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学歴コンプレックスからの脱却。サーフィンも仕事も楽しむ、理想の働き方。

フリーランスのヘッドハンターで、産育休から復帰したばかりの小柳さん。学歴コンプレックスを持っていたという小柳さんが、仕事で成果を出し、理想の働き方を目指すようになった背景とは。お話を伺いました。

学校に行かない高校生活

埼玉県で3人姉弟の長女として育ちました。

アウトドアな家族で、夏はキャンプ、冬はスキーによく行きました。7歳下の弟がいたのでなかなか習い事はさせてもらえませんでしたが、小学1年生からピアノをやりたいと言い続けて、3年生でピアノ教室に入りました。スキーとピアノにハマっていましたね。

両親に厳しく育てられました。家では母の真似ばかりして、ご飯を作ったり、弟を遊びに連れて行ったり。それで褒められるのが嬉しかったですね。小中学校でも褒められるのが好きで、よく学級委員をしていました。

中学では勉強も好きでした。やった分だけ成績があがるし褒められるから。教科ごとのノートが溜まっていくのも楽しかったです。

高校は、ホームステイのプログラムがあるところに進学しました。人と違う人生にしたくて、なんとなく海外に行きたいと思っていたんです。

でも高校生になると、学校がつまらなく感じました。勉強は好きでしたが、高校生になったらみんな遊ぶものだと思っていたので、中堅進学校の真面目な校風が合わなかったんです。半分ほどしか学校に行かず、サイクリングして帰ってきて昼ドラを見てアルバイトに行く、そんな生活になりました。学校をやめたい、明日からでもフリーターになりたいと思っていました。

それでも、夏になると海外のプログラムがあるので、選ばれるために、その前だけは真面目に学校に行きました。1年生でホストファミリー、2年生でオーストラリアに交換留学をしました。実際に海外で生活し、「こんな素敵な暮らしがあるんだ!」とカルチャーショックでしたね。海外の暮らしが大好きになり、いつか海外で生活したいと思うようになりました。

3年生の初めに、アルバイト先で大学生の彼氏ができました。「大学に行け」「フリーターは職業じゃないよ」と彼氏に言われ、将来に不安を感じて、3年の夏休み明けから学校に行くようになりました。その時点で出席日数はギリギリ、「1日でも休んだら卒業できない」と言われて、そこからほぼ皆勤でした。

中高生の頃にスクールカウンセラーの人が書いた本を読み、「人の気持ちがわかったらおもしろいな」と心理学に興味を持っていたこともあり、ビジネス心理を学べる都内の短期大学に進学しました。

入学手続きの際、母に銀行に連れていかれ、支払い窓口で入学金と学費の金額を見た時、両親への感謝の気持ちが湧いて、短大は真面目に通おうと決意しました。真面目に通って心理学とマーケティングを学び、良い成績をとり、帰ったらアルバイトをして。運転免許も取得し、友達と車で出かけるのが楽しかったですね。

短大入学後すぐに就職ガイダンスが始まりましたが、企業研究などはせず、アルバイト先を探すような感覚でした。どの仕事がしたいという希望もなく、持っていたのは、漠然とキャリアウーマンになりたいという想いだけ。名前を知っていた企業のうち1社に学校推薦枠があり、旅行会社に契約社員として入社しました。

成果が出ないのは、努力した経験が足りないから

キャリアウーマンになりたくて、店舗でなく営業を希望しました。しかし契約社員だったので営業はできず、営業アシスタントをすることになりました。旅行の手配は、やり方次第で会社の売上が変わるので、営業の人に働きかけて売上を伸ばしていくのも楽しかったです。社会人になってからは、学歴コンプレックスがあったので、良い大学を出た人に負けない!と思いながら働いていました。

4年目に全社表彰を受け、正社員にも登用されました。もともと営業を希望していたので、調子にのって「ストイックな環境でチャレンジしたい」と異動希望を出しました。希望が叶って、社内でも大きな予算を持つ部署に異動し、営業職につきました。高学歴の人と同じステージに来たと感じて大満足でしたね。

異動して1年目は、先輩についてまわるだけ。周りの助けもあり、大変でしたが、なんとか目標も達成できました。しかし2年目に入ると、やってもやっても仕事がとれず、先輩に怒られるようになりました。仕事ができていないので、家に帰って寝るのにも罪悪感がありました。2年目の下半期にはボロボロでしたね。泣きながら出社し、泣きながら営業先に行く。ほとんど鬱みたいな状態でした。

退職を考えていた時、メンターとして指導してくれていた先輩から「学歴がないっていうのは、努力した経験がないってこと。今成果が出ないのは、この経験値の違いだと思う」と言われました。これがすごく心に響きました。私は世の中を知らなすぎるし、営業先でお客様と満足に会話もできない。心を入れ替えて、もっと勉強しなければと思いました。

同じ頃、大手人材情報会社から転職してきた人の話を聞いて、その会社に興味を持ちました。その会社の人が集まる飲み会に参加させてもらうと、仲が良いけど、成長意欲が溢れていて、高め合っていると感じました。「今の自分に足りないものが全部ある!」と思ったんです。そして、そこに転職しようと決意しました。

忙しく働く自分から、公私共に楽しむ自分へ

人材情報会社では、営業職への応募を考えていました。しかし間違えて、データベースから企業の条件に合う人材を探してスカウトをするダイレクトリクルーティングサービスの部署の説明会に行ってしまいました。話を聞いてみると、立ち上がったばかりでこれから拡大していく新サービス、おもしろそう!と思い、その場で選考を受け、入社することになりました。

