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女性100人の軌跡
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キャリアカウンセリングをもっと身近に。「らしさ」を尊重し合える社会の実現に向けて。

キャリアカウンセリングを世の中に広めたいと、長年勤めた大企業の部長職を辞め、フリーランスになる道を選んだ河野さん。思い切った選択に至ったきっかけとは。お話を伺いました。

テニスに没頭し、強いチームへと導く

東京都で生まれました。父の転勤のため愛知県、香川県で子ども時代を過ごしました。明るく活発で、小学生の頃は学級委員になったり生徒会に参加したりと、リーダーシップを取るのが好きでした。

中学では、小学校の部活動にはない新しいスポーツをやりたくて軟式テニス部に入部しました。強豪校で厳しい部活でしたが、テニスの楽しさを知りました。

中学2年生の3学期に、再び父の転勤で愛知県の中学校に転校しました。転校後はとにかく勉強を頑張りました。勉強は嫌いではないし、両親の期待に応えたかったんです。希望通り愛知県トップの進学校に入学しました。

高校では勉強よりも別のことに熱中したいと思いました。もともとスポーツが大好きだったので、中学時代からやっていたテニスを頑張りたい、と軟式テニス部に入部しました。

入部当時はあまり強いチームではなく、県でトップクラスの男子部が羨ましくて。どうしても強くなりたくて、高校1年生から顧問の先生や男子部のコーチに指導をお願いし、練習メニューを考えました。放課後1つずつ教室を回り、部員をコートに連れ出すなんてこともしましたね。

部員がちゃんと毎日揃い、練習メニューを実践することで、練習の成果が目に見えてわかるようになり、着実に強いチームになっていくことを実感しました。高校3年生の時には部長としてチームを県大会で団体優勝に導くことができました。チームをまとめること、目標を達成することの楽しさを知りました。

高校卒業後は東京の私立大学経済学部に進学、大好きなテニスを続けたくてテニス部に入部しました。

入部当時の女子テニス部は部員が一人で、男子部と一緒に活動していました。高校時代の経験から、またみんなで力を合わせれば強いチームにできるかもしれない、と入部してすぐ部員の勧誘活動を行い、部員を集めました。

そして初めて出場した団体戦で優勝。その実績により部員は更に増え、大学2年生以降は着実に戦績をあげられる強いチームとなっていきました。

営業から総務への異動、迷いが生じる

就職活動の時期に、大学の先輩から情報サービスを扱う大手企業のアルバイトに誘われました。アルバイトを通じて、企業の雰囲気、働く人を間近で見ることができました。特に、女性が男性と同じようにバリバリ働いていて、直感的に「なんか面白そうな会社だな」と思いました。男女の関係なく育ってきたので、私もそういう働き方がしたいと思っていたんです。いつのまにかこの会社に入社したいと思うようになっていました。

入社後は自ら希望し、立ち上がったばかりの職人専門の求人誌の営業に配属されました。1日70件くらい、男性だらけの建設現場に飛び込み営業。目標達成のために、時には夜遅くまで会社に残ることもあり、苦労はありましたが営業として常に目標を達成し続けることにやりがいも感じていました。

また、それまではホワイトカラーの仕事しか知らなかったのですが、職人の方々と数多く接することで、ものづくりで日本を支えている人がいることを身をもって知りました。その時、どんな仕事でも誇りを持ってやることが大事なんだということに気づきました。

ただ、入社して1年ほど経った頃、過労で倒れてしまったんです。営業を続けたかったのですが会社側の配慮で総務部に異動になりました。一日中パソコンと向き合う仕事は、私にはとても苦痛でした。異動してすぐ営業に戻してほしいと上司に訴えたほど。しかし、「なんでも経験だから」と上司には言われました。

派遣会社での営業を通してキャリアに関心をもつ

そんな時、友人から教員になることを勧められたんです。学生時代に見た、熱血先生のドラマの影響で先生にも憧れがあったので、私も何となくその気になってしまったんですね。仕事をしながら大学の通信教育で教職課程を履修しました。その後、会社を退職、教員採用試験に挑戦しました。

ところが結果は不合格。また翌年チャレンジしようと思いましたが、働かなくては食べていけないので、試験の勉強と並行して就職活動をし、前職のグループ会社の人材派遣会社で契約社員として働き始めました。

派遣スタッフに仕事を紹介し、マッチングする仕事でした。マッチングできるスタッフがだんだん増え、表彰されるまでになり、この仕事にやりがいを感じるようになりました。教員になりたい気持ちの一方で、派遣スタッフの方の志向にあった仕事を探し紹介する、時にはキャリアの相談にものる、そんな派遣会社の仕事にも魅力を感じるようになっていました。最終的には教員ではなく、派遣会社の仕事を続けていく決断をしました。

その後、マッチングの仕事から営業に異動になりました。企業に行って派遣スタッフの案件をいただいてきたり、派遣スタッフのフォローをしたりしました。様々なスタッフのフォローをするうちに、人のキャリアに興味を持つようになったんです。話を聞くだけでなく的確なアドバイスをできたらと思い、入社4年目に自費で産業カウンセラーの資格を取りました。その後GCDFキャリアカウンセラーの資格も取得しました。

独立?転職?いつかはしたいけれど…。

カウンセリングの専門的な勉強を実務にも生かすことができ、ますますカウンセリングという仕事に魅力を感じるようになりました。しかし、会社に属し営業としての立場で行うスタッフのカウンセリングは、フラットな立場でできないことも時にはあり、心苦しさも感じていました。いつかは雇用形態に拘われず第三者の立場で客観的に相談者と向き合える仕事がしたいと、キャリアカウンセラーとして独立を考え始めました。

