kiseki
自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
kiseki Category
kisekiカテゴリ

 

性別や国・文化の違いを超える。働く場所にとらわれず、自分の腕で輝くという選択。

アメリカにいながら、リモートでキャリアカウンセリングの仕事をしている山口さん。海外に行っても働き続ける選択をした背景とは?お話を伺いました。

おもしろさや楽しさを提供したい

岩手県で3人兄弟の長女として育ちました。ひょうきんなタイプでしたが根は真面目で、小中学生の頃は、学級委員長・副委員長を合わせて9年ほどやりました。

中学では部活よりも、3歳の頃から習っていた日本舞踊を一生懸命やりました。普通の家庭なのに、お金のかかる習い事をさせてもらい、親の期待に応えたい、良いものを見せたいと思っていたんです。日本舞踊を通して、人前で表現することが好きになりました。

地元の県立高校に進学し、自由に過ごしました。高校1年生の頃、親から東京にある国立の女子大を勧められ、素敵な大学だと思い、そこを第一志望にしました。古典文学が好きで、このおもしろさ、深さを世の中に広めたいと思い、志望していた国立女子大を受験。無事合格しました。

ところが、入学した途端、女性だけの環境に違和感を持ち、社会から隔絶されたように感じました。更に、入学してすぐ、学びたいと思っていたはずの分野にも疑問を持つようになってしまいました。古典文学の論文はどれも助詞の使い方などかなり細かい内容で、古文のおもしろさを社会に発信するどころか、研究すればするほど世間から遠ざかる気がしたんです。その時、古典文学を深めるより、「おもしろさ」を伝えたいんだと気づきました。

3年生の秋頃、就職活動を始めました。古典文学への想いと同じように「世の中におもしろいものを広めたい」と思いました。見るもの全てに刺激があった上京時のような楽しさを提供したいとも思い、マスコミを志望しました。でも、いくつか受けるうちに、マスコミの人たちの雰囲気に「ちょっと違うかも」と思い始めたんです。友人に内定が出始める頃になって初めて他の業界を考え、親の期待に応えるため、焦って大企業を片っ端から受けることにしました。

「女性」や「子どもがいるから」に感じた悔しさ

大手の損害保険会社から内定をいただき、総合職で入社、営業の部署に配属されました。女性の総合職が増え始めた時代でしたが、それでも5%程度。社内でも「女性の総合職の扱いがわからない」と敬遠され、代理店に挨拶に行くとがっかりされ、「なぜ女性じゃダメなの?」と思いました。

また、会社のために、代理店をせっついて業績をあげさせることに、「目の前の人のためになっていないんじゃないか」とだんだん苦痛を感じ始めました。心の調子を崩し、2週間ほど仕事を休んだこともありました。

だんだん自分のスタイルで営業ができるようになり、女性だからと言われなくなってきた頃、異動が決まりました。2年目の秋、本社の新しい部署に異動しました。

またゼロからの関係づくりで、再び「女性総合職がきた」と敬遠されたり、逆に「君は女性だから、一般職の女性と総合職の間の懸け橋になってくれ」とか、「女性ならではの柔軟な発想で」などと言われ、ひっかかりましたね。「なぜ性別に縛られるのか」と思いました。

異動してから半年ほどで研修関係の企画のチームリーダーになり、研修関係全般を任せてもらいました。研修の仕事は楽しく、初めて心躍る仕事に携われました。

仕事がノリにノッている27歳の頃、妊娠しました。育休後にまたバリバリ働きたくて、育休期間を短くしました。仕事に対するモチベーションが落ちないよう、産休中に次のランクへの昇進に必要な金融系の資格も取得。これからも頑張ります!というアピールのつもりでした。産後3ヶ月目からは毎日化粧をし、外で働くための身なりを整えました。子どもの保育園も時間の融通がきくところを選びました。課長にも何度もその旨を伝え、万全の状態で復帰したんです。

ところが、復帰初日、産育休前は自分より下のランクだった女性が私の上司になっており、彼女から「17時に帰って」と言われました。残業できる体制を整えて仕事に復帰すると何度も課長に伝えていたのに、この人には伝わってないのかな?と思い、改めて伝えました。でも「子どももいるし、大変だと思うから」と、結論が覆ることはありませんでした。

