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自分らしいキャリアに踏み出した
女性100人の軌跡
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自然と触れ合う中で人間力を培ってほしい。子どもたちが教えてくれた大切なこと。

団体を立ち上げ、子どもたちへの様々なキャリア教育活動に励む村上さん。ご自身の3人の子育てやキャリアから学び生かされていることとは。お話を伺いました。

好奇心旺盛で、人を喜ばせることが大好き

年の離れた姉が2人、3姉妹の末っ子として高知県で生まれました。好奇心旺盛で、1つのことにハマると徹底的に突き詰めるタイプでした。そんな私をいつも応援してくれる両親が大好きでした。

人を喜ばせることも大好きで、友人のサプライズ誕生日パーティーをよく企画しました。家族の中で一番年下なので、何もできないように扱われることが悔しかったんですが、人が喜んでくれる姿をみることで、自分に自信を持つことができたんですよね。

中学生の頃から、最先端のものが集まる東京に憧れを持つようになりました。姉がすでに上京し、ブランドのデザイナーをしていたんです。そんな姉がとてもかっこよく見えて、将来は私も東京で働きたいと思っていました。

学力に合うと考えて選んだ地元の商業高校は、県内各所からスポーツ推薦で入学してくる子がたくさんいました。それまで地元の狭い世界で育ってきたので多様性を感じ、入学当初はとても楽しかったです。

しかし、だんだん友人との間に、考え方のギャップを感じるようになりました。私は将来について漠然と不安があったんです。将来のことなんて何も考えず今を楽しむ友人と過ごすのはとても楽しいと思う反面、一緒にいることに嫌気がさしている自分もいました。将来への不安から、英語の塾に通い、勉強を始めました。

進路を考え始めた頃、ドラマの影響で、旅行業界に勢いがありました。人を喜ばせることが好きだったので、いろんな人が喜ぶ旅行を企画したいと思い、添乗員になるために東京の旅行専門学校を目指しました。

無事専門学校に合格し、上京。学校では地理や旅行業約款や英会話、添乗員としての在り方など、旅行に関する一通りのことを学びました。とても楽しく、卒業したら旅行業界に就職しようと決めていました。

念願の旅行業界へ。女性初の本社登用試験に合格

バブル期で就職活動には苦労せず、第一志望だった鉄道会社から内定を頂きました。入社後は旅行を扱う部署で、お客様に旅行を提案するカウンター業務を担当しました。

当時は男性社会で、女性は事務・接客がメイン、重要な仕事は任されないし昇進もない。完全に住み分けができ、お互いがそれに満足し、誰も疑問に思うことなく働いていたように感じました。

しかし私はそんな雰囲気にとても違和感があったんです。入社して6年ほど経ち、次第に男性と同じようにキャリアアップしたいと思うようになりました。本社に異動し、企画や営業に挑戦してみたいという気持ちが強くなったんです。

女性の登用の前例はなく、本社配属のための登用試験の希望を出しても、2年ほど上司から断られ続けました。諦めず希望を伝え続け、試験を受けさせてもらえることに。無事合格し、本社にてホテルの営業などを行う部署に配属されることになりました。

しかし、実際に本社勤務になってみると、息苦しさを感じました。1つのプロジェクトを遂行するのにたくさんの工程が必要で、組織の中でがんじがらめになる気持ちでした。以前のカウンター業務では、お客様に対して自分の好きなように提案でき、喜ぶ気持ちが直接伝わってきて、とてもやりがいを感じていたことに気づいたんですね。

本社に異動し、1年経たないうちに、結婚・妊娠しました。育休が終わるとき、本社での仕事にやりがいを感じられず、もっと子どもと一緒にいたい気持ちもあって、会社を辞めたいと思いました。でも「専業主婦には向いていなから辞めない方がいいよ」と夫に説得され、渋々復帰しました。

幸い、義理の両親も協力的でしたし、上司や同僚も理解ある方が多く、女性に優しい会社で、母として働く環境に恵まれていたことが仕事を続ける励みになりました。その後、2人目、3人目を出産しました。

多様性に触れ、これからのキャリアを真剣に考える

本社に勤務して10年が経ち、長男が小学校中学年になる頃、長男の学校での人間関係がうまくいかなくなってしまったんです。それで、もう少し子どもに寄り添える時間を作りたい、と退職を考え始めました。

周囲からは、「子どもが中学生になって手がかからなくなるまであと数年だから、こんなに働きやすい会社を辞めるなんてもったいない」と言われました。しかし私は逆の発想で、「あと数年しかないのならそのわずかな時間を子どもと一緒に過ごしたい」と思ったんですね。思い切って、15年勤めた会社を辞めました。

退職して1週間ほど経った頃、国際会議運営会社を経営する友人から、外国の著名人が集まるパーティーでの簡単な受付業務の仕事を手伝ってほしいと依頼を受けました。前職でカウンター業務をしていて接客も得意だったので軽い気持ちで引き受けました。それから、今後も手伝ってほしいと言われ、パートタイムで働き始めました。

小さな会社で、会議運営に関わる全ての業務を少人数で全て行いました。会議のある日は一日中走っているような慌ただしさがありました。前職の、大企業ならではのぬるい雰囲気とかなりギャップがあり、ハードでしたが面白かったですね。

また、国によって全く違うたくさんの価値観に触れることができ、衝撃を受けました。多様性ってこういうことなんだ、と私自身の価値観もガラッと変わりました。

パートタイム勤務で子どもと過ごす時間が圧倒的に増え、3人それぞれの個性をより見極められ、とても貴重な時期でした。3人とも個性が強いため、現在の学校教育にあまり合っていないように感じたんです。このままの社会だったら、うちの子たちが生きていけないと強く思いました。

