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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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諦めずに行動すれば夢は叶う。挫折を越え掴んだ「自分らしいキャリア」

10年来の思いである人材支援の仕事をするために、キャリアコンサルタントの資格を取得したばかりの江頭さん。諦めず、一歩ずつ前に進み続けてきた先にある新しい挑戦とは。お話を伺いました。

学ぶこと、分かることが面白かった幼少期

滋賀県で生まれました。小さい頃からマイペースで、おままごとなど女の子らしい遊びよりも、プラモデルを作ったり色を塗ったり、制作することが好きでした。

小学生の時は、放課後にザリガニを釣るなど、男の子に交じって遊ぶことが多かったです。のんびり自分のやりたいことを思いきりできる時間を過ごしていました。

小・中学生の時の好きな教科は数学でした。勉強というよりクイズのような感覚でした。事象を深く探求して、ひらめく瞬間が好きでした。その思考のおかげか、理数系を中心に成績は比較的よく、高校は県内の進学校に進みました。

高校では演劇部に所属しました。一癖も二癖もある個性的なメンバーが多く、またみんなでひとつの舞台を作り上げる経験はとても面白かったです。一方、勉強面では好きだった数学の内容ががらりと変わり、公式で解くものが増え、面白さを感じられなくなりました。

それでも「働く」ということへの憧れがあり、やりたいことを仕事にするには就職に強い大学に入りたいと受験勉強に励み、私立大学の商学部に入学しました。

就職活動に挫折するも、専門学校を経て希望の職種へ

大学時代はテニスサークルに所属し、サークル活動やアルバイトに忙しい日々を送っていました。就職活動を始めたのは、4年生になってからでした。改めてどんな仕事をしたいのか自問自答して出てきたのは、何かを制作したり、絵を描いたりと、何か自分の考えたことを形にできることでした。調べると、職種はいわゆる「クリエイティブ職」。マスコミ等、とても狭き門の業種でした。

就職超氷河期と言われた年でしたが、とにかくトライ!と希望の会社にアタックしました。しかし、何も準備してこなかった私にアピールできるものはなく、ことごとく試験に落ちました。働くことに憧れるだけでなく、もっと早く行動すればよかったと後悔しました。

ある会社の方にOG訪問をした際、「新卒じゃなくても、希望の職種を学校で学び、経験を積んでから転職しては」とアドバイスをいただきました。新卒入社しないとやりたい仕事には就けないと思い込んでいた私は、道が開けたように感じました。

そこで、内定を頂いた損害保険会社で事務職として働きながら学校に通うための貯金をし、2年目から仕事の後、夜間のデザイン専門学校に通うことを決めました。しかし、実際入社すると想像以上に残業が多く、働きながら通うことは無理と分かりました。迷いましたが、専門学校を優先し1年程で退職する決断をしました。

幸い、すぐにアパレル・雑貨の通信販売の会社にカタログ制作の仕事で雇っていただくことができました。新卒では無理だった希望の制作関連の仕事に就くことができ、やりたいことに向かって計画を立て、行動していくことの大切さを実感しました。そして「諦めずに行動すれば、夢は叶う」ということを身を持って感じました。

自宅から勤務先まで約2時間、退勤後また1時間かけて専門学校で勉強する生活は、体力的にはきつかったものの、やりたいことを仕事にできる喜び、また学んだことを仕事にも活かせる楽しさで、精神的にとても充実していました。

入社して2年目にアパレルのマーチャンダイザー担当になりました。購買データの裏側にある購入者の心理を考え、ニーズを商品に落とし込み、誌面でも目にとまるよう色やデザインを考えるという業務は、探求心とクリエイティブな要素が合わさり、とても合っていると感じました。いろんな人と協力して作り上げていくことも楽しかったです。おかげで、企画した商品は高い成果を残すことができました。

ところが、入社して5年ほど経った頃、最初は嬉しかった成果に、それほど嬉しいと思わない自分がいることに気付きました。お客様に喜んでもらえる商品を作りたいと思っていても、通販の特性上、数字の増減でしか見えず、購入者の役に立てている実感が湧きづらいことに物足りなさを感じるようになっていたんですね。また、飽和産業の中で、自分が企画した商品が余って廃棄される現実を知り、もっと本当に必要とされる仕事があるのでは、と思うようになりました。

モノより、人の可能性を支援したいと思うように

通販の仕事をする一方で、休日には20代の若者による地域活性を目的とした社会奉仕活動に夢中になっていました。

様々な背景を持つ人たちと活動を共にし、人には表に見えないそれぞれの価値、強みがあることに気づきました。今までは同じような年代、価値観、コミュニティにいた私にとって、本当の心の豊かさとは何か、深く考えるきっかけになりました。

20代の終わりには、団体の会長、また地元・大津の観光促進を目的とした、大きなイベントの実行委員長も経験しました。その中で、区や地元の有志のサポートもいただきながら、メンバーそれぞれの個性や強み、職種を最大限に活かすことを考えて運営したイベントが無事成功。私も仲間も自分の可能性を再発見したように感じ、成長を実感しました。

30歳という節目の年になり、改めてこの先の人生でどんなことをしたいのかを考えました。その経験から、モノを通じた豊かさではなく、人の心の豊かさを高められる仕事をしたいと強く思いました。「誰もが持つ自分らしさを支援し、その人の可能性を広げられる仕事をしたい!」と、会社を辞める決心をしました。

そして進学か転職のような、人の成長に関わる仕事がしたいと、転職活動を始めました。しばらくして大手人材支援サービス会社から内定をいただきましたが、配属部署は東京でした。自分を育ててくれた地元を離れたくない思いが強くありましたが、最後は東京から地元を活性化できる人になろうと、上京を決めました。