仕事の種類も、補助的なものばかりに変更されました。「子どもがいるから」という理由だけで、今まで自分がメインでやっていた業務から外される。「なんで『私』を見ずに決めるんだ!」と、すごく悔しかったです。産休育休を取ったことで、戦力外通告を受けたような気分でした。

主婦生活の悩みに向き合い、キャリア支援の道へ

会社復帰後、夫にMBA留学の話がでました。幼い子どものことを考え、また2人目を妊娠したこともあり、7年勤めた会社を辞め、夫と一緒に渡米しました。ビザの関係で働けないので、専業主婦になりました。長女が保育園に行く間、家にこもるのが嫌で、赤ちゃん連れでいろいろなところに出かけるようになりました。

アメリカで出会った友人とお茶をしたり、障害物レースに出たりゲイバーに行ったり、今までしなかった時間の使い方をしました。自分で予定を決めてやりたいことをやる、好奇心で動くことが本当に楽しかったです。

一番やりがいがあったのは、語学のボランティアですね。日本語を学ぶ大学生と、週3回、英語と日本語で1時間ずつ話していました。他にも、韓国人の友達に日本語を教えるなど、なるべく忙しくしていました。

アメリカでの生活は自由で楽しかったのですが、ずっと自分で働いてお金を稼いで、自分の判断で使う生活をしてきたので、ランチするにも服を買うにも全部夫のお金だと思うと、申し訳ない気持ちになってしまったんです。また、常に「●●の奥さん」「●●のママ」と全て夫と子どもに紐付けられ、今まで自分が努力して積み重ねてきたものがなくなったようで虚しかったです。私個人の肩書き・立ち位置を失った感覚がありました。

夫への嫉妬もありましたね。私が社会との繋がりを失ったと思っている隣で、新しい知識を日々着々と身につけて、目を輝かせ、成長していく夫を見て、自分でも驚くほど強烈に嫉妬しました。

また、ふと「私、帰ったら何しよう」と悩むこともありました。でも、自分が何をやりたいか、なかなか答えは出ませんでした。ただこうして常に悩みながら進んできたなぁと思い返した時、こういうふうに悩む人の役に立ちたいなと思いました。調べたところ、キャリアカウンセラーという職業があることを知りました。帰国直前、生まれて初めて、心の底からやりたいと思えることに出会えました。

帰国した時、3人目を妊娠していました。キャリアカウンセラーのスクールを調べると、出産予定日までに資格をとれるコースが開講していて、これは行くしかない!と思いました。朝早く起きて子どもたちのご飯の支度をしてから行くのは大変でした。でもキャリアについて学び、人の役に立てる実感を持つことができ、本当に勉強が楽しかったです。

合格通知が届いた日の夜に陣痛がきて、3人目を出産。産後2か月で就職活動を始めました。子どもが3人いるので正社員は無理だろうと最初から諦めていたので、派遣社員として大学のキャリアセンターで働きたいと思い、人材会社に登録に行きました。その時、担当者に「うちで働きません?」と誘われ、トントン拍子で内定をいただきました。

役員以外に私含め社員3人の小さい人材会社で、求職者のカウンセリングをすることになりました。ところが、入社して半年経った頃から立て続けに私以外の社員が2人辞め、私に業務が集中してしまったんです。だんだんカウンセリング以外の仕事が多くなり、体力的にもきつく、「私、何してるんだろう」と思いましたね。悩んだ末、「目の前の人を幸せにすること」が私の最大のモチベーションだと気づき、キャリア支援の仕事を専門的に行うために、フリーランスでやっていこうと決めました。

国を超えて働くコンサルタントへの憧れ

ところが、会社を辞めてすぐ、夫に海外駐在の打診がありました。元々、夫の駐在が決まったら、子どもたち3人と日本に残るか、仕事を全て諦めて専業主婦として海外に行くかの2択しかないと考えていたんです。苦労して見つけた好きな仕事をあきらめたくない、子どもと父親を引き離せない、夫を応援したい、なぜまた私だけが悩まなければいけないのか…といろんな気持ちを整理できず、ドロドロした気持ちになりました。

