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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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キャリア支援に携わることを目指して。今は自身のキャリアの変化を楽しみたい。

大学を卒業後、ホテル運営会社にてホテルサービス、人事、ブライダル業務全般をご経験された上林さん。キャリア支援の仕事がしたいと転職活動中に妊娠が判明。上林さんが描く今後のキャリアとは。お話を伺いました。

人見知りを克服したい

栃木県の小さな町で生まれました。人見知りが激しく、初対面の人と会うと泣き出すほどでしたが、幼稚園から中学校までほぼメンバーが変わらない環境だったおかげで、気心の知れた仲間と楽しく過ごしました。

小中学校の頃のあだ名は「ねえさん」(笑)。勉強を教えてあげたり、悩み相談にのったり、頼られることに喜びを感じる、ちょっと大人ぶった子どもでした。

高校入学後は念願だったオーケストラ部に入部し、ビオラを担当しました。バイオリンのような主旋律を弾く楽器ではなく、メロディーをサポートするような楽器がやりたかったんです。「自分自身が輝くのではなく、自分の働きによって隣の誰かがより輝ける」ことに大きな喜びを感じていました。

国立大学の日本文学科を受験。引き続きオーケストラサークルに入りました。サークルでは高校の部活とは違い、組織運営をすべて自分たちで行いました。私は指揮者の先生との契約やスケジュール調整などを行う、秘書のような役割を与えられました。

しかし人見知りが健在だったこともあり、先生方とコミュニケーションをとるのにとても苦戦してしまいました。これから社会に出ていくにあたって、このままのコミュニケーション能力では通用しないと痛感しました。

この弱みを強化するために、まずは接客でコミュニケーションスキルを磨こうと考え、就職活動はサービス業界を中心に行い、ホテル運営会社への就職が決まりました。

一方で、普段から自身の感情の波にあまり影響を受けることがなく、精神的に強いことが私の強みだと思っていました。人のサポートをすることも変わらず好きだったので、自分は人事や総務などの仕事が向いているんじゃないかと思っていたんです。現場での経験を積んだのち、いずれは人事や総務の部署に異動できたら、と考えていました。

早すぎた希望部署への異動、挫折を経験

入社後、北海道のリゾート施設に本配属となり、最初はフロント業務やレストランでの接客を担当しました。この施設は別の会社から運営が変わったばかりで、旧組織の人と新組織の人の間には溝があり、旧組織の人から、「また新組織の生意気な新入社員が来た」と煙たがられているのを感じました。

しかし、今までの苦労や思いを一人ひとりから聞かせていただくうちに、関係性はだんだん変わっていき、たくさんの方にかわいがってもらえるようになりました。この経験と、日々の接客の積み重ねが、課題だったコミュニケーション能力を鍛えてくれました。

入社して1年半で、事業所付の人事総務部に異動になりました。人事総務への異動は3年後くらいにできたら、と考えていましたが、思いのほか早く異動が叶いました。

しかし、まだまだ運営が軌道に乗っておらず、部署には労務を担当する先輩と、採用などを担当する私の二人しかおらず、大規模の施設を二人で回していました。やりたい仕事ができて嬉しかったのですが、やる気はあれども経験のない私が、一人で担当業務を進めていくのは難しいことでした。寝る間のないバタバタとした日々が続きました。

さらにリーマンショックのあおりで、各部署で人員の取り合いが勃発し、現場からの不満が沸き起こりました。数を確保しようとすると質が保てなくて。どんなに頑張っても力が及ばない苦しさが募り、異動が早すぎたと感じました。求めることに対して、応えられる力量がなかったんですよね。

しばらくして、心身のバランスを崩してしまいました。このまま人事として働き続けるのは無理かもしれない、と支配人に相談しました。本社の人事部長も働きかけてくれ、結果として人事総務のチームがすべて解散、一新されることが決まりました。私はいったん現場に戻り、再びフロント業務などを行うことになりました。

挫折から得た、しなやかに生きること

それから半年後、入社4年目で、今度はブライダル部門へ異動になりました。仕事は楽しかったですが、これからのキャリアをどうしていったらよいか悩んでいました。

「精神的にタフであること」が強みと自負していたのに、人事として力を発揮できなかったことがショックで、自分の理想像がわからなくなっていました。そんなとき、お世話になっていた他企業の人事の方から産業カウンセラーの資格の話を聞き、興味を持ちました。

人間の心のメカニズムを知りたくて、産業カウンセラーの講座に申し込み、資格取得に向けて勉強を始めました。模擬カウンセリングの中で気づいたのは、「忍耐強いこと=美徳」という強い固定観念が自分にあったことでした。

人事時代、理不尽な出来事に遭遇した時、本当は「無理!」「なんで!」「おかしい!」と思っていても、愚痴や弱音をこぼすことを嫌っていた私は、自分の力不足を責めるばかりになっていました。心をコントロールできていたのではなく、感情に無理に蓋をして、本当はもやもやを消化しきれずどんどんフラストレーションが溜まっていることに気づけなかったんです。

「自分の感情にもっと敏感になり、必要な時には不満も口にしたらいい」と考えられるようになったことで、硬すぎた心の芯に柔軟性が生まれ、以前よりもしなやかに生きられるようになったと感じました。カウンセリングの力を身をもって知りましたね。

また、資格取得前にも関わらず、周囲からキャリアの相談を受けることが増え、「悩んでいる人がこんなにいるんだな」と、キャリアカウンセリングの潜在的なニーズも実感しました。

28歳の時、産業カウンセラーの資格に続いてキャリアコンサルタントの資格試験にも無事合格した頃には、社内でキャリアカウンセリングが気軽にうけられるような制度を作りたいと考えるようになっていました。これを実現させるために東京本社への異動を検討していたのですが、同時に、交際していた同じ職場の彼との間で結婚の話が出ました。

