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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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子どものサポートと仕事のバランス。今しかできないことを大事にするために。

フリーランスのキャリアコンサルタントとして、個人に寄り添う石槫さん。天職と言える仕事に出会い、仕事に熱中してきた石槫さんが、キャリア支援の仕事と、家庭優先の生活を選んだ背景とは。お話を伺いました。

古風な選択基準で進路を選んできた

京都府で生まれ、奈良県で育ちました。幼い頃は、弟と自転車を2人乗りしたり、田んぼで石投げをしたり、ブランコから飛び降りたり、やんちゃでした。でも家では、厳しい母を喜ばせたくて、真面目できっちりしていましたね。

小中学校でも先生に気に入られる優等生で、勉強もできました。ピアノ・書道を習っており、小学校後半のピアノの発表会ではトリを務めるほど。正義感が強く、小学校でいじめがあった時は、いじめられている子と交換日記をはじめました。

内申も良く、弓道がやりたかったので、弓道部のある県内で一番の公立高校に進学しました。良い校風で周りはみんな良い人だったので、いじめは皆無、誰もがヒーローで学校は楽しく、弓道部の友達とよく遊びました。弓道部は師弟制で、先輩達に憧れました。

しかし、勉強では入学後のテストである教科で学年で下から3番目をとり、初めて「できない」を味わいました。家庭教師に来てもらい、なんとか普通の成績になりましたが、それ以来勉強に自信は持てませんでした。

それでも学歴が大事だと思っていたので、実家から通える範囲にある弓道部の先輩たちが進学する国立大学を目指しましたが、私立は受かったものの、志望していた国立大学は落ちました。1年間浪人し、めちゃくちゃ勉強して、志望の国立大学の経済学部に進学しました。

しかし大学では勉強もせず、アルバイトに明け暮れました。稼ぐことが楽しく、月20万は稼いでいましたね。「24時間は平等だけどやりたいことが多いので、1時間の対価をできるだけ高く」と考え、家庭教師・塾講師・結婚式の巫女など、時給の高い仕事ばかりをしていました。遊ぶのは大学時代しかできない!と思い、稼いだお金で年6回も海外旅行に行き、トルコやカナダにも友達ができました。

ブライダルの営業という天職

就職活動では、大学で医療保険・社会保険制度を学んでいたこと、幼い頃からずっと「花嫁」が夢だったことから、生命保険会社とブライダル情報誌を扱う会社を受けました。

生命保険会社は、その時業界トップだった会社に受からず、「業界の一番大手にいきたい」という思いから、他の生命保険会社は辞退。取り組んだことが形に残り、評価制度がしっかりしていて成果を出しただけ還元される、ブライダル情報誌を扱う会社に就職しました。

入社後、希望通り、ブライダル情報誌の法人営業で、京都・奈良担当に配属されました。人と関わることが好きで、営業をしたかったんです。でも最初は数字をつくるのがしんどくて、実家に直帰して布団に隠れて泣くこともありました。

しかし、しばらくすると、誰かのためになっている実感を持てるようになりました。ホテルやレストランのパートナーとして、集客や成約の結果が出た時、ともに抱き合って喜ぶことができて、仕事がとても楽しかったです。天職でしたね。毎週末ブライダルフェアに行き、レポートを書いて翌日報告をして。設定した数字目標よりも、お客様と共に立てた目的実現に向けて頑張れば、数字がついてくるようになりました。2年目にはリーダーになり、表彰されることも増え、嬉しかったです。

途中、東京に異動し、また関西に戻りました。もともとは、結婚して3年で辞めるつもりでしたが、東京で活躍する、きらきらしたビジネスウーマンに出会い、ずっと働くのも良いなと思いました。

法人営業を8年半経験した後、結婚を機に、また東京に行くことになりました。退職するか、異動するか、悩みましたね。当時の上司が、「私は一生あなたの上司ではないので、自分のキャリアはしっかり自分で考えておいで」と1ヶ月休ませてくださり、スペインに行き、『スローキャリア』や『キャリアショック』の本を読み、働き方を少し変えて仕事を続けようと思いました。母が、食事も服も手作りの完璧な専業主婦だったため、ロールモデルが高すぎて、専業主婦にはなれないなと感じていたこともあったと思います。

自分の結婚式にやりたいことを全て詰め込み、ブライダルの仕事を卒業しました。会社のことをもっと知りたくて、人事か広報を希望し、社内公募で、社内広報の部署へ異動しました。

子どもと離れて仕事をするからには、誇れる仕事を

法人営業をしていた頃はトップ営業でしたが、社内報の編集の仕事を始め、活躍する方々への取材を進めてみると、会社には段違いにできる人がたくさんいることがわかりました。全社で活躍する営業・スタッフの方の取材を通じて、初めて「この人たちの知見を広めたい」「バックアップをしたい」と思いました。

しかし、しばらく仕事には苦しみましたね。営業とは異なり、売上数字という確固たる指標がなくなり、自分ができているのかできていないのか、どこまでやればできていると言えるのか、わからなくなったんです。