そんな時、キャリアカウンセリングの勉強会で出会った女性のコンサルタントが相談に乗ってくれました。

彼女は日本と海外を行き来しながら、日本語・英語・イタリア語で仕事をしており、純粋にかっこいいと思いました。「世界って狭いのよ、外国で働くなんて当たり前のこと」と言われて、働く場所にこだわらず、会社にいなくても自分の腕でやっていける、輝けるんだと感じました。私もこんな人になりたいと憧れました。

もっと気軽に相談できる場を

独立してからは業務委託で、大学生のキャリア相談と研修講師を中心にキャリアカウンセラーとして仕事をしながら、「なぜカウンセリングは必要なものなのに、一般化しないんだろう。もっと気軽に相談できる場がほしい」と思っていました。そんな想いを持ち、業務委託先で安定収入を得ながら、自分でビジネスを立ち上げることを考えていた頃、エスキャリアを見つけました。考え方が近いと感じ、パートナー登録だけはしておこうと面談に訪れました。

エスキャリア代表の土屋との面談で、「キャリアカウンセリングを、もっと気軽な、当たり前のものとして広めたい」という自分の想いを話した時、すごく盛り上がりました。一時間半くらい話していたと思います。その時に、「文字でもキャリアカウンセリングが出来るんじゃないか」「それいいですね、やりましょう!」と話が一気に進みました。

自分でビジネスを立ち上げようと思っていましたが、サービスを広げていくのは一人では限界があります。こんなに真剣にキャリア支援に取り組んでいる会社があるんだと感動し、また、土屋の意思決定の速さを見て、エスキャリアの人達と一緒にやりたいと思いました。

国や文化の違いを超えて働く

現在、夫の海外駐在に帯同し、再びアメリカで暮らしながら、フリーランスのキャリアカウンセラーとして仕事を継続しています。エスキャリアでは、オンラインやチャットでのキャリアカウンセリングをしながら、プロジェクトメンバーとしてチャットカウンセリングを広げるための方策を考えています。

夫の都合での海外生活ですが、憧れのコンサルタントのように、国や文化の違いを超えた働き方にチャレンジしていると思うとワクワクします。私のように、家族や夫の都合で自分のキャリアを見直しせざるを得ない女性がたくさんいます。彼女たちにとって、自分が一つの事例になるんじゃないかとも思っています。

将来的には、エスキャリアの一員として、キャリアカウンセリングが当たり前の世の中を作っていきたいと思っています。変化が激しく、数ヶ月単位で環境が変わるかもしれない時代なので、みんなが「自分の人生どうあるべきか」を立ち止まって考え、その時々の最適な解を選択していく文化を作りたいんです。

今、せっかく海外生活をする機会を得たので、カウンセリング先進国であるアメリカのカウンセリングを受けたり、学んだりしてみようとも思っています。クライアントとして、アメリカのキャリアカウンセリングについて学びたいです。

また、将来的には、文化圏の違う人たちの相互理解の促進、例えば、多国籍企業の社員間のコミュニケーションギャップの解決にコンサルタントとして貢献できたら最高ですね。


山口 奈生 さん
30代前半 / キャリアカウンセラー

大学卒業後、大手損害保険会社の総合職として7年間勤務。夫の海外留学に帯同するために、子供二人とともに渡米し、約二年間語学ボランティアを経験。帰国後、キャリアカウンセラーの資格を取得し、第三子を出産。人材サービス会社で勤務するも、企業の枠にとらわれないキャリア支援を志し1年半で退職。2017年7月からは再度夫の海外駐在に帯同するも、海外からリモートでキャリアに関わる仕事を続けている。

全部または一部を問わず、コンテンツを、当社の事前の同意なく、無断で転用・転載する行為を禁止します。

関連コンテンツ
私たちは、
「自分らしいキャリア」 の実現を応援しています。
サービスに関するご相談・お問い合わせはこちら