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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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キャリアに悩む同世代や高校生の力になる。MR・教員の経験を活かして、新たな道へ。

教員として働きながら、キャリアカウンセラーとしての活動もスタートした山谷さん。MRから教員を経て、キャリア支援の道へ踏み出す背景にある想いとは。お話を伺いました。

中学でバンドを好きになる

一人っ子で、男友達が多い活発な子どもでした。ピアノと水泳を3歳から始めました。ピアノは好きでしたが、水泳は最初は苦手でした。でも負けず嫌いだったので、一度始めたことは自分からやめるとは言いませんでした。

祖母がよく「これからの時代、女の人も働かなきゃいけない」と言っており、祖母の影響で女性が活躍しているイメージのある薬剤師になりたいと、漠然と思っていました。

小学3年生になる頃、同じ県内に引っ越しました。中学受験のため受験塾に通い始めましたが、小学校の友達と仲が良く、友達と一緒に地元の中学校に行きたいと両親に伝えました。

小学校で授業を聞く習慣ができておらず、地元の中学に進学してもスタンスを変えなかったので、中学2年生の1学期までどんどん成績が下がりました。塾で1ランク下のクラスに落ちたり、小学校の頃は同じくらいの学力だった子の点数を聞いたりして、初めて「このままじゃダメだ」と気づきました。それから授業をしっかり聞くようになりました。

中学生の頃は、ライブにもよく行きました。小学4年生の時、両親と従兄弟と4人でサーカスを観に行ったことがあり、その時、サーカスよりも、その近くでやっていたライブのコスプレのお姉さんがかっこよくて衝撃を受けたんです。それから、いくつかのバンドを好きになって、母を巻き込んでライブに行きました。

高校を選択する時も、先生から隣の学区の学校を勧められましたが「都心から離れるとライブに行けない」という理由で受けず。結局、学費免除の特待生として受かった、隣町の私立高校に進学しました。

先生に影響を受けて教員を目指す

高校では自分なりの反省もあったことと、成績が下がると特待の取り消しになるので、一転して勉強に力をいれた生活をしていました。結局遅い時間まで勉強するので、ライブに行かず、真面目な生活スタイルに変わりました。

高校にはロックバンド部がありましたが、やりたい気持ちはあったものの入りませんでした。運動が盛んな学校で、経験のないスポーツをしたくて競技スキー部に入りました。どんどん上手くなって、「ゼロから始めてここまでできるんだ!」とますます頑張りました。

高校1年の時は、数学が苦手でしたが、高校2年の時の数学の先生の影響で、数学が好きになりました。先生の影響で、教員免許をとろうと考えるようになりました。

高校2年で文理選択をする時、先生から「どっちでも好きなほうに行けるよ」と言われました。実は中学の時は、平均以下の点数をとるほど理科が苦手だったのですが、知らないうちにそこそこできるようになっていました。理系にも行けると言われたことが嬉しくて、理系に進むことにしました。

でも高校3年になると、もともと数学が得意な人との差が出てきて、数学科は難しそうだと思いました。同時に、一番苦手だった理科ができるようになっていたのと、教員免許をとるなら理科が狙い目だという情報を得て、理学部を受けることにしました。

教員を諦めて見つけた新たな目標

理学部化学科に進学し、教職課程をとりました。

大学生活は、ライブ、バンド、アルバイトで忙しく過ごしました。早朝にコンビニでアルバイトをして、9時から大学の講義を受け、夜は家庭教師をして、あいた時間に学外のバンド練習。一人暮らしだったので、とにかくお金を稼ぎたかったんです。時間を無駄にしないよう、スケジュールを管理していました。

大学2年生の頃、先生の一人に「教員は向いてないからやめたら?」と言われてしまいました。理由はわからないのですが、おそらくバンドをやっていたので身なりが派手で、教職課程をとっている人の中には、そういう人が他にいなかったからではないかと思います。教員が向いてないと言われ、大学に行く意味がわからなくなりました。でも途中で投げ出すのは嫌いなので、その頃は「とりあえず教員免許をとって卒業して、25歳くらいまでふらふらするか」と考えていました。

大学3年生の1月、大学の成績が芳しくなく、留年になる間際でなんとか4年への仮進級が決まりました。「有名企業に決まったら卒業できるんじゃないか」と考え、就職活動を始めました。

就職説明会で、同じ化学科を卒業してMRとして就職した先輩の話を聞きました。その先輩の大学生活が、自分と似ていたんです。自分と似ている人で就職が決まったなら、私もできるんじゃないか、と新しい目標が見つかりました。

先輩の勤める製薬会社から、最初に内定をもらいました。無事に大学も卒業でき、自分の直感を大事に、新卒でその会社に入社しました。

会社の肩書きに依存する人間関係

半年間の本社研修を経て現場に配属されました。MRはきついと言う人が多いですが、楽しかったです。訪問先で、初めは会社の名前で呼ばれますが、関係を築いていくと個人の名前で呼んでくださるようになるのが嬉しかったです。ドクターと話をするのが好きで、毎日が刺激的でした。

配属地は音楽も盛んな地域で、現地のバンドでCDを出すなど、プライベートも楽しみました。

東日本大震災が起こった時、私が住んでいる場所は被害が少なかったのですが、営業エリアが被災地でした。被災後、通常業務に戻るまでには時間がかかりました。私自身は早く普通に仕事ができる環境を整えようと必死で、普通に仕事ができることがこんなに幸せなことだったんだなと改めて感じました。