私の周囲には独立する人も多くおり、会社もそれを応援するスタンスがあったので、私自身も、定年まで会社で働くことは考えていませんでした。30歳を目前に控えた頃、別の企業への転職してみてもいいかな、と考えました。しかし、実際転職活動で色々な企業をみていると、やっぱり今の会社の雰囲気や仕事が私には合っているなと再認識したんです。一度外の世界を見てみることで、客観的に自分の会社を捉えることができ、もう少し今の会社で頑張ってみようと思いました。

そんな時にスタッフへ仕事を紹介する事業部のマネージャー職に昇進が決まったんです。現場の最前線にいたプレイヤーから、マネジメント職に変わり、自分の仕事の考え方も変わりました。今までと違って組織全体のことや、メンバー個々人の状態に気を配る必要があります。もともとマネージャーになりたいと思っていたわけではないので、最初は苦労しましたが、それ以上に役割から得られるものがあると感じました。マネジメントが好きだと思うようになりましたね。

35歳も過ぎた頃、次の自分のキャリアを考えました。独立か今の会社で続けるか?仕事紹介事業部のマネージャー職をしていましたが、一度は営業部のマネージャーも経験してみたいと思っていたので、新たに営業マネージャーへ異動希望を出しました。職種変更をともなうマネージャーの異動というのは珍しく、自分でも思い切った挑戦でした。

営業マネージャーとして2つの事業部で7年ほどマネジメントに携わりました。物凄くやりがいはありました。メンバーの育成には特に力を入れましたね。ただ40歳も半ばになった頃、いよいよ独立という選択を考え始めました。

そんな時に営業部長への昇進の話をいただきました。正直自信はなく、ためらいましたが、
大組織の事業運営を任せてもらうという経験は誰もができるものではないと思い、また新たなチャレンジを決意しました。

22年勤めた会社を辞め、フリーランスに

独立か現職を続けるか?の葛藤を何度も繰り返す中で、異動や昇進というチャンスをもらえたことにとても感謝していました。

それでも、やっぱり私はカウンセリングという職で現場の仕事がしたいという思いは心の奥底で変わらず持ち続けていました。会社にいながら何かできないかと見つけたのが、営業職の女性のコミュニティです。

私の経験が何かの役に立たないか?と直接問い合わせをし、そこの会員対象にボランティアでキャリアカウンセリグを行うようになりました。またそこでの活動を通して、フリーランスとしてエスキャリアに関わっている女性に出会いました。彼女にフリーランスでの働き方について話を聞きたいとアポイントを取った際、その場にエスキャリア代表の土屋もいたのです。

エスキャリアのこと、土屋の仕事や人生に対する考え方、価値観などを聞き、全てに共感し、心から惚れ込みました。それからすぐ、会社員として働きながら、副業として土日だけエスキャリアでカウンセラーとして働き始めました。

会社員、そしてカウンセラーとしてパラレルキャリアで働き始めて半年ほど経った頃、父を癌で亡くしました。今まで病気などほとんどしたことがない父で、まだ70代前半と比較的若かったので、とてもショックでした。父の死を通して、人の命の儚さを感じ、このままやりたいことをやらずにいたら後悔するかもしれないと強く思いました。また、今まで忙しく働いてきたので、もう少し時間に自由のきくフリーランスになって、残された家族との時間も大切にしたいと思い始めたのです。

エスキャリアでカウンセラーとして働くようになって、ますますエスキャリアに惹かれていきました。ここで一緒にエスキャリアを盛り上げたいと思うようになり、とうとう22年間勤めた会社を辞めることを決意しました。そしてフリーランスとしてエスキャリアに参画することを決めました。

フリーランスになってみて、会社員時代は会社に守られていたことを実感しました。今体を壊してしまったら、仕事ができない、稼げないという不安があります。また、自分で自由に時間が使える反面、仕事とプライベートのバランスを取るのが難しいと感じます。それでもやはり、自分がやり遂げたいと思っていることに注力できる今の環境はとてもありがたいと思っています。

キャリアカウンセリングが身近にある世の中に

現在、エスキャリアにてキャリアカウンセリングをする他、これまでの経験を生かして営業にも積極的に関わっています。

エスキャリアの理念である『らしさ』を大切にしながら働くこと、それを実現するのは並大抵のことではないけれど、その理想の実現に向けて尽力したいです。そのことが社会にも良い影響を与えると思っています。

私の仕事は、営業やマネジメント経験を生かし、エスキャリアの体制整備をし、より仕事をしやすい組織にしていくこと、そして世の中にエスキャリアのサービスを広めていくことです。

エスキャリアのサービスとは、世の中の人がhappyにキャリアを積んでいけるように支援すること。そのキャリア支援のツールのひとつ、キャリアカウンセリングをもっと身近なものにしたいですね。

そのためには、個人だけではなく、法人に対しても積極的にアプローチしていくべきだと思っています。会社で定期的に健康診断があるように、キャリアについての定期的な診断があってもいいと思うんです。

「キャリアに迷ったらまずはカウンセラーに相談してみよう!」という状況があたりまえの社会にしていきたい。誰かにキャリアを整理してもらったりアドバイスしてもらったりすることが、その人が『らしく』生きるための、ひとつのツールになればいいなと思います。


河野 志織 さん
40代後半 / キャリアカウンセラー

大学卒業後、情報サービス会社を経て、大手人材派遣会社に。営業経験を積む傍ら、カウンセラーの資格を取得。女性管理職として活躍しつつ、キャリアカウンセラーとしてエスキャリアに参画。2017年、22年間勤めた会社を退職しフリーランスに。【河野さんのへのご相談はこちらから】

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