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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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採用業務から見出した仕事の楽しさと目標。人の心に寄り添った支援をしていきたい。

専業主婦から、キャリアコンサルタントを目指して資格取得し、フリーランスとして働き始めた友野さん。人の心に寄り添いたいという友野さんの想いの背景とは。お話を伺いました。

反抗期を経て、クリエイティブの道へ

北海道で生まれ、年長の頃に親の転勤で東京に引っ越しました。内気だったうえ、幼稚園で方言が通じず、苦しみました。また、年の離れた妹が2人生まれ、嬉しかったのですが、北海道での環境と大きく変わり、変化についていこうと必死でした。

小学生になると、中学受験の塾に通い始めました。母が教育熱心で、ピアノ、習字、体操を習い始め、平日が習い事で埋まるのが窮屈でしたね。

妹は可愛くて大好きでしたが、だんだん自分の居場所がないと感じるようになりました。かまってもらえなくて寂しかったんですね。良い子でいようと頑張っていました。

小学4年生の頃、再び北海道に引っ越すことになりました。北海道のことは覚えておらず、私にとっては実質初めての転校で、環境の違いに戸惑いました。初めはどうやって自分の居場所を作ろうかと悩みました。が、クラス替えの際にスムーズに溶け込め、その後はとにかく友達と過ごすのが楽しかったです。

東京で良い子でいようと頑張って張り詰めていた糸が切れたのか、5年生頃から親や先生、周囲に反抗するようになりました。中学に入っても反抗期は変わらず。

中学2年生の頃、塾に行かせても意味がないと母が気づき、家庭教師の先生が来るようになりました。その先生と相性が良く、徐々に勉強をするようになりました。このままだと行きたい高校に行けなくなると途中で気づき、自然と反抗期が終わり、勉強を頑張りました。

しかし結局落ちてしまい、第二希望の私立高校の進学コースに入学しました。勉強しなかったことをすごく反省しましたね。大学は行きたいところに行けるように、自ら勉強を頑張りました。

高校1年の頃、クラスの派閥があり、雰囲気を悪くしている人の態度を見て、私自身も反抗期の頃、同じような態度で人を傷つけていたのではないかと気づきました。それから、どこまで自己主張して良いのかわからなくなりました。2年からの高校生活は楽しく、友人関係も円滑で上手くいっていましたが、自分の気持ちを伝えることはあまりできなくなりました。

食・ダイエット・健康に興味があり、親から「食が健康に繋がる」と聞かされて育ち、また女性が働くなら「手に職」と言われ続けていたため、なんとなく将来はその分野の研究職が良いと思い込んでいました。

でも、高校3年生の夏、本当に研究の道に進みたいのか自問自答し、大学のパンフレットを読み漁りました。幼少期から、洋服や家具のコーディネートや学級新聞づくり、デザインなどが好きで、クリエイティブなものへの憧れもありました。

「都市の緑化計画」や「ビルや住宅のエクステリア」など、クリエイティブだと思える農学系の分野を見つけました。東京と北海道での生活から、東京では自然の中で遊べず窮屈だと感じ、北海道のようにみんなが遊べる公園を作りたい、緑を増やして地球環境に関わりたいという想いがあったんです。これだ!と思い、受験を決めました。

意識して自分を変えていった大学時代

第一志望の、東京の私立大学の農学系の分野に進学。初めての一人暮らしで、いかに家族に守られていたかを知り、孤独を味わいました。一方で、洋服や髪型を自由にするなど、親の目を気にして控えていたことをできるようになりました。

友達もできましたが、相変わらず自己主張をしなかったので、ある時「何を考えているのか、どうしたいのかわからない」と言われました。それで、このままだと受け入れてもらえないと感じました。

本を読んだり、同じように言われていた友達と話し合ったりしながら、自分がどうしたいのか考えました。自分自身も意見を言う人のほうが信じられると思い至り、本音を出さないと相手に失礼なのかなと思い、少しずつ思っていることを言うように自分を変えていきました。

大学に入ることが目的になっていたため、就職を考え始めたのはセミナーが始まる頃でした。専門は植物学で、都市計画に携わりたかったものの、授業の時にハードルが高いと感じていました。絵が上手な人、発想力が豊かな人、手先が器用で模型作りが上手な人など、優秀な人が集まっており、クリエイティブな分野は自分には無理だと思っていたんです。

ならば環境問題に携わる仕事につきたいと思いました。しかし、植物や環境に関わる仕事で、新卒採用しているところはほとんどありませんでした。なので、建設会社やエクステリアの部署のある住宅メーカーなど、環境に配慮したものを作っている会社を通じて環境に貢献するやり方もあるのかなと考えました。

採用業務から、仕事の楽しさと目標を得る

最初に内定を頂いた、建物をリサイクル・リユースして新たなものを作る建設会社に、一般職で入社しました。

最初の配属は、経営企画部のアシスタント。ずっと数字と向き合い、データ分析のための資料作成をする日々でした。一般職のため、ここを乗り越えれば経営分析の担当になれるわけでもなく、ひたすら資料を作る日々に自分が機械になったような気持ちでした。毎日このままで良いのか不安で、私は何をやりたいんだろう、と悩みました。

転職活動をしてみたり、社外のセミナーで経営の勉強をしてみても答えは出ず、何かを見つけるまでは転職してはダメだと思っていたため、悩みながらも働き続けました。

3年目、リクルーターの手伝いの依頼があり、特に何も考えず引き受けました。自分が伝えた言葉で、モチベーションがあがったり、悩みが解消されたり、学生が何かを感じ取ってくれる。今までの仕事になかったことで、すごく嬉しく、採用の仕事にとても魅力を感じました。