MRは、担当エリアが変わるのはよくあることですが、震災の影響もあってか、たまたま同じエリアを長く担当できたんです。築いてきた人との繋がりで、6年間順調に仕事をしていました。

7年目、担当エリアが変わりました。関係を築いてきた人と離れ、また一から関係を作り直さないといけません。その時、「会社の肩書きで目の前の人と会わせてもらっているんだ」と気づいたんです。更に3年くらい経つとまた担当が変わり、一から関係づくりをしないといけない。そう考えると、「会社の名刺を使わず、長く関われるほうが良いな」と思いました。

それをきっかけに、「10年後、この仕事をやっているだろうか」と考えると、ビジョンがわきませんでした。将来、MRは今ほど人数が要らなくなるかもしれない、とも思いました。好きな仕事ですが、これまでも時代の流れとともに、仕事の内容が少しずつ変わってきていたんです。それで、退職を決めました。

教員の仕事を経て、キャリアの道へ

転職エージェントからは、MRや営業職を提案されました。いろいろと見てみたものの、MRとして他の企業で働くビジョンはわかず、違うことをやりたいなと思いました。でもMRは価格交渉がないので、価格交渉をするような営業職を今からやる自信もなかったんです。

また、MRは全国転勤がありますが、家族の具合が悪い時、祖母が亡くなった時に、地元に帰れずあまり関われなかったことに後悔がありました。なるべく地元の近くやアクセスしやすい場所にいたいと思い、次は全国転勤のない仕事にしようと決めました。

会社の看板を外しても関係性を保っていけるものが良い、人から忘れられない人になりたい、と考えていた時、教員になりたかったという気持ちを思い出しました。

雇用形態にはあまりこだわらずに仕事を探しました。退職後3~4ヶ月経った29歳の頃、初めは業務委託で、翌年首都圏に異動することを前提に、まずは通信制高校の非常勤講師をすることになりました。

教員になり、働き方ががらっと変わりました。教員は思考的、じっくり練るタイプの仕事ですが、MRはスピード重視の仕事です。最初は戸惑いましたね。この仕事で大事なのはこういうことなんだ、と意識しながら、徐々に慣れていきました。収入は下がりましたが、その分プライベートの時間がとれ、音楽活動で自分の裾野を広げられました。

通信制高校は、生徒の高校卒業後の進路の幅が広いので、普通科よりも早く進路を考える必要があります。生徒の進路相談にのるのが好きで、やりがいがありました。そこから進路指導に興味を持ちました。教育業界でもキャリア教育を推進しており、教員も勉強すべきだということで、翌年、首都圏勤務になってから、進路アドバイザー検定という資格を取得しました。進路にまつわる勉強は楽しかったです。

更に翌年、出身校での教員募集があり、通信制高校を辞め、出身校の常勤として勤めることになりました。

出身校に転職してから、国家資格キャリアコンサルタントの資格をとりました。勉強をしている中で、製薬会社を辞めた理由など、自分のことを改めて整理し、知ることができたのがおもしろかったです。

資格をとっただけになるのが嫌で、今の生活の中で資格を活かしてできることがあれば、とインターネットで検索しました。その中でエスキャリアを見つけ、共感して、チャットやメールでのカウンセリングの仕事をするようになりました。

キャリアに悩む人の力になりたい

現在、私立高校での仕事と、エスキャリアにてチャットキャリアカウンセリングの仕事をしています。

高校では、授業を持ちながら広報の仕事もしています。製薬業界にいた経験を活かして、医療系の大学に行きたい生徒の指導もしています。

エスキャリアでのチャットカウンセリングは、最初は対面でないとやりづらいのではと思いましたが、文字におこす分、言葉が浮き彫りになってきます。相談者の写真を登録していただくこともあり、イメージがしやすく、対面と変わりません。自分には合っていると思っています。

これから、人材紹介会社への転職が決まっています。高校の仕事は、やりがいはすごくありますし、楽しいです。新卒から教員をしていたら、辞めていないかもしれません。でも製薬会社と高校教師の両方を経験すると、やはり私はスピード感のある仕事が向いているなと思いました。

また、私の世代には、キャリアに悩んでいる人が多いと感じています。私の就職した翌年にリーマンショックでの内定取り消しがありました。ほんのちょっとのボタンの掛け違えで、会社を辞める決断をする人も多いです。少しの違いで、人生に影響が出てしまいます。だから、悩みながら働いている人の力になりたいと思っています。

高校生の進路の相談にのることが好きなのですが、高校の教員だと、そこに関わる時間は1日の中でも限られています。もっと直接的に関わる時間がほしいと思っています。一度、高校生と関わる仕事からは離れますが、ゆくゆくは、この仕事の経験を活かして、キャリア教育の仕事をしていきたいと思っています。


山谷 千明 さん
30代前半 / 私立高校講師(※取材当時)

大学卒業後、製薬会社に入社。MRとして7年間勤める。その後、高校の教員に転身。通信制高校の非常勤講師を経て、私立高校の常勤として勤務。キャリアカウンセリングにも携わる。2018年4月より人材紹介会社にキャリアコンサルタントとして転職予定。

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