20人程度の部署で、ベンチャー企業のようでした。同僚も上司もストレートに腹を割って話せる会社で、強みや身につけたい力、なりたい姿を同期と共有できていて、わからないことがあった時に助け合える関係でした。

前職で営業ができなかったことから「私はもっと勉強しないと、この先、キャリアの選択肢がない」と感じていたので、どこにでも転職できるようなビジネスマンとして必要な力を身につけたいと思いました。

スカウトの仕事は初めてで、最初は難しいと感じました。しかし、いろいろな業界、職種、会社、人と接点を持つうちに、どういう角度で見たら良いかが身についてくるんです。世の中のものの繋がりが見えて、知れば知るほどおもしろく、目標も達成でき、スカウトの仕事を楽しめるようになりました。

入社3年目の30歳の頃、両親が離婚し、実家を手放そうかという話になりました。私は実家が好きだったので、実家を自分でローンを組んで買うことにしました。

家を買ったことで、海外に行きたいという夢は一旦保留に。人材情報会社も最初は3年と思っていましたが、もう少し続けようと決めました。

しかし、4年目になると、同期も辞めて少なくなり、仕事も学ぶより後輩に教えるほうが多くなりました。あまりマネジメントに興味を持てなかったこともあり、仕事を100%楽しめなくなってしまいました。また、社会人2年目から始めていたサーフィンに本格的にハマり、旅行も好きだったので、働き詰めはつまらないなと感じていました。仕事もできて、世の中と繋がっていられて、プライベートも楽しめる働き方ができないかな、と考え始めました。

転職も考えましたが、毎日いろいろな求人を見ているのに働きたいと思える会社に出会いませんでした。また、周りにフリーランスで働く人もたくさんいたので、私にはフリーランスという働き方が合うのでは、と思いました。

不安がないと言ったら嘘になるけれど、考えていたら何もできないし、ダメだったら就職すればいいや、と、5年目に独立することを決めました。独立を決めてから半年後に退職、独立しました。

独立直後、想定外の妊娠

よりサーフィンをしやすい環境を作りたくて、千葉県に引越しました。生活はがらっと変わりましたね。午前中にサーフィンをして午後に仕事をする、理想のライフスタイルに近づいていました。

独立を決めてから退職するまでの間に、社外の人に「HR業界で働きたい」と話をしていました。そうすると、会社を紹介してくれたり、「一緒にやらない?」と声をかけてもらえるようになりました。

人材情報会社の後輩がエスキャリアに転職しており、スカウトの仕事を紹介してくれて、関わり始めました。また、前職の同期が起業した会社での人材紹介や営業の仕事など、独立当初から食べていくのに問題ない量の仕事をいただくことができました。

しかし、独立して1ヶ月経った頃、妊娠が判明しました。結婚もしていませんでしたし、本当に予想外で「嘘でしょ」と思いました。「今は無理だ」と正直迷いましたね。でも、少し考えて「子どもは授かりものだから産んだほうが良いんだろうな、これはまたとないチャンスかもしれない」と腹をくくりました。そして、受けた仕事は一部断り、できる範囲で続けてから、産休に入りました。

無事に出産し、3ヶ月ほど休んだ後、少しずつ仕事に復帰し始めました。

理想の働き方を目指して

現在、フリーランスとしてエスキャリアと他2社で、スカウト業務をしています。また、採用関連記事のライティングや、人材紹介、前職の後輩が立ち上げた会社のスタートアップにも少し関わらせてもらっています。

仕事の6~7割はスカウトですね。複数社でスカウトをしているため、複数の求人サイトのデータベースを常に見ています。たくさん見ていると、転職者の動きから、世の中の動きがわかっておもしろいです。

子どもを保育園に預け、仕事は昼に集中し、一部子どもが寝ている夜の時間にやっています。まだ子どもが小さいので、今は在宅業務が中心です。子どもがうまれてから、不思議なくらい、子どもと一緒にいたいと思うんです。時間の融通が利くので、病気の時は一緒にいてあげられます。

また、朝サーフィンをして、海からあがって車でミーティングをするということも不可能ではありません。妊娠出産で一時中断しているサーフィンと旅行を再開して、いずれは日本中、世界中どこにでも行って、子どもと一緒に楽しめる時間をたくさん作りたいですね。

仕事は今後も、人材関連を軸に続けていきます。ただ、スカウトだけでは収入面での不安や、AIにより仕事がなくなるという危機感もあるので、仕事の幅を広げていきたいです。具体的には、数年以内にキャリアコンサルタントの資格を取得し、人材紹介やキャリアコンサルティングの仕事をしたいと考えています。

私のように学歴がなくても途中で職種が変わっても、目指すキャリア・働き方に辿り着けるんです。私は「学歴は努力の差」というメンターの言葉をきっかけに、気づきを得て反省したからこそ、いろいろなものを吸収できたと思います。また、運良く人材情報会社に入れたことも、今に繋がっていると思います。そういうきっかけに気づかず悶々と生きている人、理想の働き方を目指したい人に「気づき」を提供し、選択肢を増やすお手伝いをしたいと考えています。


小柳 綾 さん
30代前半 / ヘッドハンター/ライター

短期大学卒業後、旅行会社に契約社員として入社。4年間の営業アシスタントの後、正社員登用され、約2年間営業職として勤務。大手人材情報会社に転職し、5年間ダイレクトリクルーティングサービスの立上げに携わる。その後独立するも、1ヶ月後に妊娠判明。出産のため休んだ後、2018年春、仕事を再開。

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