経営企画部の部長が総務部と兼任だったため、採用業務に携わりたいと自ら部長に希望を出してみたところ、部署をまたいで採用業務をできることになりました。始めてみると、今までやりがいを感じる事ができなかった事務仕事ですら、目的を感じられて楽しくなりました。コツコツした数字と向き合う仕事も意味があって、嫌じゃないのかもしれないと思えました。

ただ、採用業務に携わる以上、自社に入ってもらえるように関わるものの、それが本当に相手のためなのか、と疑問を感じるようにもなっていきました。採用ではなく、個人の悩みに寄り添い、納得して働く方法を見つける支援をしたいと考え、キャリアコンサルタントに魅力を感じるようになりました。

入社6年目に結婚しました。子どもが生まれたらやめるのが当たり前、という社風だったので、結婚後は妊娠までのカウントダウンをされているような雰囲気に居心地の悪さを感じて、退職することに決めました。

子育てをしながら踏み出したキャリアコンサルタントへの道

キャリア支援の仕事につきたいという想いもありましたが、一度ゆっくりしようと、専業主婦になりました。でも、ヨガや料理教室に通ってみても満足できず、何をしていいかわからず、専業主婦は向いていないと思いました。

また、子どもはほしいけど、何かを掴んでから、と思っていました。しかし妊娠が判明し、出産・育児に専念するしかない状態になった時、初めて私は働きたいんだと気づき、焦りました。そこで、妊娠中にキャリアコンサルタントの講座を受け、資格取得を目指すことを決めました。

里帰り出産のため、試験だけ産後に受けようと思っていたのですが、産後は子育てに精一杯でした。子どもが可愛くて離れたくない気持ちと、こんなに早く保育園に預けていいのかと迷う気持ちがあり、仕事を探すことも躊躇しました。

そんな時、夫から「一回働いてみてダメなら辞めたら良い」と言われ、働きたい気持ちもあったので、派遣社員の仕事を始めることにしました。

一般事務の仕事に就きました。久しぶりに働いてみると、やはり楽しく、仕事をしたかったんだと改めて思いました。外資の日本法人の事務全般を担当していましたが、半年で所属していた事業部がなくなってしまい、その後一般社団法人に派遣され、会員データ分析の仕事をしました。

仕事は楽しかったですが、キャリアコンサルタントになりたいという想いはあり、このままじゃダメだと思いました。2年働いた後、第二子を妊娠。産後は絶対にやろうと決めました。

そして産後すぐにキャリアコンサルタントの資格を取得。1歳までは一緒にいようと専業主婦をした後、保育園に預けられるタイミングで仕事を探し始めました。

成長できる環境で、採用側の視点も身に着けたいと思い、まずはIT企業で週2~3日パートタイムで、中途採用アシスタントの仕事を始めました。

入社3ヶ月後、業務量が思ったより少なくなり、もっと仕事をしたくて調べていた時、エスキャリアを知りました。長年探し求めていた、個人に寄り添うカウンセリングスタイルがあったことに感激しましたね。キャリアコンサルティングの経験はないので難しいと思いながらも、応募してみました。

 

個人の心、納得感やモチベーションに寄り添っていく

現在、ITベンチャーの中途採用アシスタントと、エスキャリアのキャリアカウンセラーをしています。子どもとの時間と両立できる働き方で、後々キャリアコンサルタントとして活かせそうな仕事をしています。

中途採用アシスタントの仕事は、経験のある新卒の採用業務とはスタイルが違い、学ぶことは多くあります。ほぼ未経験で採用していただいたので、ありがたいと思っています。今までは前任者のやり方を引き継ぐなど、やり方が定型化されていることが多かったのですが、自分で仕事のやり方を作っていく環境に戸惑いはありますが、後々に繋がるのではと思い、頑張っています。

エスキャリアでは、チャットカウンセリングに携わっています。カウンセリングの最中は、楽しいというより夢中ですね。文字にするのは勉強になりますし、振り返れば振り返るほど反省が出てきて、もっとその時々で気持ちを察して良いカウンセリングを提供できるようにしていきたいです。

今後は、キャリアカウンセリングの仕事を増やし、どこに相談したら良いかわからない人が、ご自分で納得できる答えを見出だせる、そんな支援をしたいです。人の心をもっと理解できる人になって、辛さや弱さに寄り添い、状況を打開する方法を一緒に見つけるようなサポートをしていきたいですね。

また、自分の言葉から学生が何かを感じ取ってくれたり、逆に誰かが発した言葉で自分の気持ちが変わったりしたリクルーター時代の経験から、誰かのモチベーション向上や、心の拠り所を発信する仕事にも携わっていけたら良いなと思っています。

子育てと仕事を両立して、体と心のバランスをとり、子どもの成長を感じながらも、そういう仕事にチャレンジしていきたいと考えています。


友野 聡子(仮名) さん
30代後半 / キャリアカウンセラー

大学卒業後、建設会社で一般職として7年弱勤務。経営企画のアシスタントと新卒採用を経験。結婚後に退職し、専業主婦となる。派遣社員を経て、第二子出産後にキャリアコンサルタントの資格を取得。現在は企業での中途採用アシスタントに従事しながら、キャリアカウンセラーとして活動中。

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