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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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挫折とチャレンジを繰り返して自分らしいパラレルキャリアの道を歩む。

会社に勤めながら、セミナー講師やハラスメント防止コンサルタントとしても活躍している金田さん。過去の経験が活かせない場での挫折・自信喪失から得た、自分らしいキャリアとは。お話を伺いました。

自分を貫き通すこと、人前で話すことを学ぶ

広島県で生まれました。幼少期は、親の転勤に伴って中国四国地方で転校を繰り返していたので、同じ年頃の友達がいませんでした。一人っ子でおとなしく、部屋で遊んだりピアノを弾いたり本を読んだりするのが好きでした。

小学2年生の頃、千葉県に引越しました。転校生は注目されるので居心地が悪く、もともとの内向きな性格もあり、1人でいるのも良いかなと割り切って過ごしました。

小学5年生で千葉県内で引越しをした時、キャラを変えてみようと、前の学校の明るい子をロールモデルにして明るく振る舞ってみたんです。マーチングバンド部にも入って、初めて人に見られる経験をして「私も人前に出ることができるんだ!」と感じました。友達も増えたし、楽しかったですね。

でも小学校で燃え尽きたのか、中学ではまた内向きな性格に戻りました。少し荒れている学校で、グループ派閥もあり、目立たないように周りを気にしながら過ごしました。

「今度は素で行こう、やりたいようにやろう」と少し遠い場所にある女子校に進学しました。生徒の自主的な活動を認めてくれる学校で、いろいろなサークルがありました。所属するのは好きではなく、研究会をいくつも作っては友達数人で活動しました。

生徒同士もグループはあるけれど個人を認め合う雰囲気で、「目立つ子はターゲットにされることもあるけど、やりたいようにやっても、貫き通して突出すると認められるんだ」と学びました。

勉強を頑張っていたのに、憧れていた大学には入れず、ショックでしたが、興味があった福祉・国際関係論を学べる私立大学の社会学部に入学しました。将来グローバルに活躍できるように、ビジネス英会話の学校にも通い、放送関係のサークルにも入って活動していました。

また、副賞のハワイ旅行に行きたくて、ミスコンにも出場しました。人前で話すのが上手で綺麗なお姉さんがたくさんいて、自分とのギャップに驚きましたね。「自分はなんて垢抜けないんだろう」とコンプレックスを感じ、セルフプロデュースは大事だと気づきました。それから、自分を見せること、人前で話すことは訓練しないとダメだと思い、意識して他の人を観察するようになりました。

ナレーター・コンパニオンの事務所にも登録してレッスンを受けたことがありましたが、こういう世界に入るのは自分には向いてないなと思い、一般企業への就職を目指しました。

海外の人と接して異文化に触れながら仕事をしたいと思い、就職活動では外資系航空会社のグランドホステスの仕事を受けました。しかし上手くいかず、落ち込みました。未練はありましたが、ゼミの先生から紹介してもらったIT企業に入社しました。

病気休職後の自信喪失

入社後は、ショールームのインストラクターとして働き始めました。新しい商品の操作説明をしたり、営業担当と一緒に客先で指導したり。製品には正直興味を持てませんでしたが、仕事に関して理想と現実のギャップはありませんでした。忙しくて余計なことを考える暇もなく、「与えられたことは完璧にやっていこう」と割り切って仕事をしていました。5年後にはショールーム運営にチーフとして関わることになり、20代は仕事に突っ走りました。

30歳を過ぎて、結婚をしました。結婚・仕事の両立に無理をしすぎたのか、体調を崩しました。病気を患い、社会人になって初めて立ち止まりました。気持ちも落ち込みましたね。退院してもすぐには体力が戻らず、半年弱休職しました。

復職の際、体力が心配で、内勤でできる仕事に異動希望を出しました。全く馴染みのない法人営業部に異動し、営業のサポート、商品販売促進などに携わりました。今までのキャリア・経験が活かせず、いかに井の中の蛙だったか、思い知りました。また後輩がバリバリ頑張っている姿を見て、「私、役に立ってるのかな?」と自信を喪失していきました。仕事にやりがいを感じられなくて、辞めることも考えました。

このまま続けて会社のお荷物になっていくのか…と考えましたが、そうはなりたくない。それで、自分なりに頑張っていこうと気持ちを新たにした時、新しいプロジェクトに携われることになりました。新しいプロジェクトでは、代理店にECサイトから注文してもらう仕組みを導入するため、説明をする人が必要になったんです。以前インストラクターをやっていたので、ぴったりじゃない?ということで声がかかりました。

内勤でのサポートだけでなく、仕事で外に出られるようになりました。体力も徐々に戻ってきていたので、説明用のテキストを作り、アポイントもたくさん入れました。作成したテキストは営業担当にも評判が良く、「こういうことはできない?」と新たな相談が舞い込むようになり、気づけば、元の充実感を取り戻していました。

出向でプライドを捨て、初めて自分の能力に向き合う

その後、人材育成の部署に異動し、研修や社内調整の仕事をすることになりました。しばらくして、リーマンショックがおこり、グループ会社への出向を命じられました。

同じように人材育成を担当しましたが、環境や職場風土が違い、今までのやり方が通用せず、成果を出すために自問自答する日々が続きました。

そんな時、役員から、「プライドが邪魔しているなら、そんなプライド捨ててしまえ!」と言われました。その一言に“ハッ”とさせられましたね。あー、自分のやり方を押し通そうとしていただけなんだ。人を巻き込んで仕事するために、もっと自分自身の能力に向き合わなくては、と思いを新たにしました。

