kiseki
自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
kiseki Category
kisekiカテゴリ

 

どうせやるなら、とことんやりたい!挑戦を選び続けて見えた若者のキャリア支援の道。

キャリアカウンセラーとして、就職活動生や海外インターン志望学生のキャリア面談をおこなう三澤さん。いつでもチャレンジングな道を選んできたからこそ見えてきた次の目標とは?お話を伺いました。

漠然とした自信が培われた幼少期

やりたいと言えば、なんでもチャレンジさせてもらえる家庭で育ちました。両親はいわゆる親バカで、褒めて育てる家庭でした。3つ上の兄がピアノを習っていたのをまねて、3歳のころからピアノを習わせてもらいました。熱中して、楽しんで習っていました。

体を動かすのも好きだったので、小学校4年生になると、ソフトボールのチームにも所属しました。やるならとことんやりたいという性格で、自主練習をするなど努力していましたね。ソフトボールでは賞をもらう経験もできて、漠然と自信がつきました。

中学校では剣道部に入りました。やるからには1位になりたいと思い、小学生から始めている人が少なく、中学からフェアに始められる剣道を選びました。部活はきつかったですが、最終的には個人戦と団体戦で県大会に出場できました。

高校は自分の偏差値でいける市立高校に入学しました。ソフトボール部はなかったのですが、友だちと一緒に同好会を作って楽しんでいました。写真部にも入ったり、英会話の塾に行ったり、ちょっとおもしろそうだなぁと思ったものにはいろいろ手を出しました。

高校1年の頃、家族旅行でイギリスに行きました。初めての海外は、とにかくカルチャーショックの連続でした。もともと英語が好きでしたし、現地で生活してみたい、いつかは留学したいと思うようになりました。英語を学びたかったので、英米文学両方を学べる大学に進学しました。

大学卒業後、海外で自立への挑戦

英米文学はおもしろかったです。文学作品を読み解いたり、クラシックバレエを見てストーリーから文化を学んだり。語学だけでなく、歴史文化に触れられたのが良かったです。大学生活は楽しかったですが、ずっと「いつかは留学したい!」と思いながら過ごしていました。

大学3年の夏、就職を考え始めた時、就職するなら留学したあとがいいなぁと思ったんです。留学したらきっと価値観が変わるので、そのあとに選びたいなぁと。それに学生という立場で留学すると甘えが出てしまう気もして…。大学生活は途切れなく過ごして、卒業してから、一人の人間として海外に行ってみようと決意しました。

計画を立て、資金を稼ぐなど留学の準備を始めました。スタンダードな英語を学びたいと考え、留学先はカナダを選択。1年のうち、最初の半年は語学学校に通い、残りの半年は実践的に英語を使うため、インターンをすることに決めました。

普通なら留学エージェントを使って留学する人が多いのですが、私は全部自分でやりたいと思いました。もともと留学は、語学力アップはもちろん、自立するためのチャレンジでもありました。見知らぬ環境や文化のなかで自立して生活してこそ、意味があると思ったんです。語学学校と直接メールをし、現地に行ってからも、携帯電話の申込や銀行口座の開設など、生活を整える手続きを全て自分でやっていきました。

英語を流暢に話すより、「何を生み出せるか」が大切

留学して3ヶ月経ったころ、ホストファミリーとの間でトラブルが起きました。中年の独身女性宅にホームステイしていたのですが、英語でめちゃくちゃ怒られてしまったんです。どうやら私が彼女の価値観と違う行動を取ってしまっていたようで…。ちょうどホームシックにかかっていた時期も重なり、かなりへこみましたね。どうしたら良いかわからなくて、でも相談できる人もいませんでした。

いろいろ考えて、気づいたんです。怒られたそもそもの原因は、自分の意見をちゃんと伝えられていなかったからなんじゃないかって。そこに気づいてからは、自分の言いたいことを箇条書きにして、機会があるときに伝えるようにしました。

彼女も私の気持ちに応えてくれましたが、その結果やっぱり価値観が合わないよね、ということになりました。半年間、お世話になる予定だったホスト先を、3ヶ月で出ることになってしまいました。次の家を決めずに出てしまったので、決まるまでの1ヶ月半、留学先で出会った友達に間借りしながらやり過ごしました。

語学学校では、アルファベットでABCも書けない20歳くらいの子と出会いました。十分な準備をして留学に臨んだ私にとって、その子の存在は衝撃的でした。「そんな状態で来たの?怖くなかったのかな?」と信じられない気持ちでした。

仲良くなったある日、言われたんです。「お姉ちゃんてすごい慎重だよね。興味を持ってるんだったら、やってみちゃえばいいじゃん!」と。確かに、なるべく失敗しないようにとか、足踏みしちゃうところがあるんじゃないかと気づきました。せっかく留学というチャレンジをしているんだから、好きだなという感覚を大事にして、既成概念を捨ててチャレンジしてみようと思いました。

語学学校の授業でも自分の意見を求められることが多かったですが、答えることができませんでした。たとえ日本語であったとしても無理だったと思います。それって英語力というよりも、もっと根本的な問題なんですよね。

自分がどういう人間で、どういう考えを持っているのか、そんなことをアウトプットできるほうが、英語を流暢に話せることよりも大切だと思うようになりました。

語学学校が終わった後、日本食レストランで働いてからも、英語を使って仕事をするのは魅力的でしたが、やはり英語は単なるツールでしかないと思いました。留学前は英語を使う仕事をしたいと思っていたのですが、「自分が働いたことによって何を生み出せるのか」というところに視点が変化しました。

