kiseki
自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
kiseki Category
kisekiカテゴリ

 

母になっても、一人の女性として生きる。産後を起点とした人生に寄り添う支援を。

女性の産後の心身のケアと、その後のキャリア支援を行う貫名さん。夢であり天職だった前職を辞めて、その道に踏み出したきっかけとは。お話を伺いました。

人生の転機に寄り添う客室乗務員との出会い

島根県で生まれ、祖父母も一緒に暮らす大家族の中で育ちました。3兄弟の真ん中で、すごく活発な子どもでした。気が強く、友達とはよく喧嘩をしました。

小学生の頃、喧嘩して泣きながら家に帰ると、父が「好きなように、自分の思いに正直に生きていいよ、世界中が敵になってもお父さんは味方だから」と言ってくれて、好き嫌いがあってもいいんだと思えました。母は「友達とは仲良くしなさい」というタイプだったので、友達と仲良くする大切さも、自分の感情を大事にしていいということも、両親から教わりました。

物心ついた頃から飛行機が好きでした。飛び立つ瞬間がかっこよく、見るたびに興奮していました。家族旅行で飛行機に乗った時はじーっと客室乗務員の仕事を観察していて、小学5年生くらいから客室乗務員になるのが夢でした。

中学・高校では、部活漬けの毎日でした。高校3年の夏に進路を考えた時、客室乗務員になるために語学力を高めたいと思って、英文科を志望しました。先生にも伝えると、「英文科に行ったからと言って客室乗務員になれるわけではないから、将来ずっと使える資格がとれるところに行きなさい」と言われて。ちょっと疑問に思いながらも、その時は素直に聞き入れたんです。食にも興味があったので、管理栄養士学科も受験することにしました。島根は大学が少なく、兄も東京の大学に通っていたこともあり、東京の大学を受験しました。

管理栄養士学科の大学受験の日、試験があまりにもできず、すごく落ち込みました。東京から島根へ帰る飛行機の中で「なんでこんなにできないんだろう」と涙が出てきました。息苦しくなって前の座席にもたれかかるように、泣いてしまったんです。そうすると客室乗務員の人が、何も言わずに毛布を持ってきてくれて。その瞬間すごく救われました。全然知らない人なのに、そうやって人生の転機に寄り添ってくれて、客室乗務員の仕事は素敵だなって、その時改めて思いました。大好きな飛行機の中で、誰かのために寄り添える人になりたいと思い、改めて客室乗務員を目指し、センター入試利用枠で、同じ大学の英文科に進学しました。

キャリア形成への関心、キッカケは母の一言から

大学生になると、ミュージカルのオーディションを受けたり、留学に行ったり、結婚式場でアルバイトをしたり、いろいろとやりたいことをやりました。楽しいけれど、どこか物足りなさも感じていました。

実家に帰省中、母から「働きたい、社会と繋がりを持ちたい」という言葉を聞きました。専業主婦でしたが、地域活動や父の仕事の手伝いなどいつも忙しくしていた母を見てきた私は「なぜ今そう思うのだろう」と感じ、女性のキャリア形成について興味を持ち始めました。

さらに大学2年の夏、先輩に誘われ、キャリア教育NPOのボランティアに参加しました。高校の授業を企画する大学生がすごく楽しそうで熱心で、興味を持ちました。最初はボランティアで参加していましたが、授業を企画するリーダーに挑戦したいと思い立候補しました。中学時代に部活の副部長をした経験はありましたが、チームのリーダーをするのは初めてで勇気がいりましたね。

3年生の終わり頃には学生インターンとして、チームリーダーを支援する立場になり、企画づくりやチームマネジメントを経験することができました。周りには優秀な学生がたくさんいて、最初は意見を言うことも怖く、しんどいと感じる時期もありました。でも、チャレンジする姿勢を大事にしてくれて、私を信じて任せてくれることに感謝でいっぱいで、任せられたことはとにかく必死で取り組みました。

この活動を通じて、関わった高校生や大学生の変化をたくさん見てきました。自信がないと言っていた学生たちが、経験を振り返り、過去を見つめ捉え直し、意味を見出したり、これからどうしたいのか言葉にして一歩前に踏み出したり。共に考え伴走しながら、人が本来持つ力を発揮していく瞬間を目の当たりにして、こういう瞬間を増やしたいと感じました。

また、この時、社会を良くするためにNPOで働く大人の存在を初めて知ったんです。「こういう働き方もあるんだ」と感じました。私もそういう大人に近づきたいと思いながらも、客室乗務員という夢を目指して、就職活動を始めました。

天職だった客室乗務員

幸い、4年生の夏前、第一志望の航空会社から内定をいただき、夢だった客室乗務員になることができました。1年強国内線を担当して、国際線に異動。エコノミー、ビジネス、ファーストクラスと、サービス領域も変化がありました。

毎日違うお客様に出会い、仕事帰りで疲れている方から「ほっとできる瞬間だった」とか、悲しいことがあった方から「落ち込んでいたけどリラックスできた」とか、感謝のお手紙をいただくこともありました。飛行機の中にはいろいろな人生の分岐点の人がいて、その人にあった空間づくりをできることにやりがいを感じていました。

ただ、3年目くらいから、どこか物足りなさはあったかもしれません。心地良い空間をつくることにやりがいは感じていましたが、目の前の人の人生の一瞬を幸せにするだけでなく、もう少し人生の深いところで関わりたいと思ったんです。大好きな仕事でしたし、転職までは考えませんでしたが、ぼんやりとそう思っていました。

