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女性100人の軌跡
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目の前にいる人を笑顔にしたい。チアダンスから学んだ大切なマインド。

キャリアカウンセラー、ライター、チアダンスのインストラクターという3足のわらじを履く天田さん。長年続けてきたチアダンスから学び生かされている大切なこととは。お話を伺いました。

チアダンスに情熱を燃やした学生時代

二人姉妹の妹として神奈川県で生まれました。小さい頃から本が大好きで、小学生になると近所の図書館に通い詰めていました。空想好きで、本の世界に入り込んで想像するのがとても楽しく大好きな時間でした。

中高一貫の女子校に進学し、バトン部に入部しました。運動は苦手でしたが、体はもともと柔らかかったので、体操やダンスに興味があったんです。部活動の説明会でバトン部のチアダンスを見てとても感動し、「これをやりたい!」と一目惚れし、入部を決めました。

中学高校はとにかく部活動に熱中しました。成績が落ちると部活動を控えるよう指導が入るので、勉強も頑張っていましたね。

練習も厳しく、メンバーの間で意見が衝突することもあり、辛いこともたくさんありました。しかし、仲間と一緒に1つの演技を作り上げていく楽しさ、ステージに立った時の高揚感、観客と一体になれた時のうねり、見ている人が笑顔になってくれる瞬間などがとにかく大好きでした。

高校生の頃、父と伯父が同時にガンで倒れ、祖父母の介護問題に直面しました。その時に、社会福祉士と臨床心理士の資格を持つ病院のソーシャルワーカーの方が、具体的な解決方法をアドバイスしてくださって、精神的にも支えになってくれました。それから、臨床心理士に興味を持ちました。

心理学が学べる私立大学の文学部に進学を決めました。しかし1年生の一般教養で臨床心理について学んだ時、生物学に近く、イメージと違うなと感じました。臨床心理士に挑戦するのは、社会経験を積んでからでも遅くはない、と思い、社会と人間のことを広い視点で学べる人間科学科の専攻を決めました。

中学高校とチアダンスに熱中し、燃え尽きた感じがあったのですが、大学の野球観戦でチアリーダーを見て、「やっぱりまたやりたい!」と思い、入部を締め切っていたチアダンスのサークルに入部させてもらいました。そしてまたチアダンスに情熱を注ぐ日々が続きました。

しかし、大学2年生の時に怪我をして、大会に出られなくなってしまいました。私はチアダンス経験者としてダンスの技術を教えることが役割だと思っていたので、踊れなくなった瞬間に「私の存在価値がなくなってしまった」と、とても悲しくどん底に落ちた気持ちでした。仲間が楽しそうに練習しているのを見るのが辛く、練習に行かない日々が続きました。

しばらくして主将から「副将としての役割を果たしてほしい」と厳しい言葉をもらい、勇気を振り絞って練習に出席しました。すると仲間が歓迎してくれて、壁を作っていたのは自分なんだと気づきました。

コーチが来られない日に代わりをするなど、技術を教える以外にも貢献できることに気づきました。プレーヤーとして大会に出られないことはとても悔しかったですが、サポート役としてチームの全国大会優勝に貢献することができました。人生初の挫折でしたが、仲間のおかげで乗り越えることができ、みんなで1つの演技を作り上げる素晴らしさを改めて感じました。

「まずやってみる」の精神

大学3年の秋の学園祭公演のあと、本格的に就職活動を始めました。社会福祉士になるための専門学校への再入学を考えたり、公務員試験を受けるための説明会に行ったり、明確にやりたいことが決まっておらず、色々な選択肢の中で迷っていました。

そんな時、父と姉に「世間知らずだから、世の中を知るために就職活動をしなさい」と言われました。そして姉が、大手の人材会社で働いている友人を紹介してくれました。その方にお会いして話をする中で、「天田さん、うちの会社に合うと思うよ」と言ってくださったことがきっかけで、その会社の面接を受けました。

選考の中でその会社の方々にお会いし、「世の中を変えるんだ」と熱く語っていたのが印象的で、とても魅力的に感じました。今までチアダンスに情熱を注いできたように、働くのなら彼らのように仕事にも情熱を傾けたいと思い、その会社への就職を決めました。

入社後は、求人サイトの新規営業をしました。人見知りなので、初めての場所に飛び込んで営業をすることが苦手で、辛くて、トイレで泣いていましたね。同期と励ましあいながら、だんだん仕事に慣れていきました。

ある時、電話に出てもらえなかった人のところに思い切って行ってみたら名刺交換できたことがありました。「不安な気持ちばかり抱えて足が動かなくなるよりは、思いがあればまずやってみる。そこから見えてくるものを、次につなげればいい」と気づきを得ることができました。

営業への苦手意識は薄れていったものの、常に数字を追い続けなければならないプレッシャーには、なかなか慣れることができませんでした。自分の提案によって、目の前のお客さんが笑顔になってくれることが励みでした。

入社2年目のときに、同期から「キッズチアダンススクールを立ち上げたいが、力を貸してくれないか」と声をかけられました。週末に講師として子どもたちにチアダンスを教えながら、大学サークルのOGチームや社会人クラブチームなどで、パフォーマーとして様々なステージに立ちました。さらにその後オーディションを受け、アメフト1部のXリーグの専属チアリーダーもし、仕事と同じくらいチアダンスにも力を注ぎました。

チアダンス講師とキャリア支援の2足のわらじ

入社3年目に、事業部付の人事に異動になり、新入社員の受け入れや、社員研修の企画をしていました。特に研修は、同じプログラムをやっていても、その時々で全く違うものになり、とても奥深い世界だと思いました。研修を受けた人にとってより実りある内容にできたらと考えるのがとても楽しいと思いました。