選ぶ側の人事から、就職する側の支援者に

帰国後、就職活動を始めました。

留学を通して価値観が大きく変わりましたが、そのきっかけになったのは「人との出会い」。人からの影響力ってすごいなぁと感じるようになったんです。そこで就活は「人の人生を豊かにする」「人の転機に関わる」という軸で探すことにしました。

半年後、タイミングとスピード感が合って、人材紹介会社の採用アシスタントとして働くことになりました。社員50人くらいのベンチャーで、仕事内容は新卒・中途採用の事務局業務でした。1年遅れて入社しているので、「なんでもやります!」と目の前のことを必死にやっていました。

ベンチャー気質は自分の性格にマッチしていたと思います。ゼロから作り出したり、みんなで一丸となって目標に向かう雰囲気が合っていました。

年を追うごとに、任される範囲も裁量権も広がりました。でも、自分自身で何かを生み出しているという感覚はありませんでした。もちろん任されている仕事に対して、改善をするなどの工夫はできましたが、そこをもうひとつ飛び越えて、新しい内容を企画提案していくことがなかったんですよね。「これのプロフェッショナルです」と言える何かを作りたいと、3年目の後半から思い始めました。

4年半働いた後、転職を決意しました。人事の仕事とベンチャー気質が好きだったので「人事の専任として働けるベンチャー企業」という軸で探すことに。いくつか内定をもらいましたが、一番チャレンジングな会社を選択しました。

その会社には、それまで人事というポジションがなく、自分がやれることが全てという環境でした。

「人を採用することがどれほどメリットのあることなのか」が浸透していなかったので、いかに社員を巻き込んで、採用意欲を高めるか、ということが難しかったですね。

でも、自分がご縁を作れた人によって、会社がめまぐるしく変わっていくことが目に見えてわかったんです。それが、とてもおもしろくて!社員のモチベーションを生み出せるのが嬉しかったです。

ただ、新卒採用の面接に来られる学生に対して「うちじゃなくて、もっと別の会社のほうが力を発揮できそうなのになぁ」と思うことがあって。次第に、仕事を探す側の視点、働く人のサポートに興味を持つようになりました。新卒で入社する会社は人生の中でもとても大事なので、若年層のキャリア支援をしたいと考えるようになりました。

ライフイベントに合った働き方へ

仕事はおもしろかったのですが、業務量が多く、自分がやらなければ誰もやらないというポジションで負担も大きかったです。それに加え、片道1時間半かけて通っていたので、時間にも余裕のないギリギリの生活でした。次第に、もっとライフイベントに合った働き方をしたいと考えるようになりました。結婚が決まり、引っ越して通勤時間が2時間に増えることになった時、続けることは難しいと思い、退職を決意しました。

辞めたあとしばらくは、専業主婦をしていました。ずっと家にいるのは無理なんじゃないか、と思っていたのですが、意外と楽しかったですね。夫が自営業で多忙なので家業の手伝いをしたり、好きなことをしたりして過ごしました。時間があったのでキャリアについて系統的に学ぼうと、キャリアカウンセラーのスクールに通い、資格も取得しました。

1年くらい経つと働きたい気持ちが出てきました。働き方を変えたいと思っていたので、パートタイムの仕事を探しました。ただ、人事の経験が生かせて、やりがいがあって、ライフイベントにも合う会社なんて、なかなかありませんでした。

そんなとき、SNSでたまたまエスキャリアを知りました。フリーランスという働き方もあるんだ、と初めて意識しました。不安もありましたが、「話を聞いてみないと!」と、すぐに面談を予約しました。

話を聞いて、「こんな素晴らしい働き方があるんだ!」と思い、すぐにパートナー契約を結び、仕事を始めました。最初は、専門学校のキャリアカウンセラーの仕事を紹介してもらいました。

カウンセラーとして若年層のキャリア支援を!

現在は、フリーランスのキャリアカウンセラーとして、就職活動生の就職相談や、海外インターンを希望する学生に対するキャリア面談を行っています。興味のある若年層のキャリア支援に携わることができ、やりたいことをやらせてもらっていて、今はとても満足しています。

働き方も合っていると思います。事業会社のように管理されない分、第三者の目が得られないので、自分の方向性や課題を棚卸しする意識を常に持っておかないと、質が落ちてしまうのが怖いです。そのあたりはフリーランスならではの難しさがありますね。

時間の使い方も、以前よりタイムマネジメントを強く意識して、工夫することが必要です。家庭や夫の仕事のサポートと、自分のフリーランスとしてのキャリア両立を意識して、メリハリを持って取り組むことでバランスをとっています。在宅の仕事などは特にエンドレスにできてしまうので、パソコンに向かう時間を明確に決めて、その時間以外はパソコンに触らないようにしています。

また、埼玉の奥地に住んでいるので、長い移動時間は情報収集や自己研磨の時間として有効に使ったり、仕事のスイッチを入れたりするのに大切な時間になっています。

今後は、引き続き若年層のキャリア支援を追求していきたいです。社会人として第一歩を踏み出すサポートだけでなく、どうやってステップを歩んでいくのかというところまで、携われるような仕事をしていきたいですね。


三澤 梨紗子 さん
30代前半 / キャリアカウンセラー

大学卒業後、1年間カナダに留学。帰国後はベンチャーの人材紹介会社に入社し、新卒・中途採用の事務局業務に携わる。その後、別のベンチャー企業に転職。企業初の人事担当として、新卒・中途採用に従事。結婚を機に退職し、専業主婦を経て、業務委託でキャリアカウンセラーとして株式会社エスキャリアに参画。

全部または一部を問わず、コンテンツを、当社の事前の同意なく、無断で転用・転載する行為を禁止します。

関連コンテンツ
私たちは、
「自分らしいキャリア」 の実現を応援しています。
サービスに関するご相談・お問い合わせはこちら