままここにいてはいけないと思い、退職を考えました。

フリーランスになるか転職するか悩んでいたものの、誰かに雇われるとこういうトラブルが起きる可能性があるんだと実感し、まずはフリーランスをやってみようと思いました。バレエでも講師をしていましたし、抵抗もありませんでした。

入社6年目にキャリアコンサルタントの資格試験を受けました。試験に落ちたとしても会社は辞めようと決めていましたが、無事合格。退職し、フリーランスとして活動を開始しました。

もともと勤めていたIT企業が副業OKで、人事研修や新入社員のフォローアップの講師を依頼されていたり、ご縁のあった会社から声をかけていただいたり、フリーランスのスタートはスムーズでした。ただ、ずっとそこから仕事をいただけるかはわからないので、検索してエスキャリアを含め2社のエージェントに登録しました。

求められることを、フラットにプロのクオリティで

現在はフリーランスで、大学や企業でのキャリアカウンセリング、模擬面接官、企業の採用面接官、研修講師など、様々な仕事をしています。エージェント2社経由の仕事と、直接契約の仕事があります。

キャリアカウンセリングも講師などの仕事も、どちらも大切でやりがいを感じていて、双方で補い合っていると思っています。どちらにも共通しているのは、相手から学ばせてもらっているということです。人から必要とされているのが嬉しくて、できることなら何でもやってみようと、ただただ一生懸命やっています。

今は仕事を選ぶより、求められることをプロとして納得できるクオリティで提供していきたいと考えています。そして常にフラットな人でいたいと思っています。資格もありますし勉強会も行きますが、やればやるほど、もっときちんと勉強したいと思います。大学院などで勉強してみたいです。

また、バレエは、昨年まで会社員と並行して週末に子どもに教えていました。大人になってからは教えるのが楽しいです。周囲にいるダンサーは、会社員と自分たちは別世界にいると線引きしていますが、両方に関わった身としては、フラットな目線で対等に話せる場を作りたいです。

そんな場も含め、月1回程度、周りの人とイベントや企画をやりたいと思っています。まだ曖昧ですが、その時その時で問題意識を持ったことを柔軟に考えていける場だと良いなと思っています。


鈴木 愛 さん
40代後半 / キャリアコンサルタント/講師

プロのバレエダンサーを目指し海外留学後、帰国し日本の大学を卒業。秘書を経て、IT企業の管理部門にて人事業務を担当。約7年勤めた後、独立。フリーランスのキャリアコンサルタントとして、企業の採用支援・企業研修講師・キャリアコンサルティングなど「人と仕事に関わること」全般に従事する。

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