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東京で一人っ子として生まれました。父は仕事で忙しかったため、近くの祖母の家で母や親戚たちと毎日夕食を食べていました。戦前戦後に苦労して子どもたちを育てあげた明るい祖母が大好きでした。
小学校の低学年までは一人っ子として愛情を一心に受け、わがままに育っていましたね(笑)。父は会社を経営していて、経済的にも恵まれていました。
しかし4年生の頃、父の会社が倒産。私はその時初めて、父には他に家庭があると知りました。母や祖母が私に甘かったのも、そのためかもしれません。すべての価値観が一変し、家族との関係もうまくいかなくなりました。
学校では生徒が先生から叩かれたりすることは当たり前で、先生にも反抗的になりました。家庭環境も学校環境も荒れていて、精神的に不安定になり、友人ともうまくいかなくなってしまって。友人も家族もすべてが砂の上の出来事のようにサラサラと崩れていくようでした。
友人関係を立て直したくて、今までと別の角度から友人とたくさんぶつかり合ってとことん向き合いました。そのおかげで友人と再び信頼関係を築くことができ、たくさんの友人より心底大事だと思える友人さえいてくれればいいんだ、と思いました。
一方で、大事な人を想いすぎてしまうことは自分にも相手にも負担になる。そんな風に感じて、高校は地元の友人が誰もいない高校に進学しました。
しかし高校には友人になりたいと思える人がおらず、本当につまらなかったです。結局中学の時の友達と遊んだり、バイトしたり、夏休みには旅行に行ったりしていました。それでも知り合いがいない学校に自ら進んで行ったことは大きな出来事でした。
高校卒業後は英米文学科児童文学に進学。幼い頃から読書が好きで、友人と旅行するときですら本を持ち歩いていました。将来を思い描けていなかったので、大学の専攻も興味がある歴史か文学か英語の中から選びました。
大学時代はひたすらアルバイトしていました。多い時で3つ掛け持ち、定期代と食費、お小遣いは自分で出していました。貯めたお金で初めて友人と海外貧乏旅行へ行きました。好きに時間やお金を使えてこれまでにない特別な時間でしたね。
私が自分の世界を作り上げている間、祖母は認知症になり、そしてその後寝たきりに。母をはじめ親戚みんなで協力して祖母を看ていました。わたしも時間ができると祖母の家に行って最初は話相手になり、最後はオムツの世話を手伝いました。老いて死にゆく姿を見せてくれている祖母からは決して目を背けられませんでした。
卒業が迫ってきても相変わらず未来が描けず、好きな本の仕事を探そうと出版社を中心に就職活動を行いました。しかし就職氷河期で採用人数もかなり少なく、全く受かりませんでした。
みんな同じリクルートスーツを着て就職活動することに違和感があり「もうやめたい」と思いました。「大学まで行かせてもらって就職しないなんて…」と悩んでいたところ、父がアパレル企業を紹介してくれ、販売員として就職することに決めました。
入社して3か月、売り上げはあがるものの、仕事が楽しいと思えませんでした。こんな毎日で本当にいいのかと悩み、辞める決心をしました。そんな時、知人が大手出版社での1年契約のアルバイトを紹介してくれ、「出版社で働けるなら何でもいい!」と飛びつきました。
入社後は営業部でゲーム雑誌やコミック、文庫の営業事務をしていました。活気のある職場で、働いている人たちも面白く、とても楽しく過ごせました。上司が交渉してくれて、更新不可だった契約を延長してくださり、国際室に異動に。さらに1年働けることになりました。
ここでは海外の書籍の輸出入の仕事をしていました。大学で学んできたことが生かせ、とても充実していました。思い切って転職をして本当によかったと思いましたね。
1年契約の終了が迫っていた頃、iMacが日本で初めて発売され、その見た目に衝撃を受けました。「これからはMacの時代だ!」と思い、使いこなせるようになりたくて、出版社での契約終了後、3か月集中Macのソフトを扱う専門学校に行きました。
その後派遣会社からレコード会社での進行管理の仕事を紹介していただきました。初めての業界で、職種も初めて聞くものでしたが、なんとなく面白そうで「ちょっとやってみようかな」と軽い気持ちで入社を決めました。
レコード会社で働く人やアーティストたちは独創的な人が多く、とても新鮮で刺激的でした。連携をとり、CD制作に必要なすべてのことを動かしていく進行管理という仕事がとても面白く、やりがいを感じて仕事に没頭していきました。
派遣社員でしたが責任ある仕事も任され、「アートワークコーディネーター」として自分の名前がCDのジャケットに載るようになり、初めてそのCDを手にした時、「日本中のいろんな家に私の名前が載ったCDが行くんだ!」と感動しました。
仕事もどんどん増え、残業、休日出勤、深夜に電話がかかってくるなど毎日が忙しく、仲間にも恵まれ、たくさんのアーティストともかかわりを持つことができて、とても刺激的な日々でした。仕事において私が一番大事にしたいのは『やりがい』なんだと気づきました。
その後33歳で退職。そして34歳で結婚しました。