また、仕事をする中で多様性に触れ、それを自分の子どもだけでなく、たくさんの子どもたちに伝えていきたいと思うようになりました。世の中には色々な人がいて、色々な仕事があり、それぞれが人の役に立っていると知る機会を作る必要があると感じました。将来の働き方にも多様性があることを示したいと考えるようになりました。

自分のやりたいことが明確になってくる一方で、子どもの成長に伴い経済的負担が増え、安定的な収入が必要になってきた時期でもありました。前職の会社のカムバック制度のリミットが迫っていたので、思い切って転職を決めました。

本当にやりたいことの実現に向けて

復帰後は食品宅配サービスの部署で、企画営業の仕事をしました。シニア世代への宅配がメインでしたが、一人あたりの宅配量が少ないため採算が取れない。そこで私はターゲットを働く主婦に変えたり、食材ではなく惣菜を取り入れたらどうかと、長年の主婦の経験を生かしてどんどん提案しました。

しかし、長年職場を離れていた私がいきなり感覚だけで伝えても誰も納得してくれないんですよね。伝えるためには数字で示したり、ロジカルな提案が必要でした。それができないことが悔しく、コンプレックスに感じ、ビジネススクールに通い始めました。

クラスメイトは年齢が私よりも一回りくらい下で、世代の違いを感じましたね。みんなとても勤勉で優秀で、厳しい就職試験を潜り抜けた精鋭たちの集まりでした。

その仲間と授業を受ける中で刺激もありましたが、気後れすることもあり、また、ロジカルに考えることや数字で示すということが苦手だと改めて気づきました。

しかし、周りのみんなと違う視点を持っていることを面白いと言ってもらえたり、私ならではの経験を語ったりと私にしかできないこともあり、それが私の自信になりました。いい仲間に巡り会えたなと思います。ビジネススクールの運営側だったエスキャリアの岡本さんと出会ったのもこの時期でした。

スクールの卒業後、仲間で集まった時の、岡本さんの「村上さんは起業家向きだと思います!」という何気ない一言がとても印象に残りました。スクールでは組織の中で女性リーダーになるコースを受講し、私自身「もしかしたら組織に合わないかも・・・」と気づきました。岡本さんの言葉を聞いて、やっぱり私は自分で事業をしていく方がいいのかもと背中を押されました。

実際どう行動していったらいいか、と悩んで、エスキャリアのキャリアカウンセリングを受けました。ずっとモヤモヤと考えていたことを客観的に、冷静に整理をしてもらえたことで、気持ちがとてもすっきりしました。また起業に向けてのステップを明確にすることができました。

私のやりたいことは、子どもたちに多様性を教えること、社会を生き抜く人間力を培えるような場を提供することだと考え、団体を起こすことを決めました。

自然を通して人間力を培ってほしい

現在、任意団体「まなびのば」の代表として「商店街×子ども」という軸で、商店街の活性化と子どものコミュニケーション能力を高めることを目的としたイベントを企画、運営しています。

大型スーパーやオンラインショップの増加により、マニュアル通りの接客しか受けなくなっていますよね。かつてはお店の人とのやりとりを通して様々な人間力が培われていたと思うんです。今の子はコミュニケーション能力が低いと言われがちですが、能力を高める機会がないだけだと思うんですね。

商店街の商品を題材にしたイベントを通じて、大人と触れ合う中で子どもがコミュニケーション能力を高められたらいいな、商品を知ることでその商店街の魅力が子どもから大人に伝わり活性化していくことができたらいいな、という想いでやっています。

この活動に加えて、もう1つ任意団体に所属し「児童養護施設の子どもたちにかっこいい大人の背中を見せる」というプロジェクトも行っています。養護施設の子どもたちは職業観が醸成されないまま社会に出て、うまくいかなくて心が弱ってしまう子がたくさんいるんです。長男が学校に適応できなかった経験から、特殊な環境にいる子どもたちの手助けしたい、と思うようになりました。学校にいるうちから色々な働き方を教えたり、社会に出て困った時に相談できるような環境づくりを通して、より多くの子どもたちが社会で活躍してほしいと思っています。

さらに、NPO法人JAMネットワークにも所属し、ことばキャンプというプログラムのインストラクターの資格を取得し、児童養護施設にて自己肯定感やコミュニケーション力を高めるプログラムを講師として提供しています。現在、大田区にて一般のお子さん向けに教室も開校しています。

大人になることにワクワクする、仕事に就くことが楽しみになる、そんな子どもたちがたくさんいる社会になってほしいと思いながら活動しています。

3年前から団体の活動の一環として米作りを始めました。米作りを通して、人間力は自然と触れ合うことでこそ、養えるものだと実感しました。災害や害獣など、どうしようもないことにどう折り合いをつけるかを考えることは、生きていく上でもとても大事なことだと思うんです。

今後は自然と触れ合いながら人間力を高めていけるような活動を増やしていきたいですね。それによって自然に感謝すること、生きることに感謝できる人を増やしていけたらいいなと思います。


村上 好 さん
40代後半 / 「まなびのば」代表/ことばキャンプキッズインストラクター/SOCIAL FIRST STEP副代表

高知県出身。大手鉄道会社にて旅行代理店業務、企画、添乗を経験後、女性初社内登用試験に合格、本社にてホテル営業、営業サポートを経験。その後7年間、国際会議運営会社にて会議運営業務全般、主に省庁関係の国際会議を担当。その後新卒入社した鉄道会社に再入社。主婦向けの商品サービスの部署で商品企画等を担当。2015年に退社し同年11月「まなびのば」を立ち上げ、子どもを軸に地域に根ざした教育の場を提供し、商店街と協働することで街の活性化とキャリア教育の取り組みを行なっている。

「まなびのば」 
ことばキャンプ 
SOCIAL FIRST STEP

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