そこで、キャリアコンサルタントを目指したんです。自分はできると思っていたことが、周りの人のサポートがあってこそできていたことなんだと気づき、「人材育成のプロと言えるように、改めて何か勉強しないといけない!」と決心しました。それまで、会社でプログラム化された階層別研修を担当してきましたが、キャリアコンサルティングも研修企画も、きちんと学んだことがありませんでした。

ほどなくして、産業カウンセラーや、メンタルヘルス・マネジメント、キャリアコンサルタントの資格を取得しました。外部のセミナーにも出向くようになり、関連してパワハラ・セクハラについても学びました。

40歳になり、本社復帰後も、人材育成部にて階層別研修の企画・新入社員研修などの担当になりました。現場から「若い人のサポートをきちんとやらないと」と声が聞こえてきたり、違和感をもって辞めてしまう人も出てきたりする中で、世代間のギャップを仕組みで解決することが必要だと実感しました。

いろいろな企業に話を聞きに行き、良い取り組みをピックアップしました。メンタルヘルスケアの啓蒙活動を始め、利害関係のないもの同士がメンター関係を結べるメンター制度の設立に携わりました。

自分の名前だけで何ができるのか

仕事がおもしろく、やりがいを感じていた40代半ば頃、後輩の女性社員が次々と昇進していきました。家庭、仕事、子育てを自然にやってのける彼女たちを見て、もやもやして、過去の自分と比較して落ち込みました。なんで自分はそうなれなかったんだろう、と。

上昇志向はないと思っていましたが、役職や給与など、もう少し目に見えるかたちで認めてほしかったのかもしれません。自分のキャリアはどうあるべきか、自分は何をできるのか、自問自答を繰り返していました。

思い悩んでいた時、客員講師募集の求人を見ました。自分らしさを取り戻すために、自分が活躍できる場を求めていましたし、自分の名前で通用するのか、会社に勤めるだけじゃない自分の可能性を探ってみたいと思ったんです。二足のわらじもおもしろいかもしれない、と思いました。登録をして、少しずつですが、講師の仕事を始めました。

周りからは「大企業にいるのだから、そのまま勤めたらいいのに」と言われましたが、副業と言っても講師料は少ないので、上司も黙認してくれました。それからは、「ひとり働き方改革」と宣言して、パラレルキャリアの道を進み始めました。

会社では、経営企画部に異動し、中期経営計画や職場風土醸成活動に携わった後、2年後にまた異動をし、マーケティング部門にて、マーケティング調査と若手育成に携わるようになりました。

パラレルキャリアの道を歩み始めても、正直にいうと、昇進や評価については吹っ切れていないところがありました。キラキラした後輩のように「仕事で認められること」を手に入れられなかった自分を認められなかったんです。

そこで、昨年末にエスキャリアのキャリアカウンセリング「マイ・カウンセラー」を受けました。担当カウンセラーの河野さんに「比較しないことも重要。何をもって輝くかは人それぞれ。自分なりに輝けば良い」と言っていたただきました。気持ちが楽になりましたね。

また、パラレルキャリアを歩んでいくために、他にも資格をとるべきか相談しました。これまでいろいろな資格を取得したので、何を仕事にしていくか、ぶれていたところがあったんです。でもキャリアカウンセリングを通して、インストラクターにしろ講師にしろ、『自分の言葉でわかりやすく伝えることが好き』だと気づきました。河野さんにも「インプットは終わったから、かおりさんらしくアウトプットしていけば良い」と言っていただき、セミナー講師を仕事にしたいなら、それに邁進したら良いんだ、と腹落ちした思いでした。

様々なチャレンジによる、自分らしいパラレルキャリア

現在、「ひとり働き方改革実行中」と宣言して、パラレルキャリアの道を邁進しています。会社で勤める傍ら、複数箇所でセミナー講師、ハラスメント防止コンサルタント、セミナーコーディネーターなどもしています。自分の名前だけで勝負する緊張感とやりがいはたまりません。

会社では、フルタイムの正社員として働いています。マーケティング調査と若手育成を担当しています。どちらかと言うとスペシャリストに近く、1人で動くことのほうが多いですが、組織を横断して連携をしかけることもあります。

また、最近はエスキャリアにて、研修の運営や講師とのやりとりをする研修ディレクターの仕事も始めました。自分のスキルでどこまでできるか、チャレンジ中です。

今はセミナー講師の仕事が上手く回り始めています。お客さんは意外とこういうところで困っているのかも、と講師として気づいたことを、会社の業務に役立てることもあります。

これからやろうとしているのは、ハラスメントの背景にある世代間ギャップを埋めることです。ハラスメントをしてはいけない、と言うのは簡単ですが、根底の意識や、コミュニケーションを変えていかないといけないと思っています。異なる世代がそれを意識せずにコミュニケーションをとれ、お互いの良さを認め合う職場やチームを実現したいと考えています。

今後も、自分らしいパラレルキャリアを、自分のペースで実行していきたいです。将来的には、自分の経験から、個人の強みを見つけて自信を取り戻すきっかけを作ったり、癌など病気と闘いながら働く人が、仕事をどう続けていくか、一緒に考えてサポートできたりすると良いなと思っています。

 


金田 かおり さん
50代前半 / セミナー講師/ハラスメント防止コンサルタント

大学卒業後、一部上場企業のOAインストラクターとして入社。パソコン教室運営や法人出張講習に従事。その後、人材育成に従事し、階層別研修の企画・新入社員研修にあたる。メンタルヘルス不調の予防に務め、メンター制度の整備に奔走。その経験を活かし、2014年から外部団体の客員講師として活動を開始。現在は、パラレルキャリアの道を邁進中。

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