26歳で結婚し、翌年妊娠しました。産後どうしようか、迷っていましたね。妊娠中は広報部に異動になり、平日勤務だったので、その機会にずっと勉強したかったキャリアカウンセラーの講座に通い資格を取得しました。専門的な知識を学ぶ中で、母からの一言やNPOでの活動など、これまで点だった出来事がひとつずつ繋がりがあるように感じ始め、キャリアカウンセラーという仕事への関心も徐々に高まっていきました。

自分を主語にして人生を考える、産後ケアとの出会い

出産直後、子どもの成長が日々の喜びで、本当に幸せでした。一方で、平日はアパートの一室で子どもと二人きり。社会との関わりが極端に減り、孤独を感じ、自分の人生をどこかに置いてきてしまったように感じて、急に涙が出たり、心身共に不安定になる時期がありました。でもとにかく子育てを全うしなければと思い、自分の抱く違和感に気づけずにいました。

産後半年経った頃、NPOの主催する産後ケア教室の存在を知りすぐに参加を決意しました。その教室では有酸素運動で体力をつけて、その後に自分を主語にした対話の時間がありました。この教室で産後初めて、自分を主語にして考えるきっかけをもらって、なんとなく後回しにしていた自分の「仕事」に対する思いをよりリアルに考え始めました。母として妻としてだけでなく、一人の女性として認めてもらった感覚がとても新鮮で、直感でこの産後ケア教室を広めたいと思いました。

いずれカウンセラーとして、女性のキャリアサポートができたら良いなと思っていましたが、まずはその前の土台作りとしての産後の心身のリハビリこそ必要だと感じ、産後ケア教室のインストラクターを目指そうと思いました。

航空会社を辞めるかどうかは、まだ迷っていました。両親はなんとか客室乗務員を続けられないかと反対していました。一方で、夫は新しい挑戦を応援してくれました。産後ケア教室に通い始めてすぐ、私がいきいきしているのを見て、すごく良い場所なんだなと感じてくれたようです。

産後9ヶ月経った頃、航空会社を辞める決心をしました。副業ができないので何も動けない。航空会社に復帰したとしても、仕事柄家をあける時間が長いので、子育てしながらずっと働き続けるイメージを持てない。自分の想いを犠牲にして働くよりも、今良いと思えるものに出会えたから、チャレンジしてみようと決意しました。

産後ケアのその先、継続したキャリア支援を

半年間の養成コースを終えてインストラクターとしてデビューしました。フリーランスとして働く不安はありました。でもやってみないとわからない。同じ団体の先輩インストラクターや事務局スタッフ、また他の教室の卒業生の方からたくさん支えてもらいました。

集客や事務など、全てが初めてで、大変でした。今もまだ慣れないことはあります(笑)。最初は「上手くいかなかったらどうしよう」と考えて動けなかった時がありましたが、周りのサポートのおかげで「上手くやっていくにはどうしよう」と考えられるようになりました。

教室はやっぱり楽しいです。一人ひとり、いろいろな葛藤やドラマがあるんです。子育てを言い訳に赤ちゃんの影に隠れず、自分の人生に正面から向き合う母たちは本当に美しい。また、参加者同士の繋がりが続いていくのを見ると「ああやっぱりこの仕事を選んで良かった」と思います。

インストラクターを始めて、産後の心身の健康を取り戻し、土台を固めた後、「自分の人生、仕事をどうしていこう」と考えた時にサポートするのが、キャリアカウンセラーの役割なんじゃないかなと感じました。どちらか一方ではなく、どちらもできたら良いなと思いました。

キャリアカウンセラーとして仕事ができる会社を探し始めましたが、理念に共感できないなど、自分がしっくりこないと動けませんでした。そんな時、友人がSNSでシェアしていて、エスキャリアを知りました。一人ひとりが自分らしさを発揮して働く、というエスキャリアの考え方にとても共感して、エスキャリアの門をたたきました。

母として妻としてではなく、一人の女性として生きる

現在、産後セルフケアインストラクターとして活動すると同時に、エスキャリアではキャリアカウンセリングサービスの運営事務局業務とキャリアカウンセリングを担当しています。今後も1対1のキャリアカウンセリングに力を入れていきたいと思っています。

私自身、あれだけ自分のキャリアを考えていたのに、自分を見失ってしまった産後。年齢や仕事や役職など問わず、みんなに必要な「産後のリハビリ」。そしてその後のキャリアのメンテナンス。産後ケアのインストラクターも、キャリアカウンセラーも、一人ひとりの多種多様な人生の分岐点に寄り添う尊い仕事です。時間軸で関わるタイミングは異なりますが、思いに寄り添い、共に考え伴走することで「本来持つ力を発揮していく」という点では強い繋がりがあると信じています。

産後ケア教室で私が教えてもらったことのひとつ、「母になっても妻になっても一人の女性として生きる」ということをこれからも大事にしたい。自分がそういう生き方を体現しながら、産後ケアやキャリア支援を通して、母となった女性が自分らしく本来持つ力が発揮できるサポートをしたいと思っています。


貫名 友理 さん
20代後半 / 産後セルフケアインストラクター/キャリアカウンセラー

大学卒業後、航空会社にて国際線乗務員として6年勤務し、出産を機に転職。自身の経験を通じて、心身の健康が子育て・仕事・パートナーとの関係作りの土台となることを体感。現在は、産後セルフケアインストラクターとして、産後女性向けに心身の回復を目的とした教室を展開している。一方で、結婚、妊娠、出産というライフイベントを迎える女性へのキャリア選択のサポートをしながら、キャリアカウンセラーとしても活動中。2歳児の母。

全部または一部を問わず、コンテンツを、当社の事前の同意なく、無断で転用・転載する行為を禁止します。

関連コンテンツ
私たちは、
「自分らしいキャリア」 の実現を応援しています。
サービスに関するご相談・お問い合わせはこちら