退職後は、夫が起業した会社の手伝いをしていました。36歳のときに第一子を妊娠。妊娠初期から体調不良が続き、出産も3日かかりとても苦労しました。産後も慣れない育児に体調を崩すことが多く、育児をしていて毎日があっという間でした。
その3年後、二人目を妊娠・出産しました。命に別状はないものの、生後1か月で手術を必要とするかもしれない病気が見つかりました。また1歳半ぐらいまでよく熱を出す子で、24時間つきっきりで看病することも多く、眠れないし、本当につらかったです。いつまで続くんだろうと漠然とした不安もありました。
その後、娘が2歳で手術をし、成功。身体も強くなり病気をする回数がぐんと減ったことで、少しずつ育児にも余裕を持てるようになりました。
育児に忙しく働くなんて考えもしませんでしたが、家族の環境も変わり、区が17の保育園を新しく開園すると聞き、復帰するなら今しかない!と決意。しかしブランクは11年。果たしてどこまで私は仕事ができるのか不安でした。
いきなり社員は無理だろうと思っていたので、まずは派遣会社に登録することから始めました。前職の進行管理の経験を買われて、飲食業界での進行管理の仕事を紹介してもらえました。時短もOKだったので、とりあえずやってみて、仕事に慣れてきたらその時にまた次を考えようと思い、入社しました。
しかし実際入社してみると、業務の引継ぎがうまくできておらず困惑することが多々ありました。それでも、とにかくわからないことは聞く、新入社員の時のように何でもやってみる。そんな感じで少しずつ仕事にも慣れていきました。
初めての飲食業界で目新しいことは多々ありましたが、社内の雰囲気はいつもどんよりとしていて活気がなく、人間関係に悩み辞めていく社員がたくさんいるのを目の当たりにし、この会社に長くはいられないなと考えていました。
仕事と育児に追われる日々に気持ちの余裕がなく、つらくて泣きそうになることも何度もありました。これからちゃんと働き続けていけるか、将来に対しても漠然とした不安がありました。
そんなとき、友人に誘われてNPO法人主催の「ブランクがあるママの多様な働き方」というイベントに参加しました。そのイベントで17年ぶりに復帰した女性の話を聞き、とても感動しました。
私が20代だった頃は、ママであっても正社員フルタイムで働くしかない時代でした。しかし、今は正社員でも時短で働くことができると知り、「思っていたよりも私が働ける土壌はあるのかもしれない」とすごく刺激を受けて、勇気をもらいました。
そのイベントでエスキャリアの岡本さんの話を聞き、「マイ・カウンセラー」を知りました。キャリアカウンセリングを受けてみたい、また自分がこれからどういう風に働き方の幅を広げていけるのか聞いてみたいと思いました。
岡本さんのカウンセリングを通して、私が今本当に大事にしたいのは、「子どもが学校に行くのを見送ってから出勤すること」「子どもが帰ってくる時間までに私も帰宅し、夕飯を作って一緒に食べること」だと気づきました。
岡本さんから、「あなたが今大事にしたいと思っていることは、絶対大事にしてほしいです。いきなり11年前と同じだけ稼ぐことは難しいとしても、今の時代、少しずつステップアップしていけますよ。」と言われ、肩の力がストンと抜けた感じがしました。
「ああ、私、頑張っていけるかもしれない。自分の生きがい、人生を大切にしながら子どもとも向き合い育てていけるんじゃないか。」そんな風に思えるようになって、カウンセリングを受けてよかったと思いました。
その後、岡本さんからNPO法人の求人を紹介していただきました。とても魅力的な企業でしたが、時間的に難しい部分もあり、見送らせていただきました。しかし、イベントに行ったり、カウンセリングを受けたり、行動することの大切さを改めて実感しました。そして実際に私が社員になれるチャンスはあるんだと自信にもなりました。
岡本さんや友人から教えてもらったママ向けの求人サイトにも登録し、いくつか応募しました。そして今年の1月に、登録していた派遣会社からとてもいい条件の仕事を紹介してもらいました。
現在は、新しい職場で働いています。面接を受けた際、偶然にも以前働いていたレコード会社と同じビルで、ご縁を感じました。社内の雰囲気も明るく活気があり、この会社で働きたいと思いました。そしてありがたいことに内定をいただけました。
新しい職場ではマーケティングプロモーションのアシスタントの仕事をしています。女性の多い職場で、以前の職場より理解もあります。キャリアアップしている実感も持て、なおかつお給料も上がり、ステップアップできたと思います。
だんだん気持ちにも余裕がでてきて、仕事や育児を楽しみながらがんばっていこうと思えるようになってきました。今よりもっと子どもたちと一緒に楽しいことをたくさんできるように、そして今よりもっと仕事にやりがいを見いだせるように、子どもたちに寄り添いながら少しずつステップアップしていけたらいいなと思っています。
新しい派遣先は、次のステップへの通過点として、働きながらこれからのキャリアを模索していきたいですね。
大学卒業後、出版社での営業事務、レコード会社にてCD制作にかかわる進行管理に携わる。結婚を機に退職、二人のお子さんを出産後、約11年のブランクを経て、派遣社員として仕事に復帰。この3月より新たな派遣先に就業。
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