結婚するか、異動するかとても悩みましたが、北海道に残って結婚することを選ぶ私の背中を押してくれたのは「プランド・ハプンスタンス*」という考え方です。自分のライフイベントの状況と、会社の組織事情など周囲の状況を常に意識し、必ず巡ってくる次の機会を逃さずつかめたらいい。そう思ったら、すっぱり決断することができました。

こんな風に考えられるようになったのは人事時代の挫折のおかげで、あの経験をしてよかったなと思いました。自然にそう思えたことが、嬉しくもありましたね。

結婚後、程なく主人が転職をすることになり、それに伴って転居が決まりました。道内ですが、転居先からの通勤は難しくなります。この時、これは利用すべき『偶然』の機会だと思いました。やりたいことの実現のため、これを機に私も転職することを決意し、業務のめどがつく時期に退職できるように準備を進めながら、転職活動を始めました。

*プランド・ハプンスタンス(計画された偶発性)…今やキャリアは、その8割が『予期しない偶然の出来事』によって形成される。その『偶然の出来事』を味方につけ最大限に活用すること、更にその『偶然』をただ待つのではなく意図的にそれらを生み出すよう行動することが、キャリアを発展させる力につながるという理論。1999年にスタンフォード大学の教育学・心理学教授であるクランボルツ教授によって提唱された。

転職活動中の妊娠判明にドタバタ悩む!

将来的に目指したいと考えたのは、フリーのキャリアカウンセラーです。転職の前段階などキャリア全般における支援を、いずれ訪れる出産・子育てといったライフイベントや居住地に縛られることなく続けられたらいいなと思ったからでした。

そのためにまずは人材業界で実績を積みたかったので、人材紹介会社を中心に転職活動をしました。何社か面接を受け、最終面接まで進むことになったのですが、その直前のタイミングで妊娠が判明しました。

正直、とても困惑しました。私たち夫婦は、キャリアを含めた人生のステップを、お互いに応援し尊重しているような段階でした。子どもを授かるのはもう少し先のことかなと思っていたんです。

妊娠を家族や親しい友人に打ち明けた時、当然のごとく「家庭に入るんだね」と言われました。でも私は仕事のあるライフスタイルが断然好きで、仕事をしない期間をイメージしたことがなかったんです。これから何をどのように考えていったらいいのか、全くわかりませんでした。

家庭に入ることを前提と考えない人の意見を聞いてみたいなと思った時、日本でも少しずつ増えている有料のキャリアカウンセリングのことが頭によぎりました。一度体験してみたいと思っていたので、「今こそその時だ!」と早速ネットで検索し、エスキャリアの「マイ・カウンセラー」に行き着きました。転職活動中に妊娠がわかったという同じ境遇のカウンセラーさんを偶然みつけて、すぐにカウンセリングをお願いしました。

カウンセリングを受けたのは最終面接の4日前。とても焦っていましたが、「やりたいことの実現のためにキャリアを途絶えさせないように、とりあえず面接を受けてみてはどうか」という、周囲とは真逆の意見をいただき、そういう考え方もあるのか、と目からうろこが落ちるような気持ちでした。

一方で、お腹に宿る命のことを考えると私の独断だけでは決められないなという思いもありました。一晩散々悩んだ結果、転職活動を辞めて家庭に入る方に傾き、最終面接を受ける予定だった企業数社に事情を説明しました。

するとそのうちの一社が、「状況を見ながら、考えましょう」と言ってくださいました。2か月ほど時間をいただけたので、慌てて出産・子育てに関する社会保障制度なども調べ出し、それらを鑑みた上で、働く形の選択肢を改めて検討しました。

しかし一方で、初めての妊娠で何より身に染みたのは、慣れた職場、慣れた業務でさえ、想像以上に無理がきかないということでした。もし入社させていただいたとしても、新しい場所、仕事で期待されているほどの成果を出せないかもしれない、それは企業側にも私自身にも良くないだろうと結論を出し、辞退を受け入れていただきました。

妊娠判明から随分ドタバタと悩みましたが、様々な視点から考え、悔いのない選択ができたので、カウンセリングを受けて本当によかったと思いました。

予測できない自分の変化を楽しみたい

現在は、母になることへの責任感、期待感、いろんな気持ちでドキドキしながらも、出産までの残り数か月を人生の中の「おやすみ期間」とすることに決め、初めての専業主婦生活をのんびり楽しんでいます。

「転職するかどうか悩んでいる」多くの人が、その悩みを相談する場を持てず、くすぶった思いを抱えたまま前に進むきっかけをつかめないでいる現状があると、前職にいた頃からずっと感じています。それは本人にとっても、日本の労働市場においても、大きな損失だと思うんです。

だからこそ、エスキャリアで展開されているような、相談者側に立った有料カウンセリングのサービスはもっと社会に認知されてほしいと強く願います。いずれ私も何らかの形でそういう働きができるよう、できる努力をしながら『偶然』のチャンスを狙い続けたいです。

とは言いつつ、思いもよらず主婦になることを選んだ自分がいるように、今度は人生のビッグイベント「出産」を経て、自身のキャリアに対する考えがまたがらりと変わるかもしれません。今は考えすぎず、予想できない自分の変化を楽しみにしていようと思っています。


上林 円慧 さん
30代前半 / 専業主婦/キャリアカウンセラー

大学を卒業後、ホテル運営会社にてホテルサービス、人事、ブライダルを経験。在職中に産業カウンセラー・キャリアコンサルタントの資格を取得。結婚、妊娠を機に8年勤めた会社をこの春退職。2018年夏に第一子出産予定。

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