2年ほど人事の仕事をした後、求人サイトのプロモーションをする部署に異動しました。リーダーとして、メンバーマネジメントにも初めて挑戦しました。わからないことも多く、手探りの毎日でしたが、メンバーと真っすぐぶつかりあえたことで仲間との絆がとても深くなったのを感じることができました。

平日夜遅くまで仕事をして、週末はチアダンスの指導をする日々。指導内容を十分に考える時間のないままレッスンを迎えてしまうことが多く、「私がしっかり準備をしていれば、教えてあげられることはたくさんあるのに」と思うことが増えました。そして、もっと本気で生徒たちと向き合いたいという思いが強くなりました。

チアダンスのクラブを一緒に立ち上げた同期は、すでにフリーランスのライター、エディターをしながらチアダンスの指導をしていました。今まではフリーランスという働き方になじみがなかったのですが、一番身近な友人がフリーランスとして充実している姿をみて、私もやってみたい、と思うようになりました。

会社のことは大好きで、とてもお世話になりましたが、この先ずっとこの会社にいるイメージがわきませんでした。さらに、「就活生何十万人を幸せにする」ことよりも「目の前にいる人を幸せにする」ことの方が自分の性にあっていると思い、退職を決意しました。

チアダンスの指導だけではなく、今までの経験を生かして、採用や研修などキャリア支援に関わる仕事も同時にやっていきたいと考えていました。「これまで人材業界に携わってきたことを形にしたい」と思い取得したキヤリアカウンセラーの資格を強みに、チアダンスのインストラクターをやりながら、フリーランスでキャリア支援のお仕事を始めることにしました。

ライターにも挑戦

会社を辞めることを職場の同僚に伝えると、大学に展開するプログラムの研修講師をやってくれないか、と声をかけてくださり、退社後すぐに研修講師の仕事が決まりました。さらには私を採用してくれた人事の方が始めた会社で、人が足りないので手伝ってほしいとお仕事をいただくなど、ありがたいことに、それぞれの仕事からどんどん枝分かれして仕事が増えていきました。

フリーランスとして、自分の力だけで勝負していくことは、大変だと感じる時も多くあります。しかし、チアダンス講師として生徒たちとじっくり向き合えるようになり、やりたかったキャリア支援のお仕事とも並行してできて、この働き方を選んで良かったと思いました。

フリーランスになって3年ほど経ち、結婚、妊娠しました。お腹も大きくなり、研修講師などの外に出る仕事が難しくなってきたときに、ちょうど学生向けにコラムを書いてほしいという依頼を受けました。ライターのお仕事は初めてでしたが、「今まで人前で喋ってきたことを書いてくれればいい」と言われて挑戦してみました。

出産後も、大好きな研修講師の仕事は続けていました。しかし、穴を開けられない仕事なので、娘の突発的な体調不良などに対応するためには、在宅でもできる仕事を増やした方がいいのでは、思い始めていました。

もともと文章を読むのも書くのも大好きで、産前に挑戦したライターの初仕事がとても楽しかったことから、ライターの仕事も増やしていけたらいいなと思いました。SNSで「ライターします!」と投稿したら、ありがたいことに色々な方が声をかけてくださいました。

ライターとしての活動が軌道に乗った頃、キャリアカウンセラーの河野志織さんのインタビュー記事の作成のお話をいただきました。娘の体調不良で彼女のインタビューには同席できなかったのですが、録音した音源を聞きながら記事を書きおこすうちに「なんて素敵な人なんだ!彼女に会いたい!」と思いました。

その思いを伝えるとすぐ本人と繋いでくれて、お会いすることができました。エスキャリアでキャリアカウンセリングの仕事をしている彼女から「一緒に仕事しないか」と誘っていただき、エスキャリアでキャリアに関するコラムを書かせていただくことになりました。

目の前にいる人を笑顔にしたい

現在、チアダンスの講師としてダンスの指導、クラブの運営をしながら、フリーランスでキャリア支援、ライターの活動をしています。娘が小さいうちはライターの仕事に力を入れ、少しずつ研修などの現場の仕事を増やしていき、いずれは研修の企画や講師を極めたいですね。

キャリア支援の仕事をしていて、「女性が働く」ことは少しずつ自由になってきているけれど、まだまだ発展途上だなと実感しています。自分の娘が将来社会に出た時に今よりもっと自由に働くことができるように、研修やカウンセリング、コラムなどを通して、今目の前にいる女性たちを笑顔にできたらいいなと思っています。

また、運営しているチアダンスのクラブは今年度で10周年になり、生徒も増えてきたので、組織として運営をしっかり行っていきたいと思っています。「常に笑顔で周りの人を助けて社会に貢献する姿勢」という全世界共通のチアのマインドは、実社会においてもとても大切なことだと思っています。ダンスの技術だけでなく、このマインドを伝えていくことを大事にしたいですね。

私自身「好き」という気持ちだけで20年以上チアダンスを続けることができています。「好き」という気持ちのパワー、継続する意味、仲間の大切さも伝えながら、生徒たちが笑顔で楽しくチアダンスができるような指導を続けていけたらいいなと思っています。


天田 有美 さん
30代前半 / キャリアカウンセラー/チアダンスインストラクター/ライター

大学卒業後、大手人材会社において、法人営業、人事教育、プロモーションを経験。並行してキッズチアダンスクラブを立ち上げ、講師と運営を行う。現在はフリーランスとして、キャリアカウンセラー、ライター、チアダンスインストラクターとして活動中。

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