反響があって、人と人を繋げるようになり、自分の中で目標を設定できるようになってからは、やっと上手くいき始めました。

慣れてきた頃、第1子の産育休に入りました。早く仕事がしたくて、また子どもは社会でみんなで育てたほうが良いと考え、半年で仕事に復帰しました。最初は時短勤務だったので、給与が大幅に下がり、ショックでしたね。

でも、子どもと離れてまで仕事をするからには、自信を持って誇れる仕事、自慢できる仕事、私自身が笑顔でいられる仕事をしたいと思いました。仕事と育児の時間は切り替え、それぞれ集中して過ごしました。

社内報の編集を始めて3年経った頃、初めての通常人事で、全社表彰の企画・運営に異動しました。全社の知見を集めて表彰・発表をする部署で、これまでの営業と編集の力をかわれての異動でした。

それまで自分の希望通りの部署だったこともあり、第2子がほしいと思っていた時期でもあったので、最初は戸惑いました。優秀な人たちをサポートする仕事で、周りからは羨ましがられ、勉強にもなりましたが、仕事はきつかったですね。勉強のために、たくさん本も読みました。

異動してから3年経った頃、今度は分社化により転籍することになりました。子どもがいたので幼児教育に興味がありましたが募集しておらず、住宅事業の人事をすることになりました。

個に寄り添った仕事をしたい

人事では、ダイバーシティ推進と研修の担当になりました。周りには優秀な若者が多く、上司も20代。30代後半の私に周りも気を遣っているし、刺激もたくさんあり、もう少し早く現場に戻りたかったと思いました。その頃には、マネジメントの道は外れており、今後マネジャーにもなれないけど、プロフェッショナルとしても弱いと感じていました。

この頃、2人の子どもがいるママがまだ少なかったこともあり、たくさんの後輩からの相談を受けました。話を聴くだけで元気に前向きになる彼女たちを見て、またポジションやキャリアに悩むメンバーの声を聴いて、もっと1対1で個に寄り添った仕事をしたいと思うようになりました。

会社では3年に1回、キャリアカウンセラーと話す機会があり、38歳の時に「辞めるなら41歳だろう」と決めていました。人事を3年半経験した後、人のキャリアや生き方に寄り添ってアドバイスをする仕事をしようと、大好きな会社に対する未練や、チームで協働することへの心残りはありましたが、退職を決めました。

3月末に退職し、3ヶ月間面談の経験を積んだ後、キャリアコンサルタントとして独立しました。フリーランスを選んだのは、息子の心のケアや受験のサポートをしたかったからです。中学生になってからは母親は表面的には必要とされなくなるので、ここ数年は家庭に時間と心をシフトしようと決めました。

夏頃、知人の紹介でエスキャリアを知りました。「自分らしく」「いきいきと」というエスキャリアの考え方に惹かれ、この事業のお手伝いがしたいと思い、参画を決めました。エスキャリアは前職に雰囲気が似ています。一方で、前職は強みを伸ばすとともに弱みを克服する育成方針でしたが、エスキャリアは、強みを活かす、伸ばすことにフォーカスしているので、そういった支援ができると思いました。

大切なことや時間を守りながら、自己成長できるキャリア形成を

現在は、エスキャリアにて、個人のキャリアコンサルティングや企業の採用支援をしています。経験のない仕事もありましたが、人事や全社研修、営業の経験が活きています。

前職でもっと関わりたいと思っていた、個人に対する働きかけができ、じっくり話を聴いて寄り添えることが楽しいです。やりたいと思っていたことは個人の支援ですが、営業もやはり好きで、楽しんでやっています。個人・企業両方の支援をしていると、まだ個人の求める働き方と企業の求める働き方にギャップがあるのが少しジレンマですね。働き方改革が早く追いつくと良いなと思っています。

いま、息子の受験勉強を最優先に自分の予定を調整しており、週3日は自宅で、週1~2日はオフィスで仕事をしていて、理想の状態です。家族共通の趣味としてJリーグのサポーターもして、家族と喜び・悲しみを共にできています。今後も家族の時間を大切にしていきたいです。

エスキャリアでは、やりたいことも、思うとおりの時間の使い方もできています。今は息子の勉強のサポートを最優先にしたいですが、今後もこの働き方を続け、いずれ仕事のボリュームは増やしていきたいと考えています。また、キャリアはもっと若い時から考えて選ぶべきだと思っているので、ゆくゆくは、大学生や若い人たちの、キャリアのサポートをできたら良いなと考えています。

たくさんの方が「自分らしく」「いきいきと」、そして無茶をするのではなく、努力して少しでも「成長し続けられる」キャリアを積んでいけるようなご支援がしたいと思います。


石榑 由紀子 さん
40代前半 / キャリアコンサルタント

大学卒業後、大手人材情報広告会社に入社。18年間在籍し、ブライダル情報誌の法人営業、社内広報誌の編集デスク、全社表彰の企画・運営、住宅事業の人事を経験。その後、キャリアコンサルタントとして独立。個人のキャリアコンサルティングと、企業の採用支援をしている。

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