キャリア転換できないことにもがく30代

入社後は、それまでの経験から通販事業部に配属され、雑誌の編集を担当しました。分業していた前職の時とは違い、制作に関わる全てを一人で行わなければならず、担当ページ数も多くとても大変でした。でもいつか、この部署で働いた実績を元に人材支援事業に異動したい、と頑張りました。

その後マーチャンダイザー、事業企画と、現場から経営に関わる仕事までを担当し、現場では見えなかった観点で仕事ができるようになりました。しかし、いよいよ希望の人材支援の部署に、と社内異動制度を利用して手をあげましたが、30歳を超えて未経験の職種には、社内であっても難しいことに気づきました。主な職歴が通販関連の仕事で、「通販専門の人」にしか受け止められないことに、もどかしさを感じました。

入社して5年ほど経った頃、WEBマーケティングの事業部に異動になりました。今までの仕事は紙媒体がメインで、WEBの専門用語が全く分からず、初心に返る思いでした。また社運をかけた大きな新規事業で、社内の優秀なメンバーが進める仕事のスピード感に戸惑いました。

1年もがき続け、やっと自分の経験も活かせるメルマガ担当になったころ、第一子を妊娠。会社の分社化が決まったため、やりたかった人を支援する仕事に就ける道が見えなくなっており、出産を機に一旦辞めることを決めました。

4年のブランクを経てキャリアを見つめなおす

出産後はしばらく専業主婦をしていました。前職でキャリア転換できなかった経験と、目の前の仕事に夢中になりやすい自分の特性から、本当に人の支援をする仕事に就けるのか、また子育てとの両立ができるのか、確信を持てませんでした。

少しでもワーキングママの感覚を掴もうと、区で実施している子育て事業の企画運営業務に携わりしながらも、日々の大半は、地域の公園で子ども達と遊ぶ生活。どうやって復帰するのか、また両立の方法など、働くことをイメージできない日々が続きました。

次女を出産して1年ほど経ち、子育てに夢中だった日々から少し余裕ができました。仕事再開は次女が小学生になってから、と思っていましたが、ふと、年齢的なことを考えると今から行動した方がいいのでは、と思いました。

たまたまネット検索で、以前の会社の方が登壇するママの復帰セミナーを見つけて参加したのが、仕事復帰への第一歩でした。その後、同団体が主催するママ向け就活カフェに参加し、社会活動をされている先輩ママに出会いました。自分の以前の社会活動を思い出し、その方自身も内容にも魅力を感じたため、その団体でボランティアスタッフとして活動させてもらうことにしました。

その後、彼女のSNSでエスキャリアの岡本を知りました。子育てかキャリアか、二者択一しないとやりたい仕事はできないと思っていたので、共に実現することを支援するエスキャリアのビジョンに強く共感しました。

岡本を紹介してもらい、実現できなかった人材支援への思いを話しました。岡本との面談は、今までの経験だけでなく、経験を踏まえたうえでやりたいことの実現に向けて、どうすればいいか一緒に考えていくという、キャリアカウンセリングそのものでした。人の可能性を支援するキャリアコンサルタントという仕事に「私がやりたかったことはこれだ!」と感じました。

ちょうどエスキャリアでもマーケティングのポジションを募集していたため、今までの経験を活かした仕事をしながら、キャリアコンサルタントの資格取得するために猛勉強を開始することにしました。

育児、仕事、勉強、の3つを両立することは簡単ではありませんでしたが、優先順位をつけて取捨選択し、また夫の協力もあって、この秋キャリアコンサルタントの国家資格を取得することができました。「諦めずに行動すれば、夢は叶う」ことを、改めて実感しました。

キャリア支援の仕事に向けて

現在は、エスキャリアでサイト解析やSNS広告、またコラム運営といったマーケティング・広報の業務に携わりながら、キャリアコンサルタントとして女性のキャリア支援、学生の就職支援の仕事に携わろうとしています。

今は働き方改革の過渡期ですが、フリーランスや時短正社員など、新しい働き方ができるのはハイキャリア層が中心で、一般的にはまだ働きやすい環境でキャリアを積める仕事が少ないと感じています。

しかし、どんな人にもその人ならではの強みがあり、諦めずに行動すれば、やりたいことを実現でき、自分らしいキャリアを作る道がはあると思っています。私自身の経験もふまえて、迷いや挫折を感じている方に向けても、様々なを支援できればと思います。

また自分の子どもを含めて、次の時代を生きる子どもたちに向けた、子どものキャリア教育にも関わっていきたいと思っています。

自分自身、どんな仕事に就きたいか具体的に考え始めるのが遅く、とても遠回りをしました。今はそれも含めて「自分らしいキャリア」と自信を持って言えますが、小さい頃から、どんな仕事をしたいか考えたり、遊びの中で経済感覚を身につけたりする機会を持つことが、今後ますます重要になると思っています。そのような機会を子どもたちに提供し、自分のキャリアを主体的にデザインできる、ワクワクした大人になってほしいと思います。


江頭 晃子 さん
40代前半 / マーケットプランナー/キャリアカウンセラー

大学卒業後、損害保険会社にて事務職に従事。夜間のデザイン専門学校に通いながら、通信販売会社に転職。誌面制作、MDに携わり、マーケティング業務を学ぶ。その後、人材支援サービス会社に転職。編集、事業企画、WEBマーケティングを経験した後、出産を機に退職。現在はエスキャリアで主にマーケティング業務に携わりながら、キャリアコンサルタントとしての第一歩